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人材育成

人を育てる-「考えさせる」こと

Posted on 2013-10-24

社員の育成に誰も悩むところです。このためには動機づけが不可欠です。

 いろいろな方法がありますが、私は、社員を動機付けする最高の方法は「考えさせる」ことだと思っています。

 自分の体験でもわかります。何かを達成したにも関わらず、それが懇切丁寧に指示指導された結果であり自らの創意工夫がない場合、喜びと感激も半分で満足感が何となくもう一つであったことを経験しています。

 

「考えさせる」内容

 組織の中で部下を育成する立場の人は、育成の為の動機付けのために「考えさせる」ことの重要性は分かったとしても、「考えさせる」内容をどうするかにも悩んでいるはずです。

 考えさせる内容は、「どうやって達成するか」、「どうチャレンジしていくか」などテーマはいろいろあるでしょう。

 しかし、その人を「育てる」という観点からすると、単にハウツーでなくこれを超えた「考えさせる」内容こそがさらに重要になることに気づきます。何故なら、このことが組織体の場合、個人のみの問題でなく、組織全体の集団のレベルアップに関わる問題になるからです。 「考えさせる」内容は、その人の育成段階によって違いがあるとは思いますが、組織体である以上なにか共通するものがあるのではないでしょうか。それは、「何故、新しい取り組みが出来ないのか?」というテーマを内容として選ぶことではないかと考えます。

 ルーチン的な仕事は、これはこれで大変重要ですが、その中で何か新しい取り組みが可能なはずです。この発想なくして新機軸は生まれようがありません。新機軸が生まれるきっかけは、「何故、新しい取り組みが出来ないのか」を自分自身が真剣に考えるところから出発すると考えます。考え抜くことで自ら思考の浅さにも気づくはずです。

 

バーチャルとリアル

 バーチャルとリアルを対比することがいろいろな局面でよく登場しますが、「考えさせる」ことはある意味でこの対比に通じるところがあるように思えます。

 すなわち、上司が、「あれをこうしたらこうなる」のように手を取り足を取る指導、これはこの指導を受ける人にとっては、ある種のバーチャル体験だと思います。上司の熱意は買うとしても、しかし、それでもなかなかうまくいきません。自分で考えて失敗して、初めて体験するリアルとは明らかに違うからです。どんなに本を読んでも、簡単にテントが張れないことと同じです。

 私は最近庭の垣根の手入れをするために日本的な垣根結びの方法をネットから引っ張り学ぼうとしています。バーチャル・スタディです。バーチャルの絵図では簡単そうですが、紐を結ぶ相手側に想定外のいろいろな変化や事象が発生して、実際にやってみるとどっこい上手くいきません。その対応方法など庭師にリアルで体験指導を受け、自分でリアルにやってみないことには庭の垣根の手入れができないことに遭遇しています。

 このようにある指導の下、リアルの体験を通じてその人が成長する部分が多いと私は考えています。バーチャルからリアルへのつなげ方を「考えさせる」ことにより自ら成長した実感をうることにつながるのではでしょうか。若者のバーチャル思考を嘆くのでなく、このようにリアルとの組み合わせを発展的に考え実行させてやれば、彼らの成長スピードはさらに増すことになると確信しています。

 以上のようなことの積み重ねで、はじめて人が「考える」習慣を身に着け、「人が育つ」環境が築けるのではないでしょうか?少なくとも私の20年の経営体験では、このことが実証されました。皆さんも一度試してみてください。

 

 

社員の体質になるまで徹底して落とし込んでいますか?

Posted on 2013-10-10

マニュアルのみに頼るのではなく、その内容を社員の体質にしないと何事も効果が薄いことを、事例をもって述べます。

 

警視庁職員の現場での判断

 1995年に不幸な地下鉄サリン事件が起きました。これを起こした実行犯、オウム真理教の平田容疑者が、15年間の逃亡の末に警視庁に出頭したニュースが確か2012年頃流れました。せっかく出頭してきたのに、対応した役人にこれをイタズラ行為と看做され一蹴されたこのニュースを記憶されている方もおられると思います。

 その後の警視庁の対応として新聞に報道された内容が面白いというか笑えないジョークと私には映りました。マニュアルを整備して個人で判断しないように組織プレイとするとの趣旨の内容でした。その通りでありますが、何となく違和感を覚えませんか。

 

マニュアルと体質化

現場でその瞬間の判断がそもそも求められているのです。

 最前線の警官がその瞬間に適正に判断ができる組織風土の欠如の失態を報道で証明された事例なのです。出頭してきた男を前にして、「上司と相談するので暫く待っていなさい!」と相談している間に、その男の気が変わり逃がしてしまいかねません。全く滑稽と映りませんか? 最前線で判断が適性にできるように個々人の体質にまでならない限り、犯人の逮捕の機会を今後も逃すことになりかねないのです。

