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他力本願

みなさんは原子力発電についてどう考えますか?

Posted on 2012-06-21

ドイツの原子力発電に対する判断と火山列島日本の事情

 ドイツは、2022年までに原子力発電炉を廃止し脱原発するとの決断を、メルケル首相が下しました。彼女は過去に原発に賛成していたのになぜ転向したかは不明です。反原発の嵐の中での政治的判断かもしれないとのうがった見方もあります。

 ドイツ首相の判断の是非は別として、今回の記者発表での首相の説明に関しては、その判断と判断の背景が民意を反映したものであるかが素朴に問われます。

 NOAA(National Geophysical Data CenterのNational Oceanic and Atmospheric Administration)からSignificant Earthquakeとして過去の大きな地震記録という興味あるデータが公表されています。

 また、あるブログにも、海外のデータをISC(国際地震センター)のカタログ(1904~2000)から、日本のデータについては気象庁地震年報から抽出した結果が紹介されています。この情報をみると衝撃的です。

 1970年から30年間にマグニチュード5.0以上の地震の発生件数が、イギリスは0件、フランスは2件、ドイツは2件、アメリカは322件、日本は3954件とそのブログに紹介があります。この事実をどう見るかです。火山列島の日本では、ドイツや他の国とそもそも違う判断基準が要請されるのではないでしょうか。

 ついこの間発生した東日本大震災に関わる詳しい原因や今後の対策や安全性についての科学者の見解を、国民が聞く機会がないうちに今回、福井県の大飯原子力発電所に「ゴーサイン」が出されたという政治の判断は、国民を納得させるに十分か疑問です。国民の安全性を担保するためにこの分野のプロの個別の意見を、どのように全体として集約した最終判断なのかのプロセスが全く見えません。

 放射能の拡散で海の汚染、食物連鎖など解決に何十年かかるのか、これまで政治が発した情報もほとんど信用を失墜している中でのこの判断です。

他力本願でない日本人の判断と行動

 日本人は、一般的に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」気質があると言われます。また、われわれ日本人は政府や他人の考えに頼りすぎているのではないでしょうか?いわゆる他力本願「そのうち、何とかなるだろう」的発想をしやすい国民性がでて来ているのかもしれません。しかし、こと原発の再稼働に関しては、ここで曖昧な判断を許すと国家100年の禍根を残すことになりかねません。

 他方、我々と対極的な発想をすると言われるドイツ人はどうでしょう。

 ドイツ人は原理原則を重視し、German Angst(ドイツ人の不安)と彼らを皮肉る言葉があるくらい物事への見方が一般的に悲観的であるとも言われます。先のデータ通り、大きな地震がほとんどない国ですから、地震などの自然の脅威にさらされる度合いは、我々日本人の比ではありません。ですから、今回の東日本大震災時に発生した原発事故に対する感度の高さは我々の想像をはるかに超えているはずです。

 感覚に関する精神物理学の基本法則と言われる「ウェーバー・フェヒナーの法則」では、「人間が刺激の変化を感じ始める水準は、すでに存在している刺激の一定の割合である」として、この法則は五感のすべてに近似を与えることが知られています。初めから加えられる基礎刺激量の強度と対応する刺激量の変化値の比は、基礎刺激量の大きさに関わらずほぼ一定とのことです。

 今回の福島原子力発電所の事故のごとく、それまで発生していた原発事故のトラブルからの刺激量の程度と比較して、その刺激量の変化の識別度合いが余りに大きく、ドイツ人は大きな衝撃を覚え、メルケル首相の判断に至ったかもしれません。ドイツ人は危険や自然の脅威にさらされる度合いが低いが故に、いざという時のリスクに対する判断が特徴的です。すこぶる安全サイドの判断で、その判断をすぐ行動に直結させる所も特徴的です。

 火山列島の上に生存するわれわれ日本人も、こと原子力発電のリスクと自然の脅威に対しては、ドイツ人の選択以上に慎重と強靭で、他力でない主体性をもって判断、行動したいものです。将来、日本人の生命のみならずその他の国に危害と脅威をもたらさないとも限らないからです。