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折々の言葉 / 語り継ぐ経営

第185回 今の日本には「農耕型企業風土づくり」の経営が必要とされる(3)

Posted on 2015-12-24

前回の続きです。

 「ソフト面」の部分の基本的で主要な要素は次の通りです。

a) 信頼の土壌づくり

 社員が経営から派生することにも積極的に関心を払い、他方経営層が社員を、社員が同僚や上司を尊重し合う信頼の世界をつくることが第一です。

 信頼できる人にしか自分の仕事上のノウハウを教えないのは人間として一般的なことです。また、経営側が社員全員に考え方や方針を噛み砕いて何回も説明し、彼らの心や魂に訴えかけることで、経営層と社員相互の信頼をベースとした仕事場環境ができます。知識や情報の共有が一層可能となります。知識や情報を共有できることが、次の改善やイノベーションにつながりやすいのです。

 逆に、管理や監視の環境下では社員の自由度が無くなりイノベーションは生まれにくいです。信頼をベースとした自由闊達な環境下からこそ発想の自由が生まれるからです。

 

b) チームワークで強固な組織

 レベルの高いチームワークが重要です。

 私は小グループの店単位の経営を重視していました。構成人数の大小もありましたが、一番効果を発揮したのは、10人前後のグル-プでした。そこにしっかりとマネジメント出来るリーダーを据え置きました。

 この規模では情報の共有にも特段の仕掛けを必要とせず、しかも、グループが上手く作動し沈没しないよう全員が実力以上のクリエイティブなマインドと努力をおしまない雰囲気ができるからです。

 他方、そのチームのまとまりが良すぎて同質化のシグナルもウォッチしていました。時には同質な人材のグループ編成を意図的に破壊して、あえて異質な人材を入れて、一見まとまりの悪いと思えるチームを編成したこともありました。これで安逸から組織の活性化につなげたのです。

 組織は多数の小さいグループで成り立つことを目指してグループの長に相当な権限と自由度を託し、一定の枠内で本人が自由にグループをマネジメントできる組織です。この組織は、全体系が人間の心や集団の中で人間が本来あるべき姿を仕事環境でもできる限り実現することを基本とした経営組織です。

 ミドル・マネジメントを主軸として多くのグループ間でお互いにチームとして支え合う、助け合うシステム体系で、ほかのグループとのチャンネル接点の入口が多数用意されていますので、どこかの小組織(グループ)に突然何らかの障害が生じたとしても、類似した経営をしている他のグループからの補助・補完により、そのグループが速やかに再生可能となります。

 この補完機能が備わっていることで、全体が非常に強固な組織となります。

 

c) 勉強、勉強、また、勉強できる環境

 「構成社員の「知」レベルの総和以上には会社が成長しない」というのが、私の持論です。

 したがって、構成する社員自身が勉強、研修して成長してもらわなければなりません。

 それぞれの社員に発展段階の違いがありますが、各人が自己の「足りない」ことを常に意識してもらわねばなりません。グループに貢献するには、今の自分の知識や情報のレベルでは限界があること、自分が勉強して、知性豊かな人材にならなければグループに貢献できないことを認識してもらわねばなりません。

 リーダーたる上司は、皆がこれを実行できる「時間」と「場」の環境を与えることです。少しでも変化に対応できる知恵を個々人が増やすことにつなげられるからです。

 

d) 語り継ぐ人

 事の背景やあることを成し遂げた心意気などが、マニュアルでは伝わりにくいです。完全に説明できにくいことが多いからです。ここにストーリーの語り部の役割が必要となります。

 私の場合、これを「分身」と思える社員に手伝ってもらいました。一連の失敗や成功の体験を物語として語ることです。単に文字になっていることを読むのでなく、体験した本人が自分の言葉で部下に語ることがどれほど実のある教育・研修になるかを、私は実体験で学びました。

 「分身」を通じて語られるストーリーが彼らの心に残るので、眼に見えない威力を発揮します。この語りは営業マンだったり、部長が困難な局面を乗り越えた経験だったりしますが、聴く人の心に紙芝居的な映像として残ります。

 私自身は約20年の経営の中で、自らの苦難の経営局面を自ら社員に語ることは、ある時までは、約10秒だけでした。

 確か株式公開が出来た後の挨拶で、一言「本日、株式公開が出来ましたが、ここに至るまで過去苦難の局面があったことを忘れないで頂きたい。」と。 私からすれば、資金の工面経験などは、経験させたくない、彼らのマネジメントにとってはあまり役にたたない、もっとマネジメントにとって優先順位の高いことがあるとの思いが強かったからです。

 ところが、ある時、元、オリコの副社長だった田中顧問が、「園山社長、そろそろ昔の苦労した局面ことを知っている社員が少なくなったので、それを語った方が良いですよ。」とのアドバイスを強力に受けました。彼はその時は会社の顧問で、かつて裁判で死闘を演じた男です。「敵ながらあっぱれ」と、それ以前から長く役員を引き受けてもらっていました。

 これは会社の経営を引き受けてから、株式公開、そして上場と邁進し、大分時間がたった頃の2003年頃のことです。アドバイスに沿い、局長クラスの数十名に過去の倒産寸前の苦難の経緯を話したことを覚えています。局長クラスのメンバーが私の「分身」として自らの言葉で自分の部隊の部下にその内容を語り継ぐストーリーテラーの役目を担ってくれたことを記憶しています。さらに私の経営に関する考え方の浸透が増してきたことを覚えています。

 

e) 捲土重来のチャレンジできる制度

 失敗しても捲土重来チャンスを与えることです。

 私の経験を振り返っても沢山の失敗から学びました。特に若い頃、沢山の失敗をしました。上司から怒鳴られた経験もあります。顧客から出入り禁止を食らったこともあります。

 私が経営を引き受けた時には、このような経験がどれほど役にたったのかを思い知り、この趣旨を社内の人事制度に反映させました。

 挑戦して、仮に上手くいかなくても再度チャレンジして捲土重来を期す機会をあたえるものにしました。このことで現場の組織の活性化のみならず、「チャレンジしろよ!!」という私の言葉が偽りなく本気なのだとの評価が定着し、経営への信頼感につながったことを、以後社員から聞きました。社員が安心して仕事が出来たようです。

 

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