 単なるマニュアルの整備に終わらず、根源的には役所の組織や社員教育の在り方、その浸透方法の問題であることに気づいて欲しいのです。個々の社員の体質になるまでマニュアルの内容をWhy(何故)から説き起こして徹底してもらいたいものです。体質にならない限り、その瞬間の適切な対応は期待できないからです。体質になることは、ある意味でその役所や会社の組織風土と密接に関係があることを心に留めてもらいたいものです。

 

 

 

私が考える社長の仕事

Posted on 2013-10-03

 

社員にはできないことをするのが社長の仕事です。会社という組織体の中で経営の仕事をするのが社長の仕事です。

 社長は孤独であると良く言われますが、本当でしょうか。「考える」レベルでは誰でも孤独です。したがって、このこと自体社長の独占事項ではありません。

 「判断する」ことは独占事項ですが、会社組織の中で相談しながら最後の判断をするわけで、本当に一人で孤独で判断をすることなどそう多くはありません。私の20年の経営体験でもそのようなことは10回くらいでした。スケールは全く違いますが、故ケネディー大統領がキューバ危機の時に、戦艦をキューバ沖に派遣した時の決断などは本当の孤独といえるかもしれません。

 

衆議独裁

 衆議一決の民主的方式では、その会社から斬新なことが出て来ないとよく言われます。本当でしょうか。自分の考えと社内外の知恵を集めて、最後は自分の考えを修正変更して、これを衆議独裁と言えば、これが一番良いかもしれません。完全に独善的な決断で上手くいく事例はそう多くないと私は推量します。

 

忍耐力

 社長の最大の仕事は忍耐力でしょう。自ら遂行した方が早い案件が沢山あります。それでも誰かに託し、その出来上がりを忍耐強く待って意見を言わないと、その人の教育ができなくなります。これぐらい忍耐のいる仕事はありません。

 

一番商品の仕立て

  一番になるために何をするかが社長の仕事です。企業が長く存在するにはNo.1商品をどれだけ沢山持っているかです。どうしても売上や出荷の数字を気にしてどんどん新しい商品を出してくる傾向がありますが、どこかで整理して削減しない限りその会社のエネルギーを特定の商品に注力してNo.1に仕立て上げることが難しくなります。

 

仁や義

  論語では仁や義を教えます。マキャベリや韓非子では人間は利で動くと教えます。どちらも正しいことを言っているはずです。どの状況で見るか如何ですが、私はあまりに打算的に人間や社員を見るのが経営上妥当かについては、大きな疑念を持ちます。「農耕型企業風土づくり」を通じて会社を経営するには信頼することを主眼としていました。やはり、利より仁や義ではないでしょうか。

泰然自若としていることです。特に、悪い知らせに対していちいち動じない、そんなこともありうるくらいの姿勢で対応すると良いのではないでしょうか。

体系的に経営自体を理解し運営するには、私は経営者はプロとして育成されるべきだと考えています。しかも、その国の文化的背景を最大限加味した経営スタイルが望まれると考え、この主張を『これからの課長の仕事」(2011年)と『これからの社長の仕事』(2012年)を述べました。ご興味ある方は是非、ご参考にしてください。

 

日本人の精神性(2)

Posted on 2013-07-18

 前回に引き続き、日本人の精神性を示すと思われる例示をします。

「無用の用」的なもので集団を維持する心

 私の友人の竹村聡一郎君(株式会社コヨーテ)のコラムで、昔九州の炭鉱で働く人の中に通称「スカブラ」と呼ばれる人がいたということを読みました。

 「仕事を好かんで、ブラブラ」が語源という説もあるようです。要は笑わせる役です。重労働に耐えながら働く炭鉱夫の集団に冗談など言いながらその場の雰囲気を作っていた人の話です。

 効率化のためにこの人をその集団から外したところ、そのグループの生産性がガクッと落ちた旨の報告もコラムの中に記載されていました。

 これを読んで私は「さもありなん」と、これまでの自分の主張の正当性にほくそ笑みました。日本人の集団の精神性が表れている事例と考えます。集団としての雰囲気とチーム力を大事にするための「無用の用」です。

