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「農耕型企業風土」づくり / 折々の言葉

第160回 日本人の精神性(2)

Posted on 2015-06-18

先週の続きです。

 

2.神道というある種の道徳観

 次に、一部の方々には少し違和感があるかもしれませんが、神道というものについてふれます。

 ヨーロッパの町づくりを見ると、中心地に広場があり、そこに教会、一般的にキリスト教会が権威の象徴のごとく聳える姿がどこでも見られます。今いるここプラハの美しい町でもそうです。

 日本の風景と明らかに違いがあり、「そうだ。神道こそ日本独特のものだ」と、これについて今日書きたくなりました。

 

神道は生活道徳か

 ご承知の通り、キリスト教などに比して、我々日本人が信仰していると称する神道は、教祖も戒律もありません。

 この点で神道は、明らかに西洋人が考えるような宗教とは違うのではないかと考えます。少なくとも、明治維新後の一時期に国が神道を国家宗教として指定するまでは、西洋人の崇拝する宗教とは全く違ったものではなかったのではないでしょうか。

 神道は縄文時代以来受け継がれてきた固有の道徳とも呼ぶべきもので、教祖も戒律もヨーロッパで信仰されている宗教のような排他的な教団もありません。少し乱暴ですが、以下に述べるように、ある種日本人の心の底にある信仰をベースとした道徳観と考えてはいかがでしょう。

 

自然環境

 そうなった背景があります。

 よく言われる通り、日本ではブナやナラ等栗系の林の中で、果実が実る森林が形成されていました。この自然を大切にする縄文時代の信仰が、日本人の心の形成に影響しているのではないでしょうか。

 縄文人は、人も動物も死後は平等でした。魂が集まったものを神様と考え、多様な魂を祭る習慣があったと、ある本に記載されていました。出雲で生まれた私は、自然の中でのこの平等感が非常によく分かります。鎮守の杜に行くことで、心清らかな感じを抱くのもよく分かります。

 弥生時代に入り日本人が水田の畔に集落を営み、米という安定的なものを手に入れるようになると、狩りを行う必要がなくなりました。ヨーロッパの平坦な森林の風景の中で狩猟を行うのとは、明らかに違う状態が発生しています。田んぼの横に祠のようなものを祭ってある風景も、私の記憶のどこかに潜んでいます。稲作を始めた祖先に感謝する、稲の生育に感謝する、災害から稲作を守ってくれるように祈願したのでしょう。また、仏壇やお墓などで祖先を供養します。人間は亡くなると精霊、つまり神様になると彼らも考え、祖先を祭ったのではないでしょうか。

 このように稲作中心の営みの中での日常生活の線上に、教祖も戒律もない信仰があったと思います。

 

日本の統一に果たした役割

 時代が経て、出雲の国を含め大和の国を治める時に、少し信仰の形が変わりました。大和朝廷が国を治めていくことになり、この時、天照大神の意向を受けて国民を導く世襲の指導者を置く方法で、個々の集落を組織化し最終的に日本を一つにまとめたというのが通説です。大和朝廷はほとんど武力を用いず霊の信仰、つまり神道を広める平和的な手法で国家の統一を果たしたかもしれませんが、縄文、弥生時代を経た信仰の本質は変わっていません。

 以上の過程を見ると、教祖も戒律もない神道は縄文や弥生時代の環境に原初をもとめ、宗教と言うより当時の日本人が置かれた環境下で安寧な生活を営む上での道徳観であると言っても過言ではないと思います。

 宗教学者のフスや当時のボスニア、ザクソン、バイエルン、ポーランドからの俊英が学んだヨーロッパ最古のカレル大学のあるプラハのこの町で、日本の神道のことを考えるのは感慨深いものです。

 

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