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折々の言葉

第285回 閑話休題—脳に良いこと

Posted on 2018-05-31

 最近、以前より物忘れがひどくなったように思い、脳の活力を取り戻すにはどうしたら良いのかを、素人ながら勉強をしています。

 

認知症 

 ご存知の通り、うつ病、認知症は誰でも一定年齢からその兆候が進みます。加えて、集中力の欠如等も年齢を重ねるごとに出てきます。

 このような症状を脳の面から研究する報告書も沢山発表されています。あくまで拾い読みですが、大変参考になります。

 いろいろな情報を総合して、現段階での私の結論は次の通りです。

 すなわち、自分自身が脳に悪影響を及ぼすような生活をしているのではないか、それらが生活の習慣になってしまっているのではないかという反省から出発しなければ解決しないということです。

 脳では約20種類の脳内物質が分泌しており、脳内化学物質がつくられていると知りました。活力や集中力を保つのに必要なドーパミン、セロトニンなどの「脳内化学物質」が脳で十分に作れていないので、脳内化学物質のバランスを崩し精神的タフさも無くしてしまうのではないかと、考えるに至りました。

 自分の結論を踏まえて、脳の活性化のために脳内化学物質のバランスを整えるには生活のいろいろな習慣を改善し、脳に良いことをする必要があると、にわか仕込みの情報を基に只今個人的に努力中です。

 

脳に良いこと

 「脳に良いこと」は、まず、食生活です。

 皆さんもご存知のことばかりですが、健康にとり重要なことと、自分自身に注意を喚起させていることです。

・血糖値を大幅に上昇させる「高GI食品」(GIとはグリセミック指数をいいます)の摂取をなるべく制限することにしています。

 精製の白いパン、白い米等美味しいものを意識的に避けています。ご存知の通りインスリンは血液中のブドウ糖を全身の細胞に供給し、細胞はそれをエネルギーとして利用していますが、上のような高GIを食べ過ぎるとインスリンが反応しなくなると、いろいろな文献に記載されています。

 ビタミンB類がアミノ酸を脳内化学物質に変える作用を持つようで、こうならないように、これを含む食品を沢山取り込む必要があります。

・また、脂肪は脳の健康改善に欠かせない栄養素ですので、ヘルシーな脂肪食品をと、以前はそんなに好きではなかったオリーブオイルを利用した食事を意識しています。

 ましてや、変な油を利用していそうな食事は美味しそうでも、可能な限り避けています。

・出雲の田舎では、東京風の納豆を食べる習慣は数十年前には無かったので、納豆はあまり好きではありませんでした。ところが脳を活性化する効果があると聞き、発酵させた大豆である納豆を努力して食べるうちに嫌いのカテゴリーから外れるようになりました。これも生活の習慣でしょうか。

・緑の葉野菜は大好きです。フルーツも好きなものを適量食べています。

 

 次に、「脳に良いこと」は、定期的な運動をすることです。

 継続性が大事であるとのことで、有酸素運動をもくろんで、朝の体操、下手なゴルフを続けています。ゴルフでは汗を流し会話を楽しんでいます。心拍数と呼吸回数が上がるように、なるべくカートには載らないよう留意していますが、効果の方はどうでしょうか。また、気分も快適です。明確な根拠は不明ながらも、運動は脳内化学物質を増やし認知機能を改善するのに効果があると思い込んでやっています。

 

 更に、十分な睡眠をとる必要性も感じています。

 人間の小脳には1000億個、脳全体では数千億個ものニューロン(神経細胞)が存在し、これが電子信号のネットワークを形成していることで脳が機能しています。

 睡眠中は脳のこのニューロン菅の隙間にリンパ液のような無色透明な弱アルカリ性の脳せき髄液が入り込み、アルツハイマーの元となる老廃物を洗い流す効果を果たしているとの研究があると知りました。睡眠中に脳の洗浄をしてくれるようです。

 どうも最近睡眠の質が落ちたと感じていますが、仕事のストレスからでしょうか。

 社会的なつながりが認知力の低下を抑えると聞き、若手の経営者の育成に尽力しているつもりですが、あれもこれも片づけないといけないと、タスクが並行して走るのが、この背景かもしれないとの反省もあり、マインドフルネスと称して少しは息抜きの瞑想や散歩の時間をもち、睡眠の質を上げる努力もしているところです。