 私も経営経験で同様なことに遭遇しました。経済合理性をとことん推し進めた結果、以前より生産性が落ちる結果になったことがありました。

 サービスを提供する集団においては、経済合理性以外の人間の心の部分への配慮が不可欠でした。人のモラールが重要なのです。

 私は、このために、ルーチンの仕事の仕方に多少問題を持っていたとしても、場全体の雰囲気をいっぺんに変える能力のある人をチームの中に入れることで、どれだけチーム全体の生産性が上がったことか。この人の人件費を賄って余りある改善をみることができました。

東洋的死生観

「東洋的には、死生といい栄枯といわれまするが、ただ一つ気が消えたのが死であり枯であり、一つの気が満ちたのが生である。」(佐藤一斎、「言志四録」)

「生も一時のくらいなり。死も一時のくらいなり。たとえば冬と春のごとし。冬の春となると、おもわず、春の冬となるともいわぬなり」(正法眼蔵)

 日本人の精神性とも関係があります。人生の生死のサイクルや死生観を言っています。

「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛?)

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」(「はちすの露」、貞心尼)

 などそれぞれの辞世の句と言われています。日本人の精神性を表した秀逸作品です。私もこの気持ちが少し分かる年代になりました。

青年団と掟、集団の知恵と独り立ち

 忍耐と鍛錬を修練する「場」があったことを司馬遼太郎氏は、江戸後期に北海道交易で活躍した高田屋嘉兵衛を主人公にした「菜の花の沖」の中で淡路島の「若衆宿」のことを書いています。

 縦社会で上の人の指示に従う村の共同体で、村のおきてを破る者は内部告発されます。その指示をどう実行したらよいかを自ら考える共同体です。

 もちろん、今話題になっている「しごき」的部分があったことは否めず、「若衆宿」に100%賛成するわけにはいきませんが、結果として、成人として徹底して「独り立ち」するための指導をする部分は賛成です

 司馬氏は、「街道をゆく」を書くために訪れた地域では必ず「若衆宿」を確認していたとどなたかが言っていたくらい、一人の独立性に関心を持っていたかもしれません。

日本人の安定志向

 安定を望むのが日本人です。村の共同体の維持を優先します。元来ケンカを好みません。皆がまるく収まることが一番と考える国民性です。

 この流れからすると、成果が残せないと収入が減る成果主義は元来日本人には向かない制度だと考えます。権限と責任をあたえ、自分で解決する能力、村を発展させる思考を身に着けなければなりません。

 このことは、私が常日頃主張する「考える」ことに通じます。「常に考える」ことです。

脳の構造が違う

 ある本でロンドンのタクシーの運転手は海馬が大きいと読みました。海馬が大きいと地理空間の案内を覚えるのが得意のようです。このことは人間の脳は人種によって違いがあることを意味する例です。

 人の意思決定は95%位無意識に行われています。脳で決定した後0.5秒後には実践しています。山道でヘビに出会うと皆驚いて飛びます。無意識の判断の結果です。その後、「ああ怖かった」と。

 脳の認知活動は感覚器官から脳に伝達された情報処理のボトムアップ処理と脳内に記憶された情報に基づくボトムダウン処理の二つにより行われますが、これも無意識に行われます。

 驚くことのは、人種により「脳が違う」ということです。このことが最近知見されたようです。日本人は平均的に不安傾向が強く、また、包括的に全体を捉える傾向が強いようです。不安傾向は、セロトニン受容体を保有する人が多いからのようです。

 セロトニン物質は最近健康商品で有名になりましたが、不安を制御する物質と関係あるとのことです。また、全体像把握との関係で言えば、金魚を入れた金魚鉢を観察する実験を行うと、日本人は全体像を印象強く把握するのに、アメリカ人は、金魚の個別の特徴に興味を覚えるようです。

 日本人のマンガ好きとも関係があるのでしょうか?感性を重要視します。論理は後付けにするクセがあります。先ず全体のイメージを描き、その後にそのイメージを正当化する論理を仕立てあげる特性の一つでしょうか。興味ある部分です。

 脳の構造を知ると、アンケートの主観的、言語的な一般的内観調査は限界で、人の思考を予測できる脳計測との組み合わせを考えるとさらに効果が増します。例えば、何かの商品で顧客に対して「好きですか、Aですか?、Bですか?」と聞き、回答者の脳の反応の強弱を観る調査機器があれば顧客接点はもっと緊密になるかもしれません。

 

日本人の精神性(1)

Posted on 2013-07-11

 実は、前回コラムで紹介した二宮尊徳や上杉鷹山等の生き方に私が賛同できるのは、彼らの経営改革姿勢の背後に深く流れる日本人の精神性のどこかに共感するものがあるからかもしれません。

