園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

精神性

第282回 集団の内側と外側の峻別

Posted on 2018-05-10

 今回は、ビジネスと少し距離のある日本的風土を取り上げます。

 

「誠に申し訳ない」発言

 最近よく耳にする政治家や官僚などがある嫌疑をかけられた時の答弁が、明らかに嘘とわかることが多くあります。そのような時の彼らの謝罪発言の中には、「世間に対して誠に申し訳ない」と決まった言葉が出てきます。セクハラに対して、その根拠は別としても自らは無罪と主張していながら、政治や世間を騒がせたことについては謝罪して辞任するという、このパターンです。

 論理的に思考をする人には、これは不可解です。「何故、それなら辞任するの?」、「誰に対して責任を取って辞任するの?」と不可解に映ります。

 彼らの発言の裏側にあるこの発想の根底にある世間は、実は社会ではありません。

 ここに言う世間は、社会ではなく、自分が関わっている限られた人間関係のつながり集団だと解釈すると、先の答弁も実に分かり易い。

 

自分とのつながり

 「俺は違う」と言う人もいますが、日本人には、「世間」の目を気にしながら生きている人が多いと思います。世間から後ろ指を指されないように、常に自分の言動に配慮しているのではないでしょうか。

 ここでいう世間とは何か。この定義は先ほど述べた通り、一般的には、個人と個人を結ぶつながりだと解釈してはどうでしょう。

 このつながりが個人個人を強固な絆で結びつけているのが、良い意味でも悪い意味でも、日本の社会に根づいている現実です。大学の同窓会、何々高校出身OB会、会社関係の年賀状など、形は変わってもつながっています。非常に大事なつながり、現実です。

 

内側と外の世界

 個人個人のつながりを得た関係上、ある意味その代償として、世間には厳しい掟があります。

 結婚式や葬儀での序列、何かを互助する際の金額の多寡など、我々が日常体験していることも、ある種の掟です。

 しかも面白いことに、内部で掟を守ることと同時に、内部での競争は出来るだけ排除されることです。その世間に属していない人々に対して、排他的、差別的になりやすくなるのも事実です。

 昔、出雲の田舎で部落の決め事のために行われていた定例の部落会は、内と外を峻別して内を守る掟のようなものがあったと記憶しています。

 

西欧の考え方との違い

 前段で、日本でいう世間は社会を意味しないと言いましたが、西欧では社会と言う時に個人が前提となり、その個人は何人にも譲れない尊厳を持って、その個人の集団で社会をつくっていると解釈します。

 西欧とひとくくりにするのは若干問題ですが、特に、キリスト教文明下では、絶対的な神に対しての個人と社会という関係が築かれており、ここにいう世間が登場しません。従って、個人の意思に基づいてその社会の在り方も変容してくることになります。

 ところが日本では、世間は個人の意思によってつくられると言うよりは、世間がほぼ所与と見做されることが多いのです。

 私自身、「独立自尊」を標榜して生活しているつもりでも、世間を意識しながら生活しているのが偽らざる気持ちです。私の中では、世間と社会を意識する精神性が両立しているのではないかと推量していますが、知らず知らずのうちに出雲の自宅の部落会の行事が頭をもたげ、世間から排除されないように日常の言動に気を付ける習慣が身にまとわりついているのではないかと思うほどです。

 

「農耕型企業風土づくり」の経営

 私が日本での経営には「農耕型企業風土づくりの経営」が適していると主張しているのも、このような背景があります。

 日本人の性格に影響を与えた最大の要素は、稲作農耕を基盤としてきて生活してきたことです。稲作には水が不可欠で、川上の村と川下の村の水争いがよく起きました。これを避けるため、普段から村同志が共同体を形成して部落会で話し合い助け合っていく方法がとられました。内側を結束させ強めることで自分が属している共同体を維持しようとする思想が根底にあるのです。

 水で結ばれ、土地で結ばれた村落共同体では何事も全員の賛成の上でことが行われ、村のリーダーの一番の仕事は意見の違いから起こるいざこざや反対者を「丸く収め」、世間に迷惑を及ぼさないことだったのです。

 このような風土を背景とする限り、日本では周囲と折り合いを上手くマネジメントして、競争社会という世間で生きるほうが成功しやすいのではないでしょうか。

 

 

 

第167回 ヨーロッパの精神性の概観(4)

Posted on 2015-08-06

前回からの続きです。

 

