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折々の言葉 / 語り継ぐ経営

第149回 トーマス・ピケティから学ぶ(2)

Posted on 2015-04-02

前回の続きです。

 

5.豊かさと経済成長

 ピケティ氏は経済成長だけで国民の豊かさが達成されるのか、あるいは、この限界があるかについて直接は触れてはいません。しかし私には、彼が格差の議論で間接的なメッセージを送っているとも受け取れます。

 グロス(粗)のGDPで測るかネット(純)のNNPを測定単位にするかは別にして、それがうんと低い国では、経済成長と国民の満足がある程度比例的な関係にあることは事実だと思います。低所得から抜け出してテレビや洗濯機を購入できるようになった時代に、生活の豊かさを感じたことを思い起こします。

 しかし、更に経済成長が達せられ先進国となった現在の日本では、GDPやNNPが増えたにも拘わらず、国民の生活の満足度は必ずしも上がっていないように思えて仕方ありません。すなわち、今の日本では、経済の成長と、生活の豊かさ、満足度との間にあまり相関は見られないように思います。 このような個人的な思いから眺めると、ピケティ氏から第三の主張が出てくるのも一部頷けます。高所得者への累進課税です。

 今のグロ-バル経済は、巨万の富を築いた一部の個人が一国の富を上回る富を持つまでになっています。あの豊かなアメリカでは、数パーセントの最も裕福層が国富の過半を持ち、大量の最下層の人々は国富の数パーセントしか持たないと言われているほどです。このような状況下では、アントレプレナーシップを害さない程度で、資本所得より労働所得への分配が必要になるかもしれません。

 これを解決するために、世界的な資本税としての累進課税を、彼は説いています。

 

6.ピケティ氏から学ぶ

 さて、我々は、ピケティ氏から何を学ぶかです。

a)当然の帰結として、その教訓は、成長率を上げてgが少しでもrに近づく策を官民挙げてやることです。

 具体的に何が出来るかです。先ほど述べた通り、日本のような先進国では、年率2%位の成長率を維持するのも大変ですが、それでも経済を成長させながら、ハイパーインフレにならないように、安定して成長できる仕組みを国全体で作らなければならないと考えます。国家戦略を、得意とする技術開発で世界をリードできるものにシフトする、これまでさほど真剣に取り組んでいなかった観光産業などへの取り組み、国の自然エネルギー資源をもっともっと有効に利用する先鞭をつけるなどです。gを高めることで、少しでも格差の縮小に努力すべきです。

b)働く人々の生活のスタイル、価値観を変えることも必要です。

 成長で豊かさを享受することの限界も、彼の本から明らかになったことを我々は知りました。だとすると、成長を構成する要素たる所得の伸び率、投資の量や消費の量を尺度とする現在の価値観を変える時かもしれません。

 所得や投資や消費の拡大量で測らない価値観です。それは、個々人がどのような生活を望むのかを、一度真剣に問い質すことにもなります。朝から晩まで仕事ずくめの生活で所得や消費の伸び率を競うことが、本当に皆が望むものなのかです。もし、それを望まないとすれば、その価値観を実現するために、働くことのスタイルや消費選択の幅を多くできる環境が日本全体に必要となります。仕事と余暇のバランスが叫ばれていますが、これも一つの流れです。所得や消費の量のみで測定せず、人々の生活の自由度と自らの能力や志を活かせるフレキシブルな環境づくりを、官民あげて取り組むべき時期ではないでしょうか。

c)ところで、国自体が滅んでは元も子もありません。

 翻って、新聞などで国の財務状況を見ると、厳しすぎる現実があります。株式市場で民間の成長率の高さが叫ばれていますが、日本政府はGDPの二倍以上の債務を抱えて国自体は借金地獄の状態とのことです。

 この状態でも、GDPの100%の金融資産と100%相当の金融以外の資産を持っているので、資産と負債は現在ほぼ釣り合っているから安心だという論者もいます。しかし、本当にその資産は安心できるものでしょうか。日本の保有する巨額の対外純資産、特に、金融資産の一つである外国の国債の価格の下落などで、いとも簡単に不均衡が生ずるとすれば、これは安心できない大きなリスクが内示していることになります。

 この状態を抜本的に解決するには、所得の低い層に負担をかけないある種の税など、国民に評判の悪いことでも早期に着手しないと、将来のB氏に代表される日本人が大変な生活を強いられることになるのではないかと思うのは、私だけでしょうか。

 

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