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農耕型企業風土

第184回 今の日本には「農耕型企業風土づくり」の経営が必要とされる(2)

Posted on 2015-12-17

前回の続きです。

 「農耕型企業風土づくりの経営」は、組織を構成する個々人に自分の仕事はしっかりやりぬくことを要請しますが、決して個々人を他の人と孤立する関係に置くのでなく、むしろチームとして助け合う関係に置きます。一緒に楽しく仕事をするもので、ましてや禁欲的な勤勉さを要求するものではありません。そのような働き方では会社と社員、社員間の信頼関係の醸成が疎外され、結果として社員の勤務期間が長続きしないからです。

 

日常的な運営の主役は現場の社員

 この経営では、企業が目指す戦略や目標がまず設定され、これを効果的に達成するための手段や行動の選択肢を社員に落とし込みますが、同時にその手段を上手く使いながら諸問題を現場で解決するもので、この経営の日常的な主役は、構成する社員そのもの、彼らの主体的なアクションの集合になります。

 経営層が決定した戦略や目的に表現されているある種の思想に、彼らが主体的に共感するには、経営層の常なる努力や熱き思いが必要です。これを何回も説くうちに社員の胸の内に落ちて社員間の連帯感が醸成され、組織が「燃える集団」化するのが理想です。結果として、日常の業務の中での日本的経営の特徴と言われる「改善」や行動の徹底化といった精神的支柱をつくることにつながります。まさに「企業風土づくり」そのものとなるのです。

 本年の12月中旬、大阪でかつての部下の飲み会がありました。30数名参加したとのことです。あいにく所用で参加できなかった私は幹事さんに一言挨拶を託しました。拝見した動画には、感激して言葉を詰まらせるS氏の姿などが映っていました。「企業風土」が「園山イズム」までのレベルに達していた証左を垣間見た感じです。彼らがリーダーとして独り立ちしてくれている姿を拝見したのが何より嬉しかったです。「企業風土」が人材づくりにつながったのです。

 

誇るべき「5S運動」と家族的連帯感

 そもそも日本で近代的な経営を導入しはじめたのは、明治の時代に入ってからです。当時の欧米流の経営を導入して、何とか欧米に追いとこうと、先人が並々ならぬ努力を注いだことには頭が下がります。

 欧米流の良い所を導入しつつも、片方で、日本で特色ある経営スタイル、いわゆる家族的経営スタイルも注目されてきました。これにより運用された5S運動」なども、日本企業の競争力の原動力となったのはご承知の通りです。整理、整頓、清掃、清潔、躾の徹底です。社員の活動の中にある種の家族的連帯感を植え付けることで生産性を向上させる手法です。

 実は、これが上手く作動した背景は当時の日本に終身雇用の制度があったからです。その企業に入社することは、先輩や後輩と一緒に家族として「同じ釜の飯を食う」感覚でその企業の発展に一緒に努力をし、自らもその恩恵を享受するという時代でした。

 

短期志向、数字先行の経営へぶれる

 しかし、第二次世界大戦後、というより1980年代ごろから欧米の経営が株主重視、数字先行型の経営に変貌してから経営がぶれ始めました。日本でもグローバル化の流れに乗る口実の下、1990年代頃には、短期志向、数字先行の経営に傾き始める企業が増えてきました。「5S運動」などに代表された日常の活動の中に改善を見つけ、それを徹底する行為の中で社員間の連帯意識を植え付けようとする余裕もなくなってきました。「短期的に利益を追う、数字目標のみを狙う、一株当たりの利益を上げること」が最優先され、それに直接的に役にたたない活動は非効率、非合理的として排除される傾向が出てきたのです。

 雇用形態も終身雇用から流動性のある雇用環境に大幅に変わりました。誠実に任務を実行していたが、何かの事情で残念ながら会社を去ることになった時、感謝の心を持って会社を去るという姿が無くなったのは残念です。反面、非合理的なことを極端に排除することで、社員の忠誠心を失い、ノウハウは伝承されず、結果として、企業の中・長期的は発展につながらないことが、心ある経営者にはわかってきました。

 