5.合理主義精神

 以前、このコラム(第125回)理と情でも述べましたが、私はヨーロッパの人々と日本人の思考パターンには、根本的な違いがあると考えます。

 ヨーロッパの人々は、組織よりも自分のメリットを優先しているのが一般的です。

 常に自分自身のことを考えているということです。彼らも当然組織に属しています。しかし、優先するのは個人の利益(ベネフィット)です。何かの決定が自分自身にとってどんな利益、ベネフィットをもたらしてくれるか、不利益をもたらさないかをまず発想する思考経路、すなわち、合理的な発想を本質的に持っているのです。

 徹底して個の合理主義を尊重する背景の一つは宗教にあると、個人的には考えます。

 中世の頃は、カトリック教の一神教がヨーロッパを覆っていました。一神教では、崇め奉る対象は宇宙を創造する神のみです。それ以外は皆対等で、そこに階層の固定がありません。フラットです。“In God We Trust ”と神から発想し、フラットな中で個を主張、しかも、その主張が論理的、合理的なものでなければ、周囲を説得できず生きていけません。これが背景の一つかもしれません。

 少しは相手のことを慮り、非合理的な発想をする我々日本人の発言や行動とは、明らかに異なります。我々は決定的なケンカを避けて和を重んじます。

 合理的な発想をしたとしても、時に、自分自身より自分の属する組織や集団が変な影響を受けないか、人間関係を重視した思考回路が優先的に働くようです。

 ここに、日本人には、考え方や行動の根底に、理(ロジック)にかなっていない場合にも、理より情が優先的に流れているように思います。ヨーロッパの人びとの精神性との大きな違いです。

 ご参考になりましたでしょうか?

 

第166回 ヨーロッパの精神性の概観(3)

Posted on 2015-07-30

前回からの続きです。

 

4.支配、被支配の明確な位置づけ

 ヨーロッパの人々は動物を愛護する一方、人間と動物の間に一線を画し、人間をあらゆるものの上位に起きます。我々日本人が自然や動物と一体感を持つ発想とは明らかに違います。

 私の知る限り、キリスト教はじめヨーロッパの宗教は、ヘブライ人の民族宗教たるユダヤ教から発展したものです。ヘブライ人も人間と動物の間に一線を画したそうです。旧約聖書では、人間は「神の似姿」で動物を殺して食べる権利があることが、はっきり認められていると言われているほどだからです。

 牛、馬、羊、豚などを平気で食べる一方で、彼らは動物愛護運動に非常に熱心で、日本人は動物に残酷であると非難するほどです。魚も一緒です。イルカや鯨の捕獲について、和歌山の海岸での捕獲方法や、調査船での鯨捕獲が批判の的にされているのは、「残酷」の意味が違うからです。イルカの捕獲方法が不必要な苦痛を与えているとしか、彼らは見ないからです。従って、不必要な苦痛を与えない限り、彼らにとって動物を殺すこと自体残酷ではないかもしれません。家畜も大切に育てた上で食用にします。

 今回の旅行で私が感じたことは、人間と動物の関係の引き直しとして、人間同士の関係でした。上記の通り動物より人間の上位を強調する人間中心の考えがヨーロッパ思想の根底あることでした。

 ただし、ここでいう人間とは、当時キリスト教のヨーロッパ人に、更に極論すれば、昔はカトリックのキリスト教に限られそれに非ざる人などは含まれないのではないかということです。

 この人間中心主義の考え方は、人間を類型化させる危険をはらんでいます。カトリック教徒の人間とそれ以外の人間に分ける論理を生み出す温床にもなるのです。動物や非ヨーロッパ人などを順次疎外していく強烈な論理は、最後に本当の人間として残すのは、少数の支配階級のみという極端な論理になります。

 支配者と被支配者に分けられ、ここに曖昧さは在りません。世界史の中で数々の残虐な結果を刻むことにもなりました。

 この論理に比較して、いろいろなものとの調和を重んじる日本では、動物との支配・被支配の関係のみならず、人間同士でもそれがヨーロッパほどは、はっきりしません。ここに大きな違いがあります。

 また、支配階級の締める割合も違います。

 日本の場合、徳川時代、支配階級である武士(下級武士で支配階級に値しない人も含む)の総人口に占める割合は5%前後と言われています。フランスでは、1789年のフランス革命のときの僧侶と貴族の比率はそれの10分の1だったそうです。一桁違います。

