園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

人口

第176回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(6)

Posted on 2015-10-15

前回からの続きです。

 

地方の疲弊と街づくりのコンセプト欠如

 人口が減った上、首都や一部の大都市に経済活動が一極集中する弊害に対して、現政権でも大きなかじ取りをしているようには見えないのが残念です。過去には、人、物、金、知恵が三大都市に集中していたメリットも沢山ありました。しかし、今はどうでしょう。国家の戦略自体が分散型に変わったはずなのに、実体は、「なるようになる」的にしかなっていないと映ります。

 特に、地方が悲惨です。

 地方で得意なはずの農業、漁業、林業を含む経済活動が、活性化しているとは、とても思えません。私の出身地の出雲の田舎でもペンペン草が生い茂り、前の湖の景色全体も雑木が生い茂って何とも殺風景な景観になりました。これまで耕作されていた湖付近の田んぼも休耕となり、葦が繁茂して湖が見えなくなっている状態です。

 景色を懐かしく思っても意味が薄いのですが、仮に観光などで栄える街にしようとの発想があるなら、行政としてのやり方、予算の配分などで一考するところが多いのではないかと思います。

 村が町になり、市に統合されても何も変わらないのは何故でしょう。

 それではまずいと、一部の中都市では、少ない人口を特定の地域に集約化して、住民の機能を集中する議論がなされています。この集約化で数十万の人口を集積させ、コンセプトを明確にした都市をつくるのも一つの方法です。例えば、観光、ハイテク、林業と材木加工、漁業と加工生産など特色あるコンセプトに衣替えし、特色ある街にするのも地方の活性化につながるのではないかと考えます。

 その衣替えを実施する場合、競争原理を導入していく必要を感じます。地方のサービスの生産性は、アメリカの地方のそれに完全に負けています。

 ローカルの疲弊の原因は、不完全競争が一般的なので、問題点があからさまに出にくい環境があるのも一因です。これでは、なかなか雇用の淘汰や移動が起きにくく、サービス生産性は落ちます。結果、地方の企業が共倒れ状態になります。

 この労働移動を促進するには、地方では金融機関がカギだと考えます。自治体との協力の下、経済性を前面に出し、淘汰した企業の雇用を吸収出来る新しい産業を起こすコンセプトを実行に移すため、地方では金融機関が大きな役割を果たせるのではないでしょうか。

 

所得格差の萌芽

 日本にもアメリカ流の考え方がビジネスの世界でいろいろ導入されてきています。もちろん良いものも沢山あります。しかし、考えさせられることも沢山あります。

 一つは、経営者の報酬です。ある有名なメーカーでは外国人を社長に据え付け、多額の報酬を約束しました。その金額は、普通のビジネスマンの年収の100倍ほどです。

 この金額が妥当か否かにはいろいろ議論があります。しかし、どんなに優秀な経営者でも、一生懸命に仕事をする社員100人分の働きをするのでしょうか。経営の仕事と普通の仕事は違うと主張しますが、私の経営体験では、その差額が妥当なほどのリーダーシップがどんなものかについては大いに疑問を感じる次第です。この報酬体系が、今後所得格差を大きくする原因の一つです。

 もう一つは、金融業に従事する人の給与です。

 現時点の日本では、アメリカほど金融がビジネス界を凌駕していないのが幸いです。金融界で仕事をする人々で異常に高額な給与を得ているビジネスマンは、外資系などの一握りの人びとです。成功報酬、しかも、短期的な成功報酬のスキームで高額な報酬を得る人々で、今の日本では限定的なのが幸いです。

 今のうちにカネが全ての社会にならないよう、ある種の歯止めが必要です。これ以上、この傾向を強くしないように、株主のみならず国民による監視責任があると考えます。

 

 

 

第175回 多極化時代の世界とアメリカの現状から学ぶこと(5)

Posted on 2015-10-08

前回の続きです。

 

日本の将来を考える

 他方、日本はどうなっているのでしょうか。ハンティントン氏の主張する8つの文明の中で、日本は今後どう変わっていくのでしょうか。アメリカの現状から学ぶ点がいくつかあると思います。

 

日本の現状に対する認識

日本では、

・高齢化が進んでいます。

・経済は、東京など一部の大都市中心で、ほとんどの地方が大変な状態です。

・所得格差も拡大し、以前より中間層が減ってきています。

・日本は、マクロ的には、ギリシャ以上にプライマリーバランスが悪化している財政赤字国です。

・国際政治の中で相対的位置づけが落ちてきています。

 

人口減少と高齢化

 まず、アメリカの現状と日本のそれとで一番違うのは、人口数の趨勢です。

 アメリカの人口は2004年に3.2億人で、世界で第3位です。今後も人口の増加傾向を示しています。増加分の43%がヒスパニック系という問題を抱えつつも、確実に総人口が増加しています。

 ところが、日本の総人口は、世界10位で1.3億人です。2050年には、1億人前後、2100年には6000万人を下回り1930年前後の人口になります。しかも、65歳以上が5%だったのが、33%となるとの試算があります。これは今の出生率から簡単に試算できる数字です。当然GDPも減少します。

 15才から64才までの生産人口は、今や8000万人を下回る状態です。人口と経済が減少に移行しつつある状態です。

 人口が減ること自体が絶対的に問題か否かは、国民の価値観や考え方により違う答えが出ると思います。

 しかし、ハンティントン氏の分類による日本の誇れる文明が今後も生き残るには、人口の絶対数は重要な意味あることではないでしょうか。人口と経済の成長率との関係は、過去に証明済みです。力をつけつつある他の文明の人口は増加こそすれ、減っていない現実があるのも事実です。

 

全世代を含めた家族全体を捉える視点で出生率を捉えること

 日本はアメリカと国の生成過程が違うため、移民政策には厳しい条件があるようです。この是非は別として、大量の移民で日本の人口減の歯止めをするのは、どうも現実的ではありません。

 だとすると、やはり結婚、出産、育児の過程で女性の負担をどう軽減するかの、国民的な合意を得た総合的な国家政策が不可欠だと考えます。出生率の低下が原因で、これに対する国家的施策です。

 この時、単に女性の平等を唱え、企業の幹部職の比率を男性と同率にする云々の、個別のテクニカルな議論より、出生率の低下の原因を食い止める抜本的で整合的な国家政策が必要ではないでしょうか。教育、住宅、税制等を含めた、国全体として取り組むべき国家戦略です。

 新聞報道などを読む限り、首都圏では保育施設の不足で待機児童が発生していること、「幼保一元化」が役所や法律のせいで進んでいないこと、児童手当が老齢福祉年金より低く抑えられていることなど、現行の制度はあまりにも個別・短絡的で、視点がずれています。

 高齢者に焦点をあてすぎ、家計や世代全体をふくめた家族の問題として捉える総合的な視点が余りにも不足しているのではないかと思います。

 元来日本人が重要視していた、おじいちゃん、おばあちゃんから孫までの家族全体に光を当て、その中で女性や出生率を考える視点こそが、人口問題を解決する基本ベースだと、私は考えています。

 そうでない限り馬に念仏で、個別政策が空回りするのみでこの問題は解決しません。人口政策の国家戦略欠如を問い質したいのです。