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折々の言葉 / 風土

サクラ

Posted on 2014-04-24

 今の季節、関東地方では満開の桜の花が咲き終わった頃です。

 桜の花の散る姿も風情と趣を感じるのは私だけでしょうか。散った花弁が、庭の苔の上に落ちる。苔の緑色と対照的なピンクの花弁が何とも言えず映える。踏み石の上に数片の花弁が張り付くごとく頑張っているのを見るのもいじらしい。馬酔木の木の緑の葉の上には、土面にいきなり落ちないで頑張っている花弁もあります。

 また、面白いのは、風が強い日など、落ちた沢山の花弁が造る集合模様です。特定のたまりに集合、また、違う風に流されて、たまりの場所と形状に変化をきたす。風情を味わえます。庭においてある水瓶の水面で、漣に揺れる桜の花弁も奥ゆかしい。

 それまで頑張り我々をたくさん楽しませてくれましたが、最後は色あせ乾ききって、知らぬ間にどこかに消えていくこれらの桜の花びら。

 毎年街中に残るこの桜の場面。幸いなことに、我が家でも年一回必ず訪れてくれる風物詩の一つです。

 しかし、これが山の中に行くと全く違うのが面白いです。街中で咲き終わった頃に富士山の裾野に行くと、違う咲き方をしているのです。それまでは気づかなかった山の中の沢山の白い色。山の端に見える桜並木です。植えた吉野桜と違う、天然の山桜。色は若干白く、冬から覚めた木々の若芽と一緒にバランス良く咲き始め、山が白くも、少し赤くも映ります。

 また、花より団子。八重桜の葉を塩づけして桜餅として食べる時の、桜の葉の感触と香りも、これまた趣があります。

 様々な思いを抱かせるこの桜。桜自身はただ一生懸命咲いて散っていくだけなのに、桜がいろいろなことを感じさせる。否、感じる我々日本人の鋭い感性に、我ながら感心します。梅もそうですが、古来、桜が生活の中に登場する場面は、我々がこうありたいと思う何かを、桜の態様に似せて表現したいということなのかもしれません。

 この桜の季節が終わる頃になると、芽吹く新芽の朱色にどことなく新しいページを感じます。

 期待と不安の入り混じった、複雑な気持ちを抱かせます。何かにチャレンジしたい思い、しかし、少し不安。私にもこの時期撮ってもらった昔の写真があります。桜を背景としてランドセルを背にした小学生の写真。楽しそうで、また、不安そうな顔をしています。

 この時期、学校では新入生が登場。ビジネスの世界では新人が入社。ビジネスマンが心機一転何か新しいことをやりたいと行動に移すのが大体この時期と重なるのも、何か不思議な縁がありそうです。欧米にならって9月入学の新しい制度を導入する大学では、このような風情が全く消えてしまう。

 西行ならずとも、桜や木々が新芽への移りゆく姿から、何か心の中での変化、特に、今の季節に「わくわく」感じるこの心の高ぶりを楽しめなくなるのが残念至極。その国の自然や風土の中で根づいたいろいろな制度も、時の流れの中で変化してしまうのでしょうか。

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