


折々の言葉
ビジネス上、どうやって一番になるか、近づくか?(2)
前回の続きです。
6.目に見えないものを売る
目に見えないものを売ることを心がけてください。
前回、差異化を何にするかに十分な思考が必要だと述べましたが、できれば、目に見えないものを一番の差異化として打ち出すのも効果的です。例えて言えば、夏の時期にクーラーという商品を売るのでなく、適切な涼しさと快適さを含めた全体を売ることです。目に見えないから簡単に真似ができないものを売ることです。
私は、経営者の立場でしたから、目に見えない差異化を、最終的には、クオリティー重視の独特な企業文化、企業風土に置きました。この部分の詳細は『これからの課長の仕事』(ネットスクール出版)に譲りますが、企業の扱う商品によって多少の違いがあるとしても、目に見えないものを売る勇気を持ってほしいです。
競争にさらされるリスクも少ない。競合が簡単に真似できない。結果として、長期に価格の優位性も維持できることにつながるからです。
7.付き合い方
良いお客様と付き合ってください。
自分の会社の言うことをすんなり聞いてくれるから、良いお客様ではありません。全うで、理不尽でない意見を述べられるお客様のことです。そのような顧客には教えを乞うことができます。このようなお客様こそ、自分や自社を鍛えてくれる顧客です。
逆に、そうでないお客様の悪い動きに巻き込まれないことです。その場では、助かった、儲かったつもりでも、必ずしっぺ返しが来ます。
しかもそのようなお客様は、「類は友を呼ぶ」のたとえの通り、あなたの事業に悪い運をもたらす元凶となるかもしれません。
8.限られた選択肢を与える
顧客に選択肢を与え過ぎないことです。
顧客の選択に関して、自転車の販売での実験例がどこかに載っていました。店頭に自転車を数台限定して陳列する場合のほうが、沢山置く場合より販売台数が勝った例でした。
沢山陳列すると選択肢を与え過ぎて、結局、顧客が決断できなくなるからです。かえって不親切になりかねないからです。この数台の自転車が、「私どものおすすめ品です」という、会社としてのプライドを示すことにもつながり、結果として販売に貢献した部分もあるかもしれません。
煉りに煉って最良のものを限定的に提供して、お客様に選んでもらってください。まかり間違っても、会社として開発した全商品の陳列台にしないことです。
9.計画の立案
事業の計画は必ず立案してください。
どんな粗末なものでも結構です。ただし、数字と内容が伴っているものです。部下がいます。関係する取引先がいます。勿論、銀行もいますので、彼らのためにも必要でしょう。
しかし、本質は、自身の経営の軸のブレを回避するためです。言い訳がましいことばかり言う経営者に時々会います。このような経営者は、大概事業の計画を立案していないか、計画などどこかに置き忘れてしまっていることが多いです。勿論、社員にも開示していない。したがって、誰からのチェックもなく、流れに任せて経営しているようなものです。
上手くいかなかった時には、事業の計画の無いことが致命的となります。比較すべきものがない。修正のよりどころが無い。戻る場所が未定だからです。勿論、極端な修羅場における場合は、計画の枠を超えたことが発生しますが、普段のビジネス行動では稀ですので、とにかく、計画を作り、これを修正するクセをつけてください。
10.狙うマーケットと捨てること
新しい分野を切り開く、新機軸を打ち立てるくらいの気概を持って、狙いを定めて事業を展開してください。
儲かりそうなマーケットが沢山ありそうに見えても、当然全部は狙えません。はなから捨てるマーケットを最初に決めてください。
資源を集中して、追い求める分野にのみ注力することが肝要です。これくらいある一定のドメインに注力しない限り、成功の道は遠ざかるものと心得てください。
11.資金は後からつく
資金は後からつくものと考えてください。
1年位は走れる資金は、当初必要でしょう。しかし今の時代、事業が魅力的で、経営者がしっかりした考えと実行力を持っている限り、会社の発展に合わせて資金を提供してくれるチャンネルはいろいろあります。逆に、資金の提供側は、それくらい魅力的な事業を考えられる経営者か否かを、観察していると言っても過言ではないかと思います。