 ヨーロッパの支配階級が広大な宮殿と庭園を持つことで貧しい人々の恨みをかい、民衆が爆発するのは、いとも自然なことだったのではないかと、宮殿や庭園を見学しながら私は感じました。

 権力の差とは言え、あれほどの贅沢は普通の人間には許されない、革命が起きるのも当然と感じた次第です。

 蛇足ですが、もし、私が中世のフスの時代に生まれていたならば、私も宗教改革の先頭を切っていたかもしれないと思います。時の宗教の矛盾があったら、約700年前、私も体をはって抵抗したのではないかと、フスの大きな像を見ながら思いを巡らせました。今、「1人1票国民会議」の運動で頑張っておられる升永先生はじめ諸先生の活動には、宗教と政治の違い、時代背景の違いがありますが、まさに頭が下がる思いです。

 

 

第165回 ヨーロッパの精神性の概観(2)

Posted on 2015-07-23

前回の続きです。

 

3.気候、風土からくる食文化の違い

 気候、四季です。

 今回6月にヨーロッパにいました。その時期の日本は、ほとんど毎日雨だったようです。帰国後も、じめじめした日が約2週間続いています。この気候の差が及ぼす影響です。

 これが人間性や精神性に大きな影響を及ぼしていると私は見ます。季節を愛でるより、それからの収穫をどうするかが関心事となるかもしれません。ここに食文化との関係が重要となります。

 蛇足ですが、梅雨の季節や四季がないヨーロッパでは、源氏物語や枕草子は生まれないなと思いました。季節感が無いからです。

 

刺す、切る食文化

 食文化で一番の違いは、ご存じの通り彼らがフォークとナイフで刺す、切る文化です。これに対して、日本は、箸でつまむ、お椀の汁をすする食文化です。この違いはどこから来たのでしょうか。

 この食文化の違いは、気候の違いから発生します。

 今は、遺伝子技術の発展で優れた種苗が開発されていますので、必ずしも当てはまりませんが、中世の時代、ヨーロッパの中心部は寒冷地で、コメはできませんでした。寒冷で痩せた土地でも栽培できる小麦、これがパンの文化に発展していったと思われます。パンを切るナイフは必要としても、箸は不可欠なものではありません。

 もし、この寒さが無ければ、ヨーロッパの中心部では、あくまでも仮説ですが、フォークやナイフ以外のものを使う他の食文化の発展もあったかもしれません。

 元来、我々日本人は、風土に適した食物、お米を食べてきました。

 日本は雨が多い国です。これが高温多湿で稲の栽培を助け、お米に最適です。今回6月の1か月ヨーロッパに旅行している間、雨に降られたのは数日だけ。しかも、すぐに晴れの天気に変わり湿度の低い気候でした。

 高温多湿の気候に適したお米を栽培し、これを食べるのが日本人の習慣だったにもかかわらず、日本人は第二次大戦後、変な欧米崇拝と栄養教育の影響でコメを食べなくなりました。「後進国ほど穀物の摂取量が多い」という一部の誤った常識が誰かにより創り上げられた結果です。なんと、第二次世界大戦前は、米を一年間に一人150kg消費していたのに、2007年には67kgと半分以下になったと言われるほどです。

 

家畜動物、肉食中心の食文化

 私は旅行中、ヨーロッパの食生活への順応の良さを褒められたこともありました。日本人の食生活が西洋化した一端が、日本人の私に表れたかもしれません。

 先述のような背景があったとしても、このことは日本人の食事がヨーロッパの人々と同じになったことを意味しないのです。日本人の肉食はままごとのようなものです。

 ヨーロッパの中世の時代も、極論すれば、戦争、地域戦争の時代です。領主が他の城を持つ領主を襲う戦争です。城を落とせば、その城主傘下の農民と農民が栽培する食料を獲得することになり、食料の多寡が領主の力の決め手要因の一つになるのです。

 戦争が始まると彼らは、将来の孤城の準備をします。米が無いので、真っ先に牛、豚、羊などを集めます。今回訪問した先々で城を囲む門、バルカバンがありましたが、その内側に、この家畜動物を囲っておく場所が必ずありました。

 これと同類のものは、日本ではコメ、塩、水といったところでしょうか。食生活が根本から違うのです。

 ヨーロッパの一部の国々では、地球温暖化や肥料、種苗の改善で小麦が栽培されているのを見ましたが、風土的条件から昔は穀物がとりにくかったので、家畜を主たる食糧とせざるを得なかったと思います。フォーク、ナイフで刺す、切る文化が生まれる所以です。

