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気候

第167回 ヨーロッパの精神性の概観(4)

Posted on 2015-08-06

前回からの続きです。

 

5.合理主義精神

 以前、このコラム(第125回)理と情でも述べましたが、私はヨーロッパの人々と日本人の思考パターンには、根本的な違いがあると考えます。

 ヨーロッパの人々は、組織よりも自分のメリットを優先しているのが一般的です。

 常に自分自身のことを考えているということです。彼らも当然組織に属しています。しかし、優先するのは個人の利益(ベネフィット)です。何かの決定が自分自身にとってどんな利益、ベネフィットをもたらしてくれるか、不利益をもたらさないかをまず発想する思考経路、すなわち、合理的な発想を本質的に持っているのです。

 徹底して個の合理主義を尊重する背景の一つは宗教にあると、個人的には考えます。

 中世の頃は、カトリック教の一神教がヨーロッパを覆っていました。一神教では、崇め奉る対象は宇宙を創造する神のみです。それ以外は皆対等で、そこに階層の固定がありません。フラットです。“In God We Trust ”と神から発想し、フラットな中で個を主張、しかも、その主張が論理的、合理的なものでなければ、周囲を説得できず生きていけません。これが背景の一つかもしれません。

 少しは相手のことを慮り、非合理的な発想をする我々日本人の発言や行動とは、明らかに異なります。我々は決定的なケンカを避けて和を重んじます。

 合理的な発想をしたとしても、時に、自分自身より自分の属する組織や集団が変な影響を受けないか、人間関係を重視した思考回路が優先的に働くようです。

 ここに、日本人には、考え方や行動の根底に、理(ロジック)にかなっていない場合にも、理より情が優先的に流れているように思います。ヨーロッパの人びとの精神性との大きな違いです。

 ご参考になりましたでしょうか?

 

第165回 ヨーロッパの精神性の概観(2)

Posted on 2015-07-23

前回の続きです。

 

3.気候、風土からくる食文化の違い

 気候、四季です。

 今回6月にヨーロッパにいました。その時期の日本は、ほとんど毎日雨だったようです。帰国後も、じめじめした日が約2週間続いています。この気候の差が及ぼす影響です。

 これが人間性や精神性に大きな影響を及ぼしていると私は見ます。季節を愛でるより、それからの収穫をどうするかが関心事となるかもしれません。ここに食文化との関係が重要となります。

 蛇足ですが、梅雨の季節や四季がないヨーロッパでは、源氏物語や枕草子は生まれないなと思いました。季節感が無いからです。

 

刺す、切る食文化

 食文化で一番の違いは、ご存じの通り彼らがフォークとナイフで刺す、切る文化です。これに対して、日本は、箸でつまむ、お椀の汁をすする食文化です。この違いはどこから来たのでしょうか。

 この食文化の違いは、気候の違いから発生します。

 今は、遺伝子技術の発展で優れた種苗が開発されていますので、必ずしも当てはまりませんが、中世の時代、ヨーロッパの中心部は寒冷地で、コメはできませんでした。寒冷で痩せた土地でも栽培できる小麦、これがパンの文化に発展していったと思われます。パンを切るナイフは必要としても、箸は不可欠なものではありません。

 もし、この寒さが無ければ、ヨーロッパの中心部では、あくまでも仮説ですが、フォークやナイフ以外のものを使う他の食文化の発展もあったかもしれません。

 元来、我々日本人は、風土に適した食物、お米を食べてきました。

 日本は雨が多い国です。これが高温多湿で稲の栽培を助け、お米に最適です。今回6月の1か月ヨーロッパに旅行している間、雨に降られたのは数日だけ。しかも、すぐに晴れの天気に変わり湿度の低い気候でした。

 高温多湿の気候に適したお米を栽培し、これを食べるのが日本人の習慣だったにもかかわらず、日本人は第二次大戦後、変な欧米崇拝と栄養教育の影響でコメを食べなくなりました。「後進国ほど穀物の摂取量が多い」という一部の誤った常識が誰かにより創り上げられた結果です。なんと、第二次世界大戦前は、米を一年間に一人150kg消費していたのに、2007年には67kgと半分以下になったと言われるほどです。

 

家畜動物、肉食中心の食文化

 私は旅行中、ヨーロッパの食生活への順応の良さを褒められたこともありました。日本人の食生活が西洋化した一端が、日本人の私に表れたかもしれません。

 先述のような背景があったとしても、このことは日本人の食事がヨーロッパの人々と同じになったことを意味しないのです。日本人の肉食はままごとのようなものです。

 ヨーロッパの中世の時代も、極論すれば、戦争、地域戦争の時代です。領主が他の城を持つ領主を襲う戦争です。城を落とせば、その城主傘下の農民と農民が栽培する食料を獲得することになり、食料の多寡が領主の力の決め手要因の一つになるのです。