会社もある程度軌道に乗れば、追加の資金の提供の申し出もくる時代になりました。資金の性格にもいろいろあります。経営者が提供者の資金の性格をしっかり吟味しなければならないのは言うまでもありませんが、真剣に経営すれば、資金は後から付いてきますので、この優先順位を間違えないでください。
12.信念を持って働きまくる
成功するという信念を持って、働きまくってください。
起業した時、会社の中で新規の事業部門を任された時などは、四の五の言わずに、とにかく、働きまくる、夢中になることです。
こうして初めて部下や周りもついてきます。あなたの仕事の姿勢に感動する顧客も出てきます。頭でどんなに良いことだと思っても、そのことを実際に実績で示さなければなりません。そのために、出会いを大切に感謝する気持ちを持ち、デモンストレーションやトライアル会等、なんでも良いのですが、寸暇をおしまず顧客接点を持つという、トップ自らの率先した行動で、働きまくってください。
以上、皆様の経営の参考になれば幸いです。
ビジネス上、どうやって一番になるか、近づくか?(1)
どうやれば競合条件の中で早く一番になれるか、または、近づくかは、世の経営者なら誰でも関心の高いことと思います。
皆様が何かのヒントを見つけることができると思い、今回はこれに関して思うことを述べさせていただきます。
私が経営を任された当時、会社は、その規模や内容等どれをとってもNo.1の企業に大きく水をあけられていました。NO.1企業からすれば、どちらかと言えば「その他の会社群の一つ」として評価されていたと思います。これを社員と共に十数年かけて、あるドメイン分野で実質No.1の会社に成長させることができた経営体験から、どうやって早く一番になり競合会社を凌駕できるか、これを今回のテーマとしました。
これから述べるヒントは、今も多少の修正を加えれば、どの業態でも通じることだと確信しています。
1.時代の少し先を読み、満を持して作戦展開をする
戦略には相当な思考過程が必要となりますが、時代の潮流をしっかり捉え、少し先を読んだ戦略を描くことが求められます。
ただし、余りにも早く時代の流れに乗りすぎないこと。限られたエネルギーを、時間の経過により消耗することにもなりますのでご留意ください。時には知恵を絞りに絞って、後出しジャンケンをするくらいの余裕を持ってください。すぐに潮流に乗らないで、少し待つ。満を持して作戦展開をすることです。たとえ後発でも、時代の潮流の読み違いさえなければ、先駆者のマーケットを打破することができます。
このタイミングを如何に見極めるかは、経営感覚と言うか、リーダーとしてのセンスがモノを言う部分になります。
2.ニッチな市場を狙う
戦略ターゲットとして、出来ればニッチな市場を狙ってください。
多くのマーケットでは、競合がひしめき合っています。その中で「その他の会社群の一つ」に埋もれないためには、ニッチな分野で他の人がやらないことを狙うことです。
他の人が成功しているからその分野を狙うのは、陥りやすい落とし穴です。いろいろなところで成功体験や失敗体験として語られている通り、皆が同じ方向を向きだし始めたら、そもそもそのマーケットが成熟に近いことを暗示していると気づいてください。新機軸や技術に余程の差が無い限り、単純に他の人の成功分野を後追いで狙うのでは、単なる消耗戦に巻き込まれます。結果として、会社の組織や人材が疲れ果ててしまうリスクがあることを忘れないでください。
そうは言っても、救いようもあります。市場が円熟している分野の中でも必ずニッチな分野を捜せます。アンテナの張り方の広さと深さ次第で、ニッチな分野は意外に多くあることに気づきます。
違う視点からの経営的センスを持ってニッチな分野や商品を探し出す、普段からのたゆまない探究心が必要となります。
3.差異化のターゲット
何に差異化のポイントを置くかを、まず明確に決めることです。
最初の頃は、誰でも持てる資源は限られているはずです。戦略を早く実現したくても、人、モノ、設備、技術、資金等あらゆるところで経営資源が不足しているはずです。そのような状況の中でも、差異化を出せる分野にあなたの会社が資源とエネルギーを投入しつづけることが出来るかが、勝負の分かれ目です。
目移りする面白い分野もあるでしょう。しかし、差異化のポイントを一貫してずらさず、決めた我が道を行くことです。そこの資源を集中的に投入することです。チャンスが必ずやって来ます。