 

 

第164回 ヨーロッパの精神性の概観(1)

Posted on 2015-07-16

 今回、約1か月間、東欧を旅行し、観光などを通して日本人とヨーロッパ人の精神性に関して感じたことがあります。今回のコラムでは、ヨーロッパ、特に東欧の精神性に焦点を当て、概観してみます。

 

1.宗教、カトリック教の影響

 まず、宗教の及ぼす影響です。

 私はアメリカに留学の経験があり、宗教の及ぼす影響にも若干体験があります。

 ところが、アメリカは移民国家です。それ故に、本家本元のカトリック教、又は、新教であったプロテスタントの精神性が薄まり、宗教が国民に及ぼす如実な影響を、アメリカでは今回ほど大きくは感じませんでした。

 それに比べると、今回の東欧の旅行で、本家本元の精神性、カトリック教の持つ影響力をまざまざと体験させられました。勿論、国や地方よりこの影響の濃淡は当然あります。

 

根底に流れる宗教観

 バチカンのローマ法王の持つ力は無視できません。ワレサ議長が率いたポーランドの民主化の運動を蔭で支援したのは、ヨハネ・パウロ2世、元ローマ教皇であったと言われています。また、次の教皇が異例にも生前退位し若手に教皇の職を譲ったのは、最近力をつけてきた近隣の国の宗教の侵害からヨーロッパを守るために、行動力のある若手の教皇の起用が重要との判断だったと言われるほどです。

 かつて、モンゴル軍の攻撃から国を死守したと言われる騎士団の数々の展示品のあるミュージアムや、民衆を精神的に支えたとされる神父を祀る山の上の教会を、オーストリアのウイーン郊外に訪ねました。

 これらを見て感じたのは、ヨーロッパを他の宗教からどう守るかが、中世ヨーロッパの最大の課題だったようだということです。それほど、キリスト教の精神性を広めたい、死守したい一心が、彼らの精神の底辺に脈々と流れていることがひしひしと感じられました。

 かつて日本に仏教を広めた奈良時代の聖武天皇は、国を治めるのに仏教という宗教を使ったのでしょう。それは統治のための仏教の流布で、違う宗教から国民を守るという意識はまだなかったかもしれません。しかし、そういうものであったにしても、その宗教から実質的に距離を置ける我々日本人の精神性と比較すると、根底に於いて、宗教の持つ意味やその深さ度合いが東欧では大きく違うように感じました。

 根底にあるものは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(マックス・ウェーバー著)が、「プロテスタントの多い地域では納税額が多い」で始まるこのくだりにヒントがありそうに思いました。

 マックス・ウェーバーは、ヨーロッパの人々は、仕事を神様への奉仕と考えて良く働くので、納税額が増えたと記述したかったのではないでしょうか。

 マックス・ウェーバーの著作はカトリックの倫理ではありませんが、宗教改革の時に、当時のカトリック教の腐敗に抗して作った新教、すなわちプロテスタントである以上、根っこの部分は同じ精神構造を持っていると考えても差し支えないのではないでしょうか。

 それほど、神の存在が絶対的で、その神への奉仕をベースとした精神性をヨーロッパの人々は持っていると考えます。

 

2.街の美意識

 上記の通り、彼らは教会を中心に物事を考えていました、今もそのような人が多いと思います。

 従って、元々の街(オールドタウン)は、教会、集会に利用する広場、市庁舎、食事処などを中心部に備えて街を作っています。この広場から波状的に伸びる馬車道の周辺に住民を住まわせ、高い塀をめぐらせて、住民を敵から守る構造になっています。馬車を走らせる通路がいつの時代からか踏み石になっています。

 街の美意識も、この構造の中で育まれてきたと想像できます。精神的支柱たる教会を中心に、如何に街全体の美を構成させるかが問われているようです。

 田園風景を中心にした美意識ももちろんあると思いますが、それは付加的なもので、あくまで、教会を真ん中に置いていて、住民の安全を保障できる環境の基本的セットが、ヨーロッパの人々の美意識の根底に潜んでいると思います。その証拠に、絵葉書の中で一番多いのはオールドタウンの絵図のように見受けられました。

 それは、単に風景的な美に留まらず、彼らの心の安寧を支える美意識と見ました。