 私にとって「脳に良いこと」が、皆様の参考になるのかが心配です。本日の閑話休題を笑って閉じさせていただきます。

 

第284回 忖度と責任

Posted on 2018-05-24

 忖度とは、相手の人の心情を推し量ることです。本来、事の善悪にはふれていない言葉のはずです。

 ところが最近の解釈は、一定の権力を持つ側の圧力が明示的になくても、その権力の及ぼす影響を恐れる側が自分の行動をセーブしたり、権力を持つ側に有利になるよう事を進めたりすることを言うようになってきています。

 

日本の良き伝統

 相手の気持ちや立場に配慮して日常を円満に過ごすという意味では、忖度は日本人の誇りとすべきことです。狭い土地に沢山の人口を抱え稲作農業を営んでいた日本では、水争いを無くし、コメの収穫を皆で祝い、平和な日常を送るための大事な日本的コミュニケーションの筈でした。現在もそうです。

 言葉を重視する海外、特に西欧社会との比較で、日本人は明らかにコミュニケーションのやり方に特徴があります。

 本来、コミュニケーションを上手にするには会話の前後の文脈を踏まえた対応が不可欠ですが、日本人はこの部分が非常に優れている国民であると思います。

 言語ではっきり伝えなくても、前後の文脈を踏まえて「察してくれる」国民です。

 ところが部下を観ていると、最近の若い世代ではこれが少し変わってきていると感じます。

 デジタル機器の利用で、察することが不得手になってしまったように感じます。学校での先生と生徒の関係性がフラットに変容し、生徒が察する必要性が少なくなってきたことも関係していると思われます。

また、最近政治の世界で、時の権力者に有利に物事を運ぶための道具として忖度という言葉が脚光を浴び、この言葉が悪者扱いされてから一層、本来の良き伝統的風土を著わす言葉が違う方向に解釈されるようになってきたのは実に残念です。

 

上司が留意すべきこと

 そこで、あらぬ方向に物事が進まないよう、上司の我々がビジネス上留意しなければならないことを、私の経験も踏まえて以下に列記します。

 

・部下と自由に会話ができる「場」や雰囲気を設ける。

 この点は私も常に意識しています。

 上司の考えと違う動きをするかもしれないと悩む部下のためにも、このような「場」があれば望ましいです。

 この「場」を作っても上司と部下の関係は変わらないとしても、部下が上司の考えを確認してそれに沿う動きを迅速にとれることにつながります。

 

・「察する力」がない部下に、時には自ら言葉で知らせる努力をする。

 上司にとって努力が必要なことですが、やはり重要な仕事の一部になります。

 察しの悪い部下はどこにでもいます。彼らは手順を踏んで仕事をしており、手順をジャンプしたり、そこから離れて考えることに慣れていないだけなのです。このような部下には言葉でカバーします。

 

・特定の部下に対する特定の思い込みを捨てる。

 殆どの部下はいろいろな局面で違う表現をします。価値観も違うので上司が求めていることとは、違った解釈をすることもあります。

 そこで部下に違う忖度をされる前に、部下の反応を読んで自分の評価などが外れていると思う場合、上司が自らその部下への特定の思い込みを修正する努力をするのもひとつの方法です。

 即ち、部下の正しい把握のため、確認のステップを一枚も二枚も多くすることです。

 

・上司自信が、忖度される立場にいることを常に自覚して動く。

 上司はそれなりの権限を持っているので、部下はそれをくみ取って案件の成果のために先回りして動く傾向があります。むしろ、そのような部下が本来優秀な部下です。

 もし歯車が違う回転をして様々な問題を引き起こすリスクがあるとすれば、それを回避する一番の方法は、上司自身が自らの立場を自覚して、少しでもリスクを回避するよう自覚した上で、必要な動きをすることです。

 政治の世界で昨今疑惑を招いて泥沼化している複数の事案等は、もしかしたら、上司たる責任ある政治家トップが部下たる官僚に忖度を強要した、忖度をせざるを得ないような状況に追い込み、彼らが不正や偽りの言動や行為に及んだと見るべきではないでしょうか。