私の場合、ポイントを「クオリティー」に置きました。この部分で差異化すれば、少ない資源でもNo.1企業に対して勝負できると確信したからです。ここにクオリティーとは、単に作り手側の論理での品質ではなく、高品質でしかも顧客の願望にマッチし、顧客を魅了する何かを言います。会社のあらゆる施策に、これを反映させ一貫性を貫きました。
結果として、会社のブランドを築くことができ、比較的高い価格でサービスを販売できることになったと思います。
4.顧客のファン化
顧客を酔わせるキー・サービスやコンテンツを探すことです。これで顧客をファン化することです。
商品の内容、提供方法等に関して法的保護が薄い分野では、そのうち誰かが真似してきます。それでも優位に立てるキラー・サービスやコンテンツを探し出してください。まずそれを明確にして、そのレベルアップを常に考えて対応してください。
顧客を酔わせる何かが一見なさそうな分野にも、真剣に考えればかならず見つけることが出来るはずです。そのキー・サービスやコンテンツをトリガーとして顧客を魅了し、ファン化することです。
5.顧客の不満を吸い上げる工夫
消費者の不満の声は満足の声より大きくなる傾向を持っている事実を、事業ヒントにしてください。不満の声が大きい思う分野に、会社として誠実に対処する方法を考え、実行できるかが次のポイントとなります。
顧客は不誠実を一番嫌います。どんな分野でも、顧客の不満に誠実に対応するビジネスの礼節が求められると考えます(参考:『礼節と誠実は最強のリーダーシップです。』クロスメディア・パブリッシング社)。
勿論、費用対収益の関係が吟味されるべきです。その比較スパンを、単年度でなく出来るだけ中期的なスパンで考えてください。特に、サービスの提供に関わる事業では、人件費の負担が大きな課題です。これを節約するために、海外シフトする企業も見ます。しかし、その市場に適したサービスの質を提供するためのトータルコストをよく吟味してみると、違った結論がでるかもしれません。
国家とは何かを考える(2)
前回の続きです。
国家権力と官僚と税金
我々が教科書で学んだ通りであれば、太古の昔には、人間が誰の指示もなくある場所で生活していたはずです。ところが、ギリシャやアテネを中心とした都市国家が形成されてから、国家が国民を束ね、国家としての機能を果たすようになってきました。国家にはいろいろな機能があると思います。
どこかの首相がよく口にする言葉、すなわち、「国民の生命と財産を守る警察機能」、「他の国家からの脅威から守る安全保障のための軍事機能」、「社会保障を充実するための所得再分配機能」などです。全くその通りで、どの国家機能をとってもそれぞれ大事に見えます。しかし、これらの機能が組織と結びついて権力となり、膨大な国家権力が構成された時点から問題が複雑になります。
この国家機能を運営する役割を果たすのが官僚です。果たして彼らが国民のためにという高邁な思想をもって仕事をしているのか否か、いろいろな事件がある度に私は考えさせられます。権力を維持するための財源を、我々国民が支払う税金の収入等でカバーしているにもかかわらず、何故官僚がこんなことをするのだろうと思うことが多数発生しています。
もう少し直截に、自分の税金が特定の官僚のA氏を喰わせていると考えてみると、官僚のA氏の働き振りに無関心ではおれないはず。ところが、マクロで国民という言葉で集約され、マクロで官僚と称するとこの感じが薄れ、税金の配分と官僚のサービスの関係が分離されてしまうから不思議です。国家権力や官僚組織にまったく無頓着になりやすいのです。 A氏が国家や国民にしっかりサービスをしているかを監視する機能が、個人として働きにくくなってしまいます。
国家の側からすると税金の徴収、この管理のために当然官僚が必要であるという大義名分があります。自分の給料を払ってくれる誰かが必要なことも事実です。しかし、国民の側からすると、先に述べたように自分が特定のAさんという官僚の給料を払っているという厳然たる事実を直視すると、国民と国家の関係で、その人はAさんに違う感情を抱くと思います。勿論そういった感覚が出ないように官僚は上手くやっていますが、その人は国家や地方自治体から、我々が支払う税金に相当するサービスを受けていないと感じたり、その事業は全く無駄ではないかと肌感覚で感じるからではないでしょうか。
無駄と思える税金の配分
