園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

こころ

上司の“こころ”のケアと称する甘え

Posted on 2013-04-18

聞いている、聞いていない

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」と突然怒りだす人がいます。

 私も過去、部門を任せていた組織の上層部の部長がその部門の部下に対してこれに類した発言をしていたのを、横で見聞きした体験が何度となくありました。その発言に至ることになった正当な経緯が無くはないと思ったこともあります。

 しかし、いま振り返ってみれば、ほとんどの事象が見苦しく映ります。

 アクセスしようと思えば、その上司は事前に関係する情報にアクセスでき、「俺は聞いていた」ことばかりです。部下は簡単な口頭報告をしているはずです。

 部下はその件の相対的重要性の低さと、他の案件に関わる上司の多忙さをおもんぱかって、その上司に個別具体的な詳細説明をしなかったようなケースが多いはずです。全くの善意からの場合が多いと思います。

 このような発言をする上司はほとんどのケース、自己採点は高いが、会社全体の管理者で実施する相互評価点の本人分は低いはずです。

 自分の力量のなさ、自分を大きく見せたいことの裏返しとみるこの発言が「何だこれは、俺は聞いてない!!」となる場合が多いはずです。この一言で業務がすべてストップしてしまいます。

 このことでその上司は周囲を戸惑わせ、自分の権威を誇示しているようですが、部下たちは普段から自分の目で見ていますので、発言の背景をすべてわかっています。

何故、この発言?

 なぜこうなるのでしょうか?

 最大の原因は、この上司の精神的弱さにあるかもしれません。見くだされ感で不安なことは、存在感の誇示と裏腹の関係です。部下に対して自分の“こころ”のケアまで要求しているのです。

 このような方法以外で自己の力を誇示ができない精神構造があるその上司は、かわいそうな存在です。判官びいきの多い軟な組織では、その人へのひいき目が前面に出やすいことになりますが、これではその会社の成長は危うくなります。

 どうせ力が不足しているなら、業務をストップさせないような判断や指示にしてもらいたいものです。

 その方がその部門の業務がスムーズに回るからです。業務の重要性の尺度をもとにそれが部下からの具体的な内容説明をもとにして、合理的な判断を下すべき案件か否かを、日常的に部下がわかるようにしておくという上司の本来の責任を全うしていれば済むはずです。

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」というこの現象面のみをとらえると、私の主張する「農耕型企業風土」づくりの経営の中の“こころ”のケアに関する主張と一見似ていますが、全く似て非なるものです。

 私の「フォーミュラ」では本来上司が部下の“こころ”のケアをすべきなのに、この場合逆転しています。部下には上司の生殺与奪の権限が全くないのに、上司の“こころ”のケアまで要求されるることになります。

 “こころ”のケアと称して上司のメンツのみを重視する風土は、部下が上司に媚を売ることにつながり、組織として生産的・民主的な話に全くなりません。社員への公平な対応を期待できなくなります。

 困難にあたっても、一つの目的に向かって全員一致して解決の努力を惜しまない「農耕型企業風土」づくりの中での上司、部下の姿とは違います。

 上司という個人を部下全員が、なんとなく腫れ物にでも触るごとく世話をするという、全く非生産的な強権的な組織に成り下がってしまうという意味で組織の本質的な欠陥を秘めています。

対応策

 どうすればよいでしょうか。突き放すことです。大人になった社会人です。

 そのような甘えの構造がある限り、「自分は特別だ」という職位やタイトルの庇護のもとに相手を従わせる性癖の人だからです。目を覚まさせる必要があります。突き放すことで自分の置かれた立場の理解と、自らが部下の育成に責任ある行動をとらねばならない自覚を持つことに気づく時が来るからです。

 さもなくば、もっと部下の少ない部門に配置転換すべきです。そうすれば自分の立場で「仕事をする」ことが何を意味するかを自分で理解するはずです。積年このような庇護のもとに育ってきた企業風土の弊害で、会社の成長のスピ-ドを鈍化させていることを本人に理解させねばなりません。

 皆さんはこのような上司にならないことを、切に祈願します。

 

自分の「心」をどう整備していますか?

