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折々の言葉 / 時代認識

国家とは何かを考える(1)

Posted on 2014-06-19

 私は最近、国家という得体の知れないモノが不思議に思えて仕方ありません。

 いろいろなところで国家の在り方が特徴的にみられる事象が発生しています。ウクライナなど国家間の紛争、官僚による、国民から集めた税金の特定事業等への配分、一人一票の国民の投票価値の毀損などの最近の事象に遭遇すると、一人一人の国民の意思や権利が、国の政治などの中で本当に反映されているのかを考えさせられることが多くあります。

 

国民と外交

 ウクライナをめぐる、ロシアとアメリカを中心とする7か国のここ数か月に亘る攻防。

 ウクライナという国家を維持存続させ、自国民の権利を守るために旧ウクライナの代行リーダーと、新たに大統領となったリーダーの必死に頑張る姿が映像に映し出されている反面、G7各国とロシアの首脳の交渉ぶりを映像で垣間見るに、両陣営の首脳ともウクライナという国家とその中に住んでいる国民のことを、どう真剣に考えて対応しているのかが全く見えてこないのが残念です。

 自国の利益をどう確保するかのみに判断軸の中心をおいて対応しているのではないか、という印象を受けるのは私だけでしょうか。「これが外交である」と言えばそれまでですが、これらの情報に接するたびに、国家とは何かということに素朴な疑問が湧いてきます。

 

祖国を愛する心と国家主義

 国家の中にはいろいろな民族がいます。○×民族や○○民族が住んでいて、社会生活を営んでいます。この民族は当然土着の風習や宗教を持ち、周囲の他の民族との折り合いをつけながら安寧に生活しています。

 何らかの時に、誰かがこの民族を、ある種束ねる目的で線引きをして国家を形作ってきていますが、これが物事を複雑にします。中の住民の意思とは関係ない理由で線引きされた国家の中に、特定の民族が属すことになることもあります。一つの国家の中に多民族がいる、また、一つの民族が多国家にまたがり、隣の国家との関係が上手くいっていない中で苦痛を強いられているなど、いろいろな問題も派生していきます。否、むしろこのような複雑な状態こそが現実の世界です。

 ここにこそ、それぞれの民族の自治と自由度を含めて住民の意思を尊重し、国全体を統治していく相当高度な政治的リーダーシップが必要とされています。愛国心のPatriotism(祖国を愛する心)があるのは当たり前としても、Nationalism(国家主義)の高揚を政治的に利用するリーダーシップは時代遅れだという認識を持たねば、この複雑な状況を統治するのは今や至難の業です。それほど国家のリーダーの時代認識、さらに、仁徳と力量が要求されます。そうでない場合、統治される国民の側からすれば、彼らが国家の中に含まれるメリットを全く享受できないか、時には有害にすらなるかもしれないからです。

 

国家のリーダー

 にもかかわらず、一部の国のリーダーは、19世紀から20世紀初頭の頃の帝国主義国家のリーダーになりつつあるのではないかと、私には映ります。国民のナショナリズム(国家主義)を鼓舞して領土や領海の覇権を競い、海洋を含む世界地図の分捕り合戦を再度展開している有様です。当然の流れとして、国民という土着の民族の安寧等はどこかに飛んで行ってしまっている状態です。

 このように、中に居住する国民の生命・財産が危うくなると、国民の心理は、「強い国家の庇護のもとにいるのが安全」という方向に靡きがちです。国民はそのような強い国家の国民になりたいという錯覚も抱きます。

 しかし、世の中、そんな余裕のある国は数えるほどしかありません。しかも、それを長年維持できる力を持った国などほとんどない状態です。とすると、軍事的に強い、弱いという判断軸で国家主義のもとに国民を愚弄するリーダーの戦略は、それぞれの民族や国家の維持発展のためには全く間違いであることに、一部の国のリーダーは早く気づくべきであると思います。そうでない限り、民族を束ねる国家としての役割がますます疑問になってくるからです。

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