 戦争が始まると彼らは、将来の孤城の準備をします。米が無いので、真っ先に牛、豚、羊などを集めます。今回訪問した先々で城を囲む門、バルカバンがありましたが、その内側に、この家畜動物を囲っておく場所が必ずありました。

 これと同類のものは、日本ではコメ、塩、水といったところでしょうか。食生活が根本から違うのです。

 ヨーロッパの一部の国々では、地球温暖化や肥料、種苗の改善で小麦が栽培されているのを見ましたが、風土的条件から昔は穀物がとりにくかったので、家畜を主たる食糧とせざるを得なかったと思います。フォーク、ナイフで刺す、切る文化が生まれる所以です。

 

 

第164回 ヨーロッパの精神性の概観(1)

Posted on 2015-07-16

 今回、約1か月間、東欧を旅行し、観光などを通して日本人とヨーロッパ人の精神性に関して感じたことがあります。今回のコラムでは、ヨーロッパ、特に東欧の精神性に焦点を当て、概観してみます。

 

1.宗教、カトリック教の影響

 まず、宗教の及ぼす影響です。

 私はアメリカに留学の経験があり、宗教の及ぼす影響にも若干体験があります。

 ところが、アメリカは移民国家です。それ故に、本家本元のカトリック教、又は、新教であったプロテスタントの精神性が薄まり、宗教が国民に及ぼす如実な影響を、アメリカでは今回ほど大きくは感じませんでした。

 それに比べると、今回の東欧の旅行で、本家本元の精神性、カトリック教の持つ影響力をまざまざと体験させられました。勿論、国や地方よりこの影響の濃淡は当然あります。

 

根底に流れる宗教観

 バチカンのローマ法王の持つ力は無視できません。ワレサ議長が率いたポーランドの民主化の運動を蔭で支援したのは、ヨハネ・パウロ2世、元ローマ教皇であったと言われています。また、次の教皇が異例にも生前退位し若手に教皇の職を譲ったのは、最近力をつけてきた近隣の国の宗教の侵害からヨーロッパを守るために、行動力のある若手の教皇の起用が重要との判断だったと言われるほどです。

 かつて、モンゴル軍の攻撃から国を死守したと言われる騎士団の数々の展示品のあるミュージアムや、民衆を精神的に支えたとされる神父を祀る山の上の教会を、オーストリアのウイーン郊外に訪ねました。

 これらを見て感じたのは、ヨーロッパを他の宗教からどう守るかが、中世ヨーロッパの最大の課題だったようだということです。それほど、キリスト教の精神性を広めたい、死守したい一心が、彼らの精神の底辺に脈々と流れていることがひしひしと感じられました。

 かつて日本に仏教を広めた奈良時代の聖武天皇は、国を治めるのに仏教という宗教を使ったのでしょう。それは統治のための仏教の流布で、違う宗教から国民を守るという意識はまだなかったかもしれません。しかし、そういうものであったにしても、その宗教から実質的に距離を置ける我々日本人の精神性と比較すると、根底に於いて、宗教の持つ意味やその深さ度合いが東欧では大きく違うように感じました。

 根底にあるものは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(マックス・ウェーバー著)が、「プロテスタントの多い地域では納税額が多い」で始まるこのくだりにヒントがありそうに思いました。

 マックス・ウェーバーは、ヨーロッパの人々は、仕事を神様への奉仕と考えて良く働くので、納税額が増えたと記述したかったのではないでしょうか。

 マックス・ウェーバーの著作はカトリックの倫理ではありませんが、宗教改革の時に、当時のカトリック教の腐敗に抗して作った新教、すなわちプロテスタントである以上、根っこの部分は同じ精神構造を持っていると考えても差し支えないのではないでしょうか。

 それほど、神の存在が絶対的で、その神への奉仕をベースとした精神性をヨーロッパの人々は持っていると考えます。

 

2.街の美意識

 上記の通り、彼らは教会を中心に物事を考えていました、今もそのような人が多いと思います。

 従って、元々の街(オールドタウン)は、教会、集会に利用する広場、市庁舎、食事処などを中心部に備えて街を作っています。この広場から波状的に伸びる馬車道の周辺に住民を住まわせ、高い塀をめぐらせて、住民を敵から守る構造になっています。馬車を走らせる通路がいつの時代からか踏み石になっています。

 街の美意識も、この構造の中で育まれてきたと想像できます。精神的支柱たる教会を中心に、如何に街全体の美を構成させるかが問われているようです。

 田園風景を中心にした美意識ももちろんあると思いますが、それは付加的なもので、あくまで、教会を真ん中に置いていて、住民の安全を保障できる環境の基本的セットが、ヨーロッパの人々の美意識の根底に潜んでいると思います。その証拠に、絵葉書の中で一番多いのはオールドタウンの絵図のように見受けられました。

 それは、単に風景的な美に留まらず、彼らの心の安寧を支える美意識と見ました。