折々の言葉 / 語り継ぐ経営
第212回 今、リーダーに求められている経営の視座(7)
前回の続きです。
海外の幸せ観の例
幸せの国際比較をした研究があることもも知りました。2006年イギリスのレスター大学が178か国を対象にしたもの経済成長率のみでなく、健康、景観、教育、信仰心などを基準に各国の幸福度を計測したものです。
日本は90位ですが、1位はデンマークです。
この国は地図で分かる通り、平坦で比較的暖かい。農業が強い国で、社会保障制度を早々に充実させ福祉国家を築いた国と社会科で学びました。
なぜ幸福度が高いのかは別として、本題との関係で幸せに焦点を当ててみます。
この国出身の童話作家のアンデルセンが有名です。
皆さんご存知の童話、『マッチ売りの少女』が幸せを語っているのではないかと思います。これはデンマーク人に幸せの考え方を諭したものとも捉えることができます。以下は、Wikipediaからの全文引用です。
「むかしむかし、雪の降りしきる大みそかの晩。
みすぼらしい服を着たマッチ売りの少女が、寒さにふるえながら一生懸命通る人によびかけていました。
「マッチは、いかが。マッチは、いかがですか。誰か、マッチを買ってください」
でも、誰も立ち止まってくれません。
「お願い、一本でもいいんです。誰か、マッチを買ってください」
今日はまだ、一本も売れていません。
場所を変えようと、少女が歩きはじめた時です。
目の前を一台の馬車ばしゃ)が、走りぬけました。
危ない!
少女はあわててよけようとして雪の上に転んでしまい、そのはずみにくつを飛ばしてしまいました。
お母さんのお古のくつで少女の足には大きすぎましたが、少女の持っているたった1つのくつなのです。
少女はあちらこちら探しましたが、どうしても見つかりません。
しかたなく、はだしのままで歩き出しました。
冷たい雪の上を行くうちに、少女の足はぶどう色に変わっていきました。
しばらく行くと、どこからか肉を焼くにおいがしてきました。
「ああ、いいにおい。・・・お腹がすいたなあー」
でも少女は、帰ろうとしません。
マッチが一本も売れないまま家に帰っても、お父さんはけっして家に入れてくれません。
それどころか、
「この、役立たずめ!」
と、ひどくぶたれるのです。
少女は寒さをさけるために、家と家との間に入ってしゃがみこみました。
それでも、じんじんとこごえそうです。
「そうだわ、マッチをすって暖まろう」
そう言って、一本のマッチを壁にすりつけました。
シュッ。
マッチの火は、とても暖かでした。
少女はいつの間にか、勢いよく燃えるストーブの前にすわっているような気がしました。
「なんて、暖かいんだろう。・・・ああ、いい気持ち」
少女がストーブに手をのばそうとしたとたん、マッチの火は消えて、ストーブもかき消すようになくなってしまいました。
少女はまた、マッチをすってみました。
あたりは、ぱあーっと明るくなり、光が壁をてらすと、まるで部屋の中にいるような気持ちになりました。
部屋の中のテーブルには、ごちそうが並んでいます。
不思議な事に湯気をたてたガチョウの丸焼きが、少女の方へ近づいて来るのです。
「うわっ、おいしそう」
その時、すうっとマッチの火が消え、ごちそうも部屋も、あっという間になくなってしまいました。
少女はがっかりして、もう一度マッチをすりました。
すると、どうでしょう。
光の中に、大きなクリスマスツリーが浮かびあがっていました。
枝には数え切れないくらい、たくさんのロウソクが輝いています。
思わず少女が近づくと、ツリーはふわっとなくなってしまいました。
また、マッチの火が消えたのです。
けれどもロウソクの光は消えずに、ゆっくりと空高くのぼっていきました。
そしてそれが次々に、星になったのです。
やがてその星の一つが、長い光の尾を引いて落ちてきました。
「あっ、今、誰かが死んだんだわ」
少女は、死んだおばあさんの言葉を覚えていました。
『星が一つ落ちる時、一つのたましいが神さまのところへのぼっていくんだよ』
少女は、やさしかったおばあさんの事を思い出しました。
「ああ、おばあさんに会いたいなー」
少女はまた、マッチをすりました。
ぱあーっとあたりが明るくなり、その光の中で大好きなおばあさんがほほえんでいました。
「おばあさん、わたしも連れてって。火が消えるといなくなるなんて、いやよ。・・・わたし、どこにも行くところがないの」
少女はそう言いながら、残っているマッチを一本、また一本と、どんどん燃やし続けました。
おばあさんは、そっとやさしく少女を抱きあげてくれました。
「わあーっ、おばあさんの体は、とっても暖かい」
やがて二人は光に包まれて、空高くのぼっていきました。」
上記の引用を勝手に簡略化して解釈すると、冬の寒い夜に貧しい少女がマッチを売っていました。なかなか売れません。凍え死ぬような寒さの中、少女が自分を温めようとマッチを擦ると、ストーブが目の前に現れてきます。ところが、暖を取ろうとストーブに近づくとストーブは消えてしまいます。次にマッチを擦ると、ご馳走が並び燭台が現れますが、それを手に入れようとすると、ご馳走は消えてしまいます。
また少女がマッチを擦ると、おばあさんが現れ、少女を抱き上げて天国に連れていきます。
翌日、残ったマッチを抱えながら少女が死んでいる姿を見ることになるのです。
デンマークの幸せ概念
この教訓は、人間は幸せを求めようとすると、なかなか得られない。たとえそれが得られることがあってもすぐに消えてしまうことを暗示しています。さらに、高望みをすることが如何に無益なことかも警告しています。
欧米の一部の経営者には、家庭を犠牲にしてまで高額の経営報酬を求めて働き続け、さらに高望みを追い求め、結局、際限のない欲望の壁に突き当たり人生を棒に振った人もいます。そのような人を私は見てきました。
そのようにならないようにアンデルセンは、玄侑氏の説く人間関係というより、自己を律する厳しい心を前提においているとみられます。彼の考え方がデンマークやヨーロッパを代表する意見かは不確かですが、幸せの考え方の違いが見えます。
人は自己を律しそこそこの幸せを求めることによってこそ、満足度の高い人生を送ることができることです。この考え方が日本にないわけではありませんが、玄侑氏の人と人との関係から幸せを説く意見も非常に参考になります。
ゼロ成長時代の幸せ観
日本のようなマイナスの人口成長率では経済成長率は高まるはずがありません。高めるには出生率(含む移民)を上げるか、資本の成長率、技術進歩率を上げることが必要だと慶応の時、経済原論で習ったのですが、それを実現する策がもちろん必要です。
加えて、ゼロ成長率の時代の日本での「幸せ度」をいかに上げるかという、これまでになかったテーマに正面から取り組むことが国家施策として必要ではないでしょうか。
ご参考になれば幸いです。
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