成長し続ける企業の特徴

 私が観察する限り成功をし続けている会社の特徴として、その呼び方はいろいろあるとしても「農耕型企業風土づくりの経営」の要素を備えています。すなわち、戦略や目的を重視することと併せて、社員間の連帯、信頼、チームワークなどを重視している企業が成長を続けているのです。

 他方、株主満足を前面に出し、コストや数字、サプライチェーンや資本効率のみを多くの企業が重視しています。

 勿論、これを無視した経営は成立しません。しかし、もっと卓越した企業になるためには私が言う「内臓部」の活動、社員行動にインパクトを与える「ソフトの面」を重視しなければならないと思います。

 

「ソフト面」の重要さ

 私のビジネスモデルを説明するために、「骨格部」と「内臓部」の関係を体系的に整理していますが、今回はこれを省き、「内臓部」の「ソフト面」のみに焦点を当てることにします。社員の自主的な働きぶりに直結するからです。

 

 

第183回 今の日本には「農耕型企業風土づくり」の経営が必要とされる(1)

Posted on 2015-12-10

 今の日本の経営には、私が主張する「農耕型企業風土づくりの経営」を必要としています。欧米型でなく日本独自の特色を活かした経営スタイルです。今こそこの経営方式を沢山の企業に広めていく必要を感じます。

 何故なら、欧米型の経営、特に株主のみを優先し極端に短期的な数字を追及する経営では、あらゆるところに限界が来ているからです。社員の会社に対する忠誠心は今や過去最も低く、ほとんどの社員が少しの給与差で転職を考えているとの統計資料もあるほどです。すなわち、最も重要な資源たる社員からもそのような経営に対する信頼性が下がってきていることです。

 

今、必要とされる経営スタイル

 私の主張する「農耕型企業風土づくりの経営」の方が、企業の中・長期的成長・発展を図ることが出来ます。この経営では、経営の定石を18に区分けし、これを大枠、経営の「骨格部」と「内臓部」に区分けます。エネルギーロスを少なくし組織を円滑に運営できる「仕組」も当然この中に入っています。

骨格部は、経営の戦略や目的を明確にして社員を一つのベクトルに持っていく仕掛け部分です。

 また、内臓部は、経営の戦略や目的を組織の末端まで浸透させ、社員が一丸となって連帯して活動できるための血液循環作動部分です。

 詳細は後に譲りますが、欧米型は、「骨格部」に力点を置きすぎる経営です。最近の日本でも欧米の影響を受け、残念ながらこの軸に偏る経営を見てきています。「内臓部」にうんと力点を置いた経営は、かつての日本の家族的経営スタイルです。

 

ビジネスモデルの「フォーミュラ」

 骨格部と内臓部の18の「定石」を上手く運用して、「農耕型企業風土づくりの経営」を通じて企業の中・長期的な成長・発展を図れるビジネスモデルの「フォーミュラ」は以下の通りです(参:『これからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』、ネットスクール出版)。

このビジネスモデルで成長するフォーミュラ(公式)

「いろいろな施策で社員を幸せにすると、本人(社員)の心理と脳の特定の働きかけにより社員のモチベーション、創造性、革新が高まってイノベーションをもたらし、本人と会社の成長に導く。」

これが「農耕型企業風土」づくりを通じて会社を成長させる「フォーミュラ」です。

この「フォーミュラ」を分解すると、

1.「対話をする」「場をつくる」などのいろいろなステップを踏んで社員を幸せにする努力をします。

2.この社員を幸せにするステップが本人の心理と脳の特定の働きかけにより、社員のモチベーション、創造性、革新性を高めイノベーションをもたらします。

3.このように個々人の社員の心を「わくわく元気」にすることが、チームプレイや人間関係を重視する環境と相まって個人の成長のみならず、組織集団のパワーアップをもたらし会社の成長につなげていきます。

この「フォーミュラ」の特色は、いろいろな施策や仕掛けを通じて社員の幸せ感を維持する努力が会社の成長につながることを意味しているもので、極論すると、会社の成長が社員を幸せにすることではないことを強調したものです。

 

欧米の短期志向の経営スタイルからの揺り戻し

 私は、過去約20年間の経営を通じて、これらの双方のバランスを貫く経営が重要なことを実証してきました。日本人を中心とした経営組織集団で成功する秘訣とも言えます。同種同文のアジアの地域でも同様な経営が必要と考えますが、個人的にこれは未実施です。

 この経営に「農耕型企業風土づくりの経営」と名前を冠したのは、余りにも欧米型の経営が跋扈し出して、「内臓部」の構成要素である社員のチーム力や働く人々の個性や意欲を軽視した経営に対する揺り戻しを強調し、日本的な経営の良さを敢えて前面に打ち出し、軸を戻すためでした。

 組織の一員として、ビジネスマンである前に皆一人の人間であること、その人間が意欲を持って主体的に何かを成し遂げようとするには、働きやすい特定の環境、私の言葉で言えば、良い「企業風土」なるものが必要であることです。どんな崇高な戦略や目的を経営者が明示しても、これが構成する社員の思想にまで浸透しなければ絵に描いた餅です。社員が連帯して戦略目標達成に向かって活動する姿こそが、まさに生きた経営の醍醐味です。

 「ほんとに楽しく仕事をさせてもらいました。お蔭で、他の会社の良さ悪さが瞬時につかめ、改革の方向がすぐ分かり実行に移せます。沢山学ばせて頂いたお蔭です。」と、かつての社員からの感謝の言葉を聞くにつけ、社交辞令を差し引いても、社員も含めた全員による「農耕型企業風土づくりの経営」の良さを彷彿させてくれる表現だと思っています。

 経営側にいた私こそ感謝の言葉が自然にでるほどの一体感ある会社づくりでした。これほどトップの経営層と一般社員層との距離が短かったのかと、いまさらながら「農耕型企業風土づくりの経営」の良さを痛感し、この良さをもっと広めたい気持ちでいっぱいです。

 

経営者の「心の置き方」(2)

Posted on 2013-12-26

経営者の「心の置き方」に関する前回の続きです。

 

第三に、「まず形から」入る

 私は経営者として、契約社員も含めて数万人の社員をかかえていました。いろいろな努力をしましたが、その社員個々人の心のうちまでは読めないことが多かったのが事実です。会社の経営理念の下に事業目標の実現を目指して皆が行動を起こしてくれることを、最後は祈るような気持ちになったこともあります。しかし、祈りや願望だけでは解決しません。

 いろいろ考えて、ある時からこの願望をリアルに近づけるには経営体の仕組や仕掛けという形を整えることから始めました。社員が自由闊達に仕事ができる環境づくりの仕組みと仕掛けです。例えば、文字という形にした経営理念なら、これも1000回も唱えているうちに、おのずと自分の心に響くレベルに理解度が増してくることがわかりました。

 併せて、経営者としての自分自身も外形を整える努力をしました。禅僧も外からの見え方を重視し分刻みの修業を行っていると聞きます。胸の内の悲しみや苦しみがあっても外形としては笑顔で対応する努力をしました。

 特に、経営者という立場があります。悩んでいる顔を社員の前で出していたのでは、結果は良いはずがありません。「まず形から」入り、苦しみも何もなかった顔をして社員に悟られず、さりげなく日々の経営判断を続けていく「心の置き方」をするように努力をしていました。この部分だけをとれば経営は割に合わない仕事かもしれません。

 

第四に、「忙中閑ありのギアチェンジ」をする

 私の経営を振り返ってみるに、極端に忙しく悩んでいた時に頭で考えた結論に、正しいものは少なかったように思います。どうも迷いのうちの結論は、どんな結論が出ても間違いが多いように思われます。そこでこのリスクを回避するために、ある時から同じ仕事を長く続けないよう、脳の違う部分を使うように仕向けることに努力をしました。「忙中閑ありのギアチェンジ」です。

 身を忙しくしていると、仕事をしているように一見見えますが、必ずしもそうではないように思います。発想にキレが無く生産性も落ちていきます。そこで忙しい中にも必ず「遊びを加える工夫をしていました。この方が脳の思考の自由度の幅も増すのではないでしょうか。

 生産性は機械を使って合理化をすることだけではうまくいきません。要は、どうしたら人間に意欲的に働いてもらえるかを考えることが出発点ですが、この出発点を忘れないためにも、時にはギアチェンジして脳の自由度の幅を広げて置くことに留意してはどうでしょう。

 

第五に、最後は「自然の摂理」に従う

 私が主張する「農耕型企業風土」づくりの農耕作業の過程の絵図の中に台風などの災害の絵を入れております。土を耕し、種をまき、水をやり、肥料を与え、草を抜き、秋の収穫を待ちわびていても、突然台風や水害などに被災するかもしれません。せっかく収穫を待ちわびながら努力をしていたにもかかわらず、自然の行動までコントロールできず、災害で一瞬にしてすべてを失うことがあります。

 経営者として模範的な心の動きをしたとしても何が起きるか予測はできません。そのことを悲しんでも何かが生まれることは望めません。最後は、自然の摂理に従うしかありません。 それでも努力を惜しまない、これまた人生かなと思います。

 

経営者の「心の置き方」(1)

Posted on 2013-12-19

 人間いろいろな生き方があります。また、同じ人間でも人生のいろいろなステージで本人の生き方や心の置き方を変化させる人もいます。

 どの生き方が良い悪いというよりも、自分に適した生き方、特に「心の置き方」を探し求めていくのもこれまた人生、と最近考えています。蛇足ですが、私が関係している「ジョン万次郎から学ぶ会」の諸先輩理事の方々の生き方を垣間見るに、今も私自身「心の置き方」を学んでいる身です。

 私がある会社の社長という仕事に没頭していた頃の私自身の「心の置き方」について、『これからの課長の仕事』(ネットスクール出版)の中で数年前一部披瀝したことがありますが、今回は、少し視点を変えて経営者としての「心の置き方」について述べてみます。

 

第一に、「目標実現にむけて仕事をする」心掛けを持つ

 戦略をベースに事業目標や毎年度の計画を立ててもこれが必ずしも順調にいくとは限りません。私も約20年間の経営を通じてこのことを嫌というほど体験しました。

 こういう場合、経営者の心の置き方がおかしくなってきます。どうしても他人を責めたり、感情的になります。感情が優先してしまい自分の感情やその時の気分を基準にして行動しやすく、結果として、施策の軸がブレはじめて会社という組織の方向性が全く不安定になり、社員も顧客も誰も幸せになりにくい環境が生まれてくるのです。私はこれを回避するために、できる限りその時の気分にとらわれない配慮をしました。

 事業目標に向かって今やるべき仕事にどう取り組むかを最優先する「心の置き方」を持つ努力をしてきました。すなわち、事業目標の実現が遅れてしまうことがないよう、その時の気分や感情に害されず物事に対処できることに注力して、そのエネルギーを明日の糧にするよう心掛けました。こういう時こそ天秤の両側、感情と理性のうち理性の側に沢山の分銅を置く努力をしたのです。

 

第二に、「心の自由度」の幅を拡げる

 事業の進展がはかばかしくなく、顧客とのトラブルなどが連発すると、そのことのみを考えて呪縛の落とし穴に落ちるリスクを秘めています。私自身そこから出られなくなったことがありました。

 ある時期から、そうならないためにも心を開いた発想が必要とされることに気づきました。何か一つに心を固執しないで自由自在に変転できる心掛けに努力することです。逆に、手前味噌ですが、この心掛けをすることで全体の景色が良く見え、何か重大なことが発生しても逆に精神が統一し易いので適正な判断が出来た記憶を持ちます。

 いつか読んだ宮本武蔵の『五輪書』でも敵に対峙した時、どこか一点に注意や目線を集中せず、相手の総体に万遍なく注意を払い、全体として穏やかな状態を作る工夫をすることについて述べられていたことを記憶しています。

 このレベルまでは全くいきませんが、心構えとして「心の自由度」の幅の広さが経営者として必要だと考えています。このため経営者になるには禅の作法など自分に適した方法で「心の置き方」の鍛錬が必要になるかもしれません。

 

 

 

上司の“こころ”のケアと称する甘え

Posted on 2013-04-18

聞いている、聞いていない

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」と突然怒りだす人がいます。

 私も過去、部門を任せていた組織の上層部の部長がその部門の部下に対してこれに類した発言をしていたのを、横で見聞きした体験が何度となくありました。その発言に至ることになった正当な経緯が無くはないと思ったこともあります。

 しかし、いま振り返ってみれば、ほとんどの事象が見苦しく映ります。

 アクセスしようと思えば、その上司は事前に関係する情報にアクセスでき、「俺は聞いていた」ことばかりです。部下は簡単な口頭報告をしているはずです。

 部下はその件の相対的重要性の低さと、他の案件に関わる上司の多忙さをおもんぱかって、その上司に個別具体的な詳細説明をしなかったようなケースが多いはずです。全くの善意からの場合が多いと思います。

 このような発言をする上司はほとんどのケース、自己採点は高いが、会社全体の管理者で実施する相互評価点の本人分は低いはずです。

 自分の力量のなさ、自分を大きく見せたいことの裏返しとみるこの発言が「何だこれは、俺は聞いてない!!」となる場合が多いはずです。この一言で業務がすべてストップしてしまいます。

 このことでその上司は周囲を戸惑わせ、自分の権威を誇示しているようですが、部下たちは普段から自分の目で見ていますので、発言の背景をすべてわかっています。

何故、この発言?

 なぜこうなるのでしょうか?

 最大の原因は、この上司の精神的弱さにあるかもしれません。見くだされ感で不安なことは、存在感の誇示と裏腹の関係です。部下に対して自分の“こころ”のケアまで要求しているのです。

 このような方法以外で自己の力を誇示ができない精神構造があるその上司は、かわいそうな存在です。判官びいきの多い軟な組織では、その人へのひいき目が前面に出やすいことになりますが、これではその会社の成長は危うくなります。

 どうせ力が不足しているなら、業務をストップさせないような判断や指示にしてもらいたいものです。

 その方がその部門の業務がスムーズに回るからです。業務の重要性の尺度をもとにそれが部下からの具体的な内容説明をもとにして、合理的な判断を下すべき案件か否かを、日常的に部下がわかるようにしておくという上司の本来の責任を全うしていれば済むはずです。

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」というこの現象面のみをとらえると、私の主張する「農耕型企業風土」づくりの経営の中の“こころ”のケアに関する主張と一見似ていますが、全く似て非なるものです。

 私の「フォーミュラ」では本来上司が部下の“こころ”のケアをすべきなのに、この場合逆転しています。部下には上司の生殺与奪の権限が全くないのに、上司の“こころ”のケアまで要求されるることになります。

 “こころ”のケアと称して上司のメンツのみを重視する風土は、部下が上司に媚を売ることにつながり、組織として生産的・民主的な話に全くなりません。社員への公平な対応を期待できなくなります。

 困難にあたっても、一つの目的に向かって全員一致して解決の努力を惜しまない「農耕型企業風土」づくりの中での上司、部下の姿とは違います。

 上司という個人を部下全員が、なんとなく腫れ物にでも触るごとく世話をするという、全く非生産的な強権的な組織に成り下がってしまうという意味で組織の本質的な欠陥を秘めています。

対応策

 どうすればよいでしょうか。突き放すことです。大人になった社会人です。

 そのような甘えの構造がある限り、「自分は特別だ」という職位やタイトルの庇護のもとに相手を従わせる性癖の人だからです。目を覚まさせる必要があります。突き放すことで自分の置かれた立場の理解と、自らが部下の育成に責任ある行動をとらねばならない自覚を持つことに気づく時が来るからです。

 さもなくば、もっと部下の少ない部門に配置転換すべきです。そうすれば自分の立場で「仕事をする」ことが何を意味するかを自分で理解するはずです。積年このような庇護のもとに育ってきた企業風土の弊害で、会社の成長のスピ-ドを鈍化させていることを本人に理解させねばなりません。

 皆さんはこのような上司にならないことを、切に祈願します。