 すなわち、上司たる政治家トップの責任が極めて大と理解すべきです。

 ビジネスリーダーたる皆さまとしても、留意すべきことだと考えます。

 

第283回 日本的風土――水に流す

Posted on 2018-05-17

 前号に引き続き、日本的風土についてふれます。

 外国人には不可解な言葉があります。「水に流す」の言葉です。

 2013年頃、日本人の精神性の項で本件を取り上げたことがありますが、日本人と水との歴史的関わりで、深く考えている人の本に出合ったので再度書きます。

 その方は、樋口清之氏という登呂遺跡の発掘をはじめ考古学的遺跡発掘の権威者です。

 水に流すとは、読んで字の如くこれまであったことをあっさり忘れ去ること、良くも悪しくも、済んでしまったことは仕方がないとの発想です。この日本人の行動様式は穏やかで優しい人間関係を維持するための知恵とされてきました。

 

諦めや順応さの性格醸成

 「過去に拘らず、論(あげつらわず)わず、責めず、忘れ、受容し、許す、これが日本人の行動様式」だと、樋口氏は言っています。諦めやすく順応な日本人の一般的性格に通じると考えます。

 人間の性格には、環境が与える影響が大です。我々は、河川の氾濫、火山活動など、自然災害が頻繁に起きる国に育ちました。万一、不幸にも氾濫や災害に遭遇しても、早く立ち直る、身代わりの速さが「水に流す」性格を育んだのではないかとも言われています。

 日本の川は、地形的なものから流れが速い河が多い。水の量も多い。もともと川は巨大なゴミ捨て場でしたが、流れが速いことは、水に流して川の清らかさを保つ利点があります。

 また、日本列島は季節による寒暖の差が激しく、地域によっても気候が大きく異なります。この自然環境によって、日本人の順応性の良さと諦めの良さが形つくられたかもしれません。

 

対立を好まない関係性

 また、人間関係の上で対立を好まない日本人は、良く「す(済)みません」という。

 この表現は普通、自分の過失を詫びる言葉ですが、これは水に流す行動が表れた一つの言葉で、「住む」と「済む」と「澄む」ことは同義でした。このことについて民俗学者の荒木博之氏は次のような内容を述べています。

 川が澄んでいない、汚くなった状態の時です。これが、「澄まない」、「済んでいない」となるとのことです。これは、自分は流れに逆らいませんという、人間関係を滑らかにするための呪文のようなものであり、水に流す行動が表れた一つの言葉で、流れに従順ではかった自分が悪かったという表現ではないでしょうか。「私も今までのことは水に流しますから、あなたもどうぞ水に流してください。そして、新しい澄んだ気持ちになりましょう。」と。以上が荒木氏の主旨です。

 思うに、交通事故などで発する「すみません」の言葉は、ある意味でこれを内包している言葉で、早く「水にながしたい」ことを言いたいのではないでしょうか。ビジネス活動の中で、この言葉を聞くたびに、私は荒木氏の主張を思い起こします。

 

 

 

第282回 集団の内側と外側の峻別

Posted on 2018-05-10

 今回は、ビジネスと少し距離のある日本的風土を取り上げます。

 

「誠に申し訳ない」発言

 最近よく耳にする政治家や官僚などがある嫌疑をかけられた時の答弁が、明らかに嘘とわかることが多くあります。そのような時の彼らの謝罪発言の中には、「世間に対して誠に申し訳ない」と決まった言葉が出てきます。セクハラに対して、その根拠は別としても自らは無罪と主張していながら、政治や世間を騒がせたことについては謝罪して辞任するという、このパターンです。

 論理的に思考をする人には、これは不可解です。「何故、それなら辞任するの?」、「誰に対して責任を取って辞任するの?」と不可解に映ります。

 彼らの発言の裏側にあるこの発想の根底にある世間は、実は社会ではありません。

 ここに言う世間は、社会ではなく、自分が関わっている限られた人間関係のつながり集団だと解釈すると、先の答弁も実に分かり易い。

 

自分とのつながり

 「俺は違う」と言う人もいますが、日本人には、「世間」の目を気にしながら生きている人が多いと思います。世間から後ろ指を指されないように、常に自分の言動に配慮しているのではないでしょうか。