大和こころ

 これを「大和魂」と呼ぶことがあります。「大和こころ」も「大和魂」も、誰の耳にも良い響きを持ちます。そもそも何でしょう。

 この言葉を最初に使ったのは紫式部であるといわれています。源氏物語の「乙女の巻」には漢才-当時の中国の学問を学んでこそ大和魂は重んぜられるという表現があるようです。

 平安時代に用いられたこの言葉は、漢学に代表される外来の知識人的な才芸や技法に対して、日本在来の伝統的知識、生活の中の知恵、教養を言ったとされます。漢意(からごろも)に対して作為を加えない自然で清純な精神性を言います。

 「大和こころ」は、戦中、戦後は軍国主義的にみられていましたが、これは政治的に利用されただけで、大和こころの本来の精神性の意味は変わりません。

 我々日本人のこころのどこかに日本の伝統を重んじ、二宮尊徳や上杉鷹山のように民のために一身を投げ出すという少し教条的ではありますが、自然で清純な気持ちが潜んでいるのではないでしょうか。私の心にも同様な精神性が潜んでいるように思います。

忍耐と自己鍛錬をする心

 日本人は自己を磨く、そのために耐え忍ぶ性癖を持っています。この過程が自己鍛錬のやり方として象徴的に表現されることがあります。

 自己鍛錬の例は、優れたスポーツ選手の事例が沢山挙げられています。「イチロー」選手など優れた野球選手がバッターボックスに入るまでを見ているとわかります。本人のしぐさや自分のゾーンに入る精神統一などを観察すると、その人の心の一面が見えるほどです。

 あるレベルを超えるための自己鍛錬のから取得した精神統一法だと思われますが、われわれ日本人の精神構造に忍耐と自己鍛錬の仕組が組み込まれているということかもしれません。レベルは違うとしても、私自身も同様な精神構造を共有していると思えることがあります。

鎮守の杜と自然信仰

 田舎にある鎮守の杜を訪れたことがあると思います。一歩足を踏み入れた時の冷厳でな気持ちや畏敬の念、自然への尊敬の心は、私のみならず大半の日本人の中に潜んでいると思います。

 日本の首都、東京のど真ん中に江戸城という広大な自然林が残っていることを我々日本人は何の疑いも持たず普通に思っています。ヨーロッパの首都の真ん中に広場と教会がセットであるのとは大きな違いです。日本人は山川草木あらゆるところに神が宿ると考えています。古来日本人が抱いていた自然信仰と関係があるかもしれません。

 自然界のどこかにいる神への畏怖の念を私も鎮守の杜で抱きます。

 しかもこの時の自然に向き合う姿勢は対決でなく調和です。人間相手でも共存する手法を取ってきました。武力でなく言葉で服従を誓わせ平定する国譲りの記述も古事記にあるほどです。

「おかげさま」という感謝の気持ち

 私自身「おかげさまで」との言葉をよく発します。別に意識しているわけではありません。自然に出るのです。

 心学の開祖、石田梅挙は「先も立ち、我も立つ」と、利を共にする思想を説いたと言われています。「おかげさま」という感謝の言葉、直接何かをしてくれたわけでもない相手に感謝する気持ちは、この辺から生まれたかもしれません。

 「おもてなし」の言葉もこれと関係があるのでしょうか?日本人が非常に大切にしたい言葉と考え方の一つで、「利他」と通じ日本人の底流に流れている精神性の一つと位置づけています。

包み込んで同化させる大きな心

日本では古来海外のいろいろなものを同化してきました。この日本に、百済から仏教が入ってきました。自然信仰の古来の日本に仏教を導入し、そこから沢山の知恵を学びこれを包み込んでしまいました。

 神仏習合です。

 日本の宗教は神か仏でなく、神も仏もいるととらえます。多神教というより汎神教です。英語という言語もジャパニーズ・イングリッシュとして、日本的なものに手直しした部分が相当あります。外国からの知恵も同化させました。

 日本人の精神性の具体的な例として、七福神と風呂敷をあげる人もいます。

 七福神のえびすは日本古来の神様です。毘沙門天、弁財天はインド起源の神様、大黒天はインド由来の神と日本の大黒様が習合したもの、福禄寿と寿老人は道教の神、布袋は中国の和尚と言われています。この神様達の源は違うとしても、彼らを一緒に宝船に乗せて福の神として崇めまつっています。ただし、日本人はなんでもとり入れたわけではありません。儒教はいれましたが、孟子の革命思想は入れませんでした。宦官や科挙も入れていません。

 風呂敷に包みこむにあたってもきちっと取捨選択をしています。欧米各国に行くと、この風呂敷のように、中味に変えて変幻自在に包み込めることの発想の優秀さも感じるところです。これもある種の精神性とみなしてよいかもしれません。