Posted on 2013-02-07

 2012年1月、NHKラジオであるアナウンサーが、元大阪大学学長で現大谷大学学長の草野顕之氏にインタビューをしていたのを車の中で聞いた記憶があります。その中でアナウンサーは、司馬遼太郎氏が言っているという「40周年説」を話題にしていました。

 明治維新(1868)から40年で日露戦争(1904)が起き、さらに第二次世界大戦(終戦)(1945)、高度成長期(1990)、そして今が衰退期で右肩下がりの時代であるという司馬遼太郎氏の主張を紹介し、「右肩下がりの時代は親より良い時代ともかぎらないですね」とコメントしていました。

何かが満たされない今

 それに対して草野学長は次のような内容で応えていました。

 「今の時代と私の時代の大きな違いは、私の時代は全てが親を超える事ができました。給料、部屋、自動車などあらゆるものが、前の時代より良くなりました。私の時代は親兄弟が皆同じ屋根で一人部屋が欲しかった。今これが実現してどうなったのでしょうか?」

 「今回の東日本大震災で分かった如く、それぞれが分離されていることより、逆に、皆が何らかのまとまりや絆を欲している時代になりました。満たされた後の心の部分に何か欲しいものがあるのです」と。

 今の時代、人間の本質的部分が満たされていないのだと思うのです。短期的には景気の回復期があるとしても、長いスパンで考えると景気変動的には、日本がある意味で衰退期にあるのではないかと思うのです。

 悲しいことですが、これが今の時代の現実ではないでしょうか?こういう時代ですから余計に人の心が荒れることがあると思います。人間である以上、悩み事から心が乱れることが誰にでもあります。私もあります。これはある意味で人間が生きている証拠かもしれません。この心の乱れを整備するのは簡単ではありませんが、私がしていることが多少のヒントになるかもしれません。

心の乱れの整備のために

 第一に、心が想定以上に暴れる時も皆にあります。何か自分にとって想定以上に嫌なことがあった時、程度の差こそあれ皆心が暴れるものです。私の隣人の住民も、年に数回心が暴れ周辺に暴言を発します。

 そのような時は、周囲も本人も無駄に抵抗をしないことです。時間が解決することがほとんどだからです。少し早く鎮めるために、まず自分の置かれた環境を変えてみるのも方法です。

 私は花が好きなので、ホームセンターで時間を過ごし気分転換のため遊歩道を散歩します。読書のため机に向かいます。女性など美味しい食事を摂るために外出するなども方法かもしれません。

 問題は、この環境変更も意識的にしないとできにくいことですので、日頃から自分のオプション範囲を見つけておくことです。

 第二に、本人がnegativeからpositiveな自分に変える工夫をすることです。このような状態では、「なぜ、自分はこんなに駄目なのだろう・・・」と自分を追いやるnegativeな発想の方向に走りやすいので、周辺から本人が自己否定から入らないようにサポートすることです。

 私の周辺にも自分を追い込むタイプの人がいます。そのような人にアドバイスするには、本人が聞き入れてくれるような人間関係を普段から作っていることが前提です。私の言う「湿り気のある関係」づくりです。

 「こんな厳しい状態だがこれを奇貨として、逆にどう発想・活用したらよいのだろう?」と自分自身にpositiveな質問を投げかけることをアドバイスしてはいかがでしょうか。positiveな質問を投げ続けるのです。

 人間の脳はよくできたもので、質問に忠実に応えようとするメカニズムを脳の働きとして持っていることを学びました。したがって、友人か本人が投げかける質問の性質が重要なのです。

 自分自身でもこのことが実感として良くわかります。過去逆境にあったとき、「これ以上マイナスになることはない。どうやったら会社を上場できるのだろうか?」と、海のものとも山のものともわからない会社の状態でも常にpositiveに考え続けて、実現に質問を投げ続けて上場までこぎつけました。

 第三に、「相手はあなたの鏡である」という本人自身の認識です。多少高度な努力と我慢が必要となります。

 私の体験でも、良くできる営業マンほど、顧客の好き嫌いを口にしません。特定の顧客が嫌いと思う気持ちがあると、相手にそのことが伝わるからではないでしょうか。相手があなたの鏡で、あなたが嫌いと思うとそのことが言葉に発しなくとも相手に伝わるからです。

 したがって、好き嫌いの発想をなるべく排除して、行動にあたっても好き嫌いからでなく仕事の遂行という立場に戻って考えているかがポイントになります。特に、経営者にとってはこの行動のための努力と我慢の連続です。

 第四に、どこでも言われることですが、毎日感謝をする気持ちを持つことを植え付けることです。悩みが多いと誰でも溜息が多くなります。

 そこで「ああ今日もよかった」、「今日一日社員が頑張ってくれてよかった」と、感謝の気持ちをストロークで投げかけるか、その気持ちをあらわすことです。

 感謝の中にしか本当の癒しはないのではないかと思うからです。感謝して自分のプライドが傷つくわけではなく、むしろ、自分の心が温かくなるはずです。自分自身の生き方につながります。