 ここでいう世間とは何か。この定義は先ほど述べた通り、一般的には、個人と個人を結ぶつながりだと解釈してはどうでしょう。

 このつながりが個人個人を強固な絆で結びつけているのが、良い意味でも悪い意味でも、日本の社会に根づいている現実です。大学の同窓会、何々高校出身OB会、会社関係の年賀状など、形は変わってもつながっています。非常に大事なつながり、現実です。

 

内側と外の世界

 個人個人のつながりを得た関係上、ある意味その代償として、世間には厳しい掟があります。

 結婚式や葬儀での序列、何かを互助する際の金額の多寡など、我々が日常体験していることも、ある種の掟です。

 しかも面白いことに、内部で掟を守ることと同時に、内部での競争は出来るだけ排除されることです。その世間に属していない人々に対して、排他的、差別的になりやすくなるのも事実です。

 昔、出雲の田舎で部落の決め事のために行われていた定例の部落会は、内と外を峻別して内を守る掟のようなものがあったと記憶しています。

 

西欧の考え方との違い

 前段で、日本でいう世間は社会を意味しないと言いましたが、西欧では社会と言う時に個人が前提となり、その個人は何人にも譲れない尊厳を持って、その個人の集団で社会をつくっていると解釈します。

 西欧とひとくくりにするのは若干問題ですが、特に、キリスト教文明下では、絶対的な神に対しての個人と社会という関係が築かれており、ここにいう世間が登場しません。従って、個人の意思に基づいてその社会の在り方も変容してくることになります。

 ところが日本では、世間は個人の意思によってつくられると言うよりは、世間がほぼ所与と見做されることが多いのです。

 私自身、「独立自尊」を標榜して生活しているつもりでも、世間を意識しながら生活しているのが偽らざる気持ちです。私の中では、世間と社会を意識する精神性が両立しているのではないかと推量していますが、知らず知らずのうちに出雲の自宅の部落会の行事が頭をもたげ、世間から排除されないように日常の言動に気を付ける習慣が身にまとわりついているのではないかと思うほどです。

 

「農耕型企業風土づくり」の経営

 私が日本での経営には「農耕型企業風土づくりの経営」が適していると主張しているのも、このような背景があります。

 日本人の性格に影響を与えた最大の要素は、稲作農耕を基盤としてきて生活してきたことです。稲作には水が不可欠で、川上の村と川下の村の水争いがよく起きました。これを避けるため、普段から村同志が共同体を形成して部落会で話し合い助け合っていく方法がとられました。内側を結束させ強めることで自分が属している共同体を維持しようとする思想が根底にあるのです。

 水で結ばれ、土地で結ばれた村落共同体では何事も全員の賛成の上でことが行われ、村のリーダーの一番の仕事は意見の違いから起こるいざこざや反対者を「丸く収め」、世間に迷惑を及ぼさないことだったのです。

 このような風土を背景とする限り、日本では周囲と折り合いを上手くマネジメントして、競争社会という世間で生きるほうが成功しやすいのではないでしょうか。

 

 

 

第281回 経営戦略策定での基本考慮事項

Posted on 2018-05-03

 ビジネスにおいて、日常の業務の大半は予測可能です。いろいろなミスが生じても、原因さえ特定できれば修復可能なことが多い。修復の程度も測定可能です。

 ところが戦略、特に一定期間の長い戦略では、環境の変化、競合の進出も含めて多くの事象がランダムに発生し、しかも予測不能なことが多い。それまでの延長線上で事象が動く確率はかなり低いです。

 戦略を策定してみるとよく分かりますが、事象の構造を予測するのが極めて難しいです。

 

戦略策定の基本任務

 それでは何を目指して戦略を策定すればよいのでしょうか。

 私は1) 可能な限り予測ミスによる失敗を最小化し、且つ、2) リスクを考慮しながらチャレンジして、利益を最大化する作戦を考えることを戦略策定の基本任務と心得ています。

 