長崎県、有明湾諫早の干拓事業に関係した排水門についての最近の判決。長崎地裁は「当面そのままに」。また、佐賀地裁の一審判決を支持した福岡高裁は「5年間排水門開放」の判決。
この、門を開けない、開けるについて、裁判所によって異なる判断が下されています。しかしいずれにしても、判決を履行しない場合の制裁金に、間接的に国民の税金が充当されることになります。自然な海流に任せ、これまでに排水門の壁など人工的なものを造ることに、この予算を配分していなければ国民の税金が浪費されなかっただろうに、とも思いたくなります。政治権力や官僚の誰がこんな無駄なことをしてくれたのか。
島根県と鳥取県にまたがる宍道湖・中海の干拓淡水化のために、1963年から39年間行った、海水をせき止め干拓して宍道湖を淡水化する事業も、先の例とほぼ似たものです。海流の流入により、沢山の貝類が育っていた汽水湖の宍道湖では、せき止めの護岸工事でヤマトシジミがほぼ絶滅するなどの水質汚染を招き、自然環境が破壊されてしまいました。
この工事は2002年に中止されましたが、これまで国民の税金を851億円も投入した挙句の中断。この干拓事業をやる意味がどこにあったのでしょうか。政治権力や官僚の誰が、この工事に予算を配分してこんな無駄なことをしてくれたのか。この明確な失敗の責任を誰が負ったのか全く不明でうやむやの状態。国家権力の在りようを模範的に示している悪しき事例ではないでしょうか。
違憲状態という不思議
一人一票の投票の価値に照らして、先の国政選挙が「違憲状態」との最高裁判決。
この判決が出ているのに、違憲(状態)で当選した国会議員が国民の税金を配分する予算の審議をしているという、何とも不可解なことが現実に起きています。
これが会社なら、これが一般個人にかかわることなら、どうなるのでしょうか。法に反して何かをしでかしてしまったのに、違憲(状態)だけど、会社も個人も何の咎めを受けないことにはならないはず。法治国家で、憲法に照らして最高裁の判決に対してまで、国家権力がここまで跋扈して、一人一人の国民の主権が無視されてしまっている現状に、国家や権力とは何かを改めて考えさせられてしまいます。
正義とは
コラムで結論めいたことを言うつもりはありません。しかし、一度権力構造が出来てしまうと、すべてが何となく流されてしまう不思議な傾向が発生します。 何が正義なのかの正当な判断軸が曖昧になりがちです。その最大なものが、国家や国家権力ということになるのではないでしょうか。
皆様も一国民として身近なところから正義とは何かを見直してみては如何でしょうか、少しでも、国民が安寧に生活を営めるように。
国家とは何かを考える(1)
私は最近、国家という得体の知れないモノが不思議に思えて仕方ありません。
いろいろなところで国家の在り方が特徴的にみられる事象が発生しています。ウクライナなど国家間の紛争、官僚による、国民から集めた税金の特定事業等への配分、一人一票の国民の投票価値の毀損などの最近の事象に遭遇すると、一人一人の国民の意思や権利が、国の政治などの中で本当に反映されているのかを考えさせられることが多くあります。
国民と外交
ウクライナをめぐる、ロシアとアメリカを中心とする7か国のここ数か月に亘る攻防。
ウクライナという国家を維持存続させ、自国民の権利を守るために旧ウクライナの代行リーダーと、新たに大統領となったリーダーの必死に頑張る姿が映像に映し出されている反面、G7各国とロシアの首脳の交渉ぶりを映像で垣間見るに、両陣営の首脳ともウクライナという国家とその中に住んでいる国民のことを、どう真剣に考えて対応しているのかが全く見えてこないのが残念です。
自国の利益をどう確保するかのみに判断軸の中心をおいて対応しているのではないか、という印象を受けるのは私だけでしょうか。「これが外交である」と言えばそれまでですが、これらの情報に接するたびに、国家とは何かということに素朴な疑問が湧いてきます。
祖国を愛する心と国家主義
国家の中にはいろいろな民族がいます。○×民族や○○民族が住んでいて、社会生活を営んでいます。この民族は当然土着の風習や宗教を持ち、周囲の他の民族との折り合いをつけながら安寧に生活しています。
何らかの時に、誰かがこの民族を、ある種束ねる目的で線引きをして国家を形作ってきていますが、これが物事を複雑にします。中の住民の意思とは関係ない理由で線引きされた国家の中に、特定の民族が属すことになることもあります。一つの国家の中に多民族がいる、また、一つの民族が多国家にまたがり、隣の国家との関係が上手くいっていない中で苦痛を強いられているなど、いろいろな問題も派生していきます。否、むしろこのような複雑な状態こそが現実の世界です。
