園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

モラール

嫌われる仕事をする社員の「やる気」をどう高めていますか?

Posted on 2012-06-07

 「仕事に貴賤上下はない」と、いくら言っても、一般的に人が嫌う仕事があるものです。今は「3K」とか言われている仕事がありますが、私が経営を引き受けた当時の1990年頃は、そのような言葉を発する余裕があったかどうか記憶にありません。

 それでも現実に下請け的な立場にある中小の企業では、一般的には人が嫌がる仕事に従事されている社員が多いのではないでしょうか。ほとんどの会社ではこれらの業務が収益源かもしれません。したがって、この人たちの「やる気」が問題です。

人が嫌がる仕事のモチベーション

 私が関係していた会社の最初の頃の主要な収益ソースは、秘書代行業務や他の人が眠っている夜間帯の仕事でした。当時はこれらの業務からの収益比率が90%ぐらいだったと記憶しています。苦情が多い業務、夜間帯の業務という理由から誰もが喜んで引き受ける仕事ではありませんでした。

 私は以後、意識的に会社のビジネスモデルの転換を図っていきましたが、これらの業務が会社の原点であるとの認識を常に持ち、何があっても、これらの業務は大事にしていきました。

 当時この業務に携わっていた方々の顔が今も目に浮かびます。この社員たちが会社の屋台骨を支えてくれました。彼らと熱心に議論したことが、私のノートに記してあります。心から感謝しています。

 秘書代行業務は、秘書を雇用しないでその機能の一部を電話で代行する仕事ですが、顧客との「言った、言わない」のトラブルが発生する業務でした。

 当時は通話の録音機能も限定されていたため、手書きのメモを頼りに対応し「電話したのに何故つながらなかった、適切に対応してもらえなかったので大きな不動産取引が没になった。どうしてくれる。損害賠償だ。」などと、電話口でしつっこく責め立てられるようなこともある仕事で、これに嫌気がさして担当の社員がやめてしまう事態も発生していました。クレームの電話をした人の関係者が会社に押しかけてきたので、私自身も苦渋の対応したことを記憶しています。

 また、夜間の仕事の例として損害保険会社の業務の代行として自動車事故の第一報受付業務などがありました。その時の事故状況を明確に把握・記載しておく必要があります。このような事故の発生は時間を問いません。事故直後の特別な心理状態にある中で、事故の正確な把握のためとはいえ夜間業務の対応者が投げかけた無用な言葉で、事故を起こした人の満足度は一気にさがりクレームにつながりかねません。

 細心の注意を払ってもトラブルに発展する可能性を常に秘めています。電話口の向こうの人に「感性豊かな対応」をするのも結構難しい状況もあります。多少の時給のプラスをしても皆が嫌う仕事で、彼らのモチベーションの維持は大変でした。

 仕事のやりがいを説く経営者の努力と社員のモラール

 このような業務を担っている人々に対してどうモラールを高めるか。私は経営者として考え抜きました。そして「コミュニケーション・サービス」という新しいコンセプトを打ち出したのです。

 これを基に仕事の社会的意義を説くことです。とにかく執念を持って説くことです。「皆さんの仕事はコミュニケーション・サービスを提供してエンドユーザーの顧客満足度を高めることです」と、「単なる『言った、言わない』の伝言ゲームでなく、ビジネス上のコミュニケーション機能を担っている非常に重要な仕事です」。

 さらに、「一年365日、一日24時間ビジネスは眠りません。夜でも人が生活している以上、自動車事故は発生します。誰かがこの重要な仕事を引き受けなければなりません。夜間の予期せぬ事故に遭遇した人に『感性豊かな対応』をすることで、事故を起こした人に安心感を与えることは、社会的にかけがえのない重要な仕事です。できれば『良い対応をしてもらい安心しました』と顧客から感謝の言葉をいただけるように努力をしてください。」と、新しいコンセプトに絡めて彼らの仕事の社会的意義を説きました。

 私が、時には幹部社員の塩森君や石田君が先生となって彼女ら、彼らに説きました。

 心理学も含めてうんと勉強もしました。ちょうどこの頃米国で、顧客満足のマーケテイング上の意義についての議論が盛んになっていたので、書籍を買い込み知識を体系化し、現場視点で顧客満足の重要性を本当に真剣に説きました。また、同時に日本のマーケテイング業界にも顧客満足についてのメッセージを発信しつづけました。

 コンセプトが浸透するにつれ、社員も自分の仕事の社会的意義を理解・納得し、自分の仕事が一段上の段に上ったと認識を持つようになりました。彼らの仕事に対する態度が変化したその瞬間を、私も一緒に体験したのです。

 新しいコンセプトをもとに、人が嫌がる仕事をしている社員に社会的に意義ある仕事をしているプライドを植え付けることに成功したのです。

 

あなたはどういう時に感激しましたか?

Posted on 2012-05-17

 人は、それぞれいろいろな状況や場面で感動することがあります。

尾崎豊氏の葬儀の列

 「この雨の中、なぜこんな沢山の人々が道に並んでいるのだろう?」と正直不思議でした。

 20年前、1992年のことです。ひどい雨の降る日で、私はタクシーで池袋駅近くにあったオフィスに向かっているところでした。首都高速道路を降りて護国寺のあたりに差し掛かると長い人の列に遭遇しました。いったい何事だろうと思い聞いてみると、護国寺でシンガーソングライター尾崎豊の葬儀が営まれている、ということでした。激しく降りしきる雨の中、弔問に訪れる人々の列は池袋の駅までも続いていました。

 この時、私は尾崎豊というアーティストについてあまり知識がありませんでしたので、なぜこんなに多くの人が?と浅はかにもそう思いました。しかし雨の中延々と続く弔問の列を目の当たりにし、これ程までファンに慕われるアーティストはどんな人かと、興味を持ち、オフィスに戻ると、当時私が経営責任を負っていた会社の社員の高橋勝君に聞いてみました。

 また後日、高橋君からアルバムのCDをいただき、尾崎豊というアーティストの曲に触れ、心を揺さぶられるような思いがしました。「世の中にこの様な人がいたのだ」と強く感動した瞬間です。時代背景が変わった今も、彼の生み出した作品には、多くの人を引きつける「何か」があるのではないでしょうか?

根本要氏の「木蓮の涙」

 それから随分時間が経過した2012年の春、あるシンガーソングライターの曲に偶然出会い心を打たれました。東名高速道路を走って伊豆に向かう途中、たまたまひねったNHKのラジオから聞こえてきた曲です。雨で延期になった高校野球の準々決勝の代わりに再放送されていた番組の中の一曲でした。

 「逢いたくて逢いたくてこの胸のささやきがあなたを探している あなたを呼んでいる いつまでもいつまでも側にいると言っていたあなたは・・・」というこの曲は、スターダストレビューのボーカルでギターリストの根本要氏の「木蘭の涙」(木蘭は木蓮の漢語表記)です。

 なんとも、胸に刺さる曲でした。恋人との関係を歌ったものでしょうが、私には東日本大震災で被害にあった方々の思いのたけを心の底から歌ったようにも聞こえました。「亡くなったお母さんに会いたい、恋人に会いたい、でもかなわないこの現実・・・」。何とも心に響き、聞きながら東日本大震災の被災された方々や関係者皆さんに思いをはせ、祈るような気持ちになりました。

仕事の場面でのある感動

 歌とは全く次元が異なりますが、仕事の中でも社員が感動する場面があるものです。

 仕事柄、一般のビジネスマンが休暇中にも仕事をしなければならない社員がいます。一般の人が嫌がる時節、正月やお盆の休暇中にも仕事をしなければなりません。

 私はこの期間に仕事をしてもらっている人に感謝するため、全国に沢山あるコールセンターで正月やお盆の休暇中に仕事をしてくれいている社員に、お茶やジュースのボトルやお菓子などを差し入れることにしていました。

 当時の秘書の野沢さんや富浦さんなどが、社内のメンバーを動員して配送指示をし、これを実現してくれました。私としては現場最優先、しかも、社員とアルバイト社員の区別は仕事上一切なし、現場で頑張っている人に感謝する気持ちを簡単な差し入れで表現しただけのことです。

 このことに「現場のアルバイト社員がとても喜んでいます。人が嫌がる期間に仕事をしてくれる人への感謝の気持ちを表すためのこの差し入れの配慮が会社の仕組みとなっていることに、現場がいたく感動していました。」と現場のマネージャーがいっていたことを、先般そのコールセンターの総責任者だった美馬君が、嬉しく誇らしい顔で先般私に語ってくれました。

 この様な些細なことで社員が感動し社員との心が通いあっていたことを再認識させられ、私も大変嬉しい気持ちになったものです。