予測のミス

 まず、予測ミスを最小化する。

 変化が確実に起きる事象は、戦略展開の上で絶対に外せない。非常に重要なことです。

 日本で少子高齢化が起きている、更にこれが進むことは確実です。この事象を自社のビジネスとの関係でどう捉えるかは極めて重要です。このように確実性の高い事象は他にも沢山あり、しかも戦略に大きな影響を及ぼすので、予測から失念するミスは犯さないこと。

 誰でも、そんなミスを犯すはずがないと思っています。しかし、現実に戦略を策定してみると、動態変化の当たり前のことが当たり前なるがゆえに意外に無視され、結果、戦略全体の建付けに問題が発生し、やり直しになることが多いのです。

 少子高齢化の傾向と違い、蓋然性は高いが、その事象の発生自体を現状ではコントロールできないことも多いです。

 この場合も、その事象が発生したらどう対応するかの戦略を考えておくことも予測のミスを犯さない部類に入ります。

 具体的な例として、見えない競合会社が、もし自社の強みたるxxの領域に進出してきたらどうするかという対策を練っておく、これは予測の中に当然いれておかなければなりません。

 

リスクを取り、チャレンジする

 更に、戦略策定時には、一定のリスクをとり利益を最大化するにはどうするかを常に頭に入れておきます。

 利益を最大化するにあたり、既存のビジネスを強靭化する、また、特定の新規事業に挑戦することに焦点を当てることになります。

 それが上手く展開すれば、大きなメリットを受ける。しかし、失敗するリスクもある。

 ここにリスクとは危険のことではありません。事象の変動が不確実なことですが、いずれにしろ、事業リスクが発生します。

 リスクにより予期せぬ失敗をすることも計算に入れなければなりません。しかも、連携する戦略群の中でどれかの戦略が失敗しても全体が崩壊しない戦略を築くことが肝要です。成長の可能性と失敗して一部が崩れても全体が崩壊しない戦略を狙うことです。

 まず企業として最小限生き残ることを考えなければならないからです。

 リスク自体は企業の進化に不可欠なことです。マクロ経済的に考えると、個々の企業が破たんの可能性を持っていること自体も、進化にとって欠かせないことです。生物が死滅し別の生物に置き換えられることで世の中全体が進歩するからです。

 新規事業への投資も、ある種企業の進化の過程です。会社が進化発展するために、安定軌道だけではなく挑戦のリスクもとる。

 しかし戦略を策定するうえで、忘れてならないことは、戦略全体が崩壊すれば、それまで改善や効率化の努力をいくらやっていても、崩壊のリスクによってみんな無意味になることです。従って、戦略ではまずもって全体崩壊のリスクを抑えるボトムを絶対考えておかなければなりません。

 

全体崩壊しないために、いろいろな失敗から学ぶ

 どうすれば全体が崩壊しない戦略が策定できるのでしょうか。

 頭の中でいろいろなシミュレーションをする、案件によりベンチスケールの実験をすることは当然のことですが、過去の失敗事例を活かす、そこから学ぶことです。

 ビジネスの分野とは違う安全性の分野の例です。飛行機の墜落などの事故データを思い描いてください。残念な失敗の事実から学んでいます。将来の飛行が少しでも安全になる仕組みを組み込んでいます。不謹慎な言い方ですが、どれかの飛行機に不具合が発生しても、他の顧客は巻き添えにならない。ある種、互いが独立して同時に崩壊しない仕組みです。分野は違いますが、このような戦略です。

 また、我々は過去に、津波への対応で沢山の失敗をしてきました。今後も発生する確率は極めて高い。こんなに科学技術が発展しても予測は難しい。しかし、過去の失敗からは学ぶことはできます。

 波のパワーと高さが決定的に問題ですが、逃げる時間的猶予はある程度あります。人間が早く到達できる高台をつくる、逃げ道をつくることで、少なくとも生命の安全は対応できる部分が多い。一部は被害を被っても、全体(人間)が壊れない仕組みです。

 「どうしてこんな全体が壊れやすい戦略を作ってしまったのだ!」と、叱責されないために、競合会社も含めた失敗の事例からも学びます。

 ビジネスの世界では、これを事例として開示しているところは多くはありません。したがって、いろいろなところからの情報に頼るしかありませんが、努力次第で入手可能なものも多いです。

 是非、全体が崩壊しない戦略の策定に、皆さん努力して下さい。