ここにこそ、それぞれの民族の自治と自由度を含めて住民の意思を尊重し、国全体を統治していく相当高度な政治的リーダーシップが必要とされています。愛国心のPatriotism(祖国を愛する心)があるのは当たり前としても、Nationalism(国家主義)の高揚を政治的に利用するリーダーシップは時代遅れだという認識を持たねば、この複雑な状況を統治するのは今や至難の業です。それほど国家のリーダーの時代認識、さらに、仁徳と力量が要求されます。そうでない場合、統治される国民の側からすれば、彼らが国家の中に含まれるメリットを全く享受できないか、時には有害にすらなるかもしれないからです。
国家のリーダー
にもかかわらず、一部の国のリーダーは、19世紀から20世紀初頭の頃の帝国主義国家のリーダーになりつつあるのではないかと、私には映ります。国民のナショナリズム(国家主義)を鼓舞して領土や領海の覇権を競い、海洋を含む世界地図の分捕り合戦を再度展開している有様です。当然の流れとして、国民という土着の民族の安寧等はどこかに飛んで行ってしまっている状態です。
このように、中に居住する国民の生命・財産が危うくなると、国民の心理は、「強い国家の庇護のもとにいるのが安全」という方向に靡きがちです。国民はそのような強い国家の国民になりたいという錯覚も抱きます。
しかし、世の中、そんな余裕のある国は数えるほどしかありません。しかも、それを長年維持できる力を持った国などほとんどない状態です。とすると、軍事的に強い、弱いという判断軸で国家主義のもとに国民を愚弄するリーダーの戦略は、それぞれの民族や国家の維持発展のためには全く間違いであることに、一部の国のリーダーは早く気づくべきであると思います。そうでない限り、民族を束ねる国家としての役割がますます疑問になってくるからです。
人間の魅力と生き方
私は最近、『礼節と誠実は最強のリーダーシップです。』という本を著しましたが、このタイトルにしたのは、「礼節」と「誠実」こそが人間としての最大の魅力であるとの視点で、ビジネスマンのリーダーシップの在り方を述べたかったからです。
このことが適切に裏付けられる実例事象を経営職の経験などの中から見つけだし、この本ではそれを一つの軸として、リーダーの在り方をなるべく簡潔に情報発信しました。
生きる強さ
本日は、「礼節」と「誠実さ」との関連で人間の「生き方」について、少しふれてみます。
ビジネス生活で「礼節」と「誠実さ」を通そうとするには、信念と覚悟が結構求められます。ビジネスで直面する問題の解決に、生き方の強さが相当必要とされるからです。付和雷同しない、意味もないのにムラを作らない。自己の考えや主義を誠実に通すため、生き方として個の強さ、自律性が必要だと考えるからです。
アイデンティティーの概念を提唱したことで知られる、米国のE・H・エリクソンは「ライフサイクル論」の考え方の中で、人間の心理形成上、年代に応じて重要な心理的課題を整理されています。彼の主張にもみられると思いますが、米国の精神心理学上の考え方の根底には、人間を支えるのに3本の柱があるとの趣旨が、ある本に書いてありました。
すなわち、まず個(セルフ)、自己対象です。人によって違いや程度に差があると思いますが、自律性と関係するものです。
次に、人と物の存在する世界で、自己成就できるかに関わるものです。特定の目標を立てて、それに向かって勤勉に取り組む力です。
更に、友達やパートナーを愛せるかに関係する友人や家族との親密性が、もう一つの柱です。
個の力、自律性
この考え方に従って比較すると、3つの柱の中で日本人は欧米人と比して、個としての強さ、自律性が足りないとよく言われます。これはDNA上、ある意味で致し方ないことだと、私は思っています。
日本人としては、上に述べた第2や第3の柱、すなわち、目標に勤勉に取り組む力や親近性などを尊重しながら、少し個としての力、自律性を強化する方が、国民性として合っているのではないかとも思っているからです。何故でしょうか。
ヨーロッパの人々は日本人に比較して個の力が強いと、私は思っています。
国々は平坦な地形です。それが河でつながっています。土地も、一部を除