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企業風土(文化) / 折々の言葉

「農耕型企業風土」に根ざした強靭な組織

Posted on 2013-11-28

 私が主張する「農耕型企業風土」づくりの経営は、一旦この企業風土を作り上げると、極めて強固な組織になります。私はこのことを約20年間の経営で実証してきました。詳細は、『これからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』(ネットスクール出版)に譲りますが、今回、その背景を一部述べます。

 

多チャンネル接点を持ち、助け合う補完機能があるから

 まず、私が主張する「農耕型企業風土」に根ざした組織は、全体系が人間の心や集団の中で人間が本来あるべき姿を、仕事環境においてもできる限り実現することを基本とした経営組織です。しかも組織は多数の小さいグループで成り立つことを目指して、グループの長に相当な権限と自由度を託し、本人が一定の枠内でグループを自由にマネジメントできる組織です。

 この組織はミドル・マネジメントを主軸として、多くのグループ間でお互いにチームとして支え合う、助け合うシステム体系で、ほかのグループとのチャンネル接点の入口が多数用意されていますので、どこかの小組織(グループ)に突然何らかの障害が生じたとしても、類似した経営をしている他のグループからの補助・補完により、そのグループが速やかに再生可能となります。

 この補完機能が備わっていることで、全体が非常に強固な組織となります。

 

「リーダー任せ」の落とし穴にはまらないから

アメリカ流のマネジメントにはたくさん学ぶところがあります。

 しかし、このスタイルのマネジメント経営だと、万一、経営リーダー機能が不全になった場合、全組織が多大な影響を被るというネガティブ面のリスクが大きいのではないかと考えます。日本に於いては、私の主張する「農耕型企業風土」づくりの経営のほうが企業の中・長期的な発展には適しているのではないかと確信しています。

 極端な例ですが、リーダーは善で「社員はこのリーダーに従え」的な一元的発想による経営の場合、経営においてリーダーの機能に狂いがで出ると、たとえ法規制や諸制度の保護があったとしても、上述のような自主的補完機能がないために、経営上芳しからざる結果を招くことが多いのです。特に、「資本の論理」を全面に出す資本家的経営リーダーが経営者としてアサインされたときは、このリスクを大いに警戒せざるを得ません。

 社員の知恵が仕組として生かされる「農耕型企業風土」のような経営組織が、先ほどのようなマネジメントには組み込まれていないからです。「農耕型企業風土」に根差した組織では現場の経験の集積が知恵の塊として存在し、これを生かす仕組があるので、万一の場合にも経営リーダー機能の一部をカバーする力があり、この点でも組織を強固にします。

 

効率至上の有害性が少ないから

 人間が作り出すシステムで利益を追求する組織である以上、「効率」を重視するのは当然のことです。経営システムも然りです。しかし、これが行き過ぎると、経営システム全体が一部の特権的リーダー中心の単純化した仕組になりやすい、と私は考えます。

 効率がキーワードであると、この言葉自体に論理的に大義名分があるので、なかなか正面を切って異を唱えるのが難しくなるからです。「効率」をキーワードにどんどん経営が単純化され、いわゆる経営の「遊び」の部分を無くしていくことこそが「良い経営」と株主からは賞讃されることになるかもしれません。

 実は、ここに「落とし穴」が潜んでいます。単純であればあるほど、これが上手く作動している場合は良しとしても、何か経営のリーダーシップに狂いが生じた場合、経営システム全体が作動しなくなるリスクが大となる傾向があります。

 私は経営に故意に「遊び」や「効率を阻害する」仕掛けを組みこませる努力をしました。それらの仕掛けが「人間の心」や「仕事と生きがい」の観点から本来人間という生命体が持っている自然な姿に近いものであると信じ、「遊び」や「効率を度外視した」仕掛けも併存的に組みこませていました。

組織として生きた状態、活性化した状態を永く維持するには、このことが必要不可欠なことだと約20年間の経営で学びました。

 「農耕型企業風土」づくりに根差した組織について、更に詳しくお知りになりたい方は、私が書いたこれからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』(ネットスクール出版)を是非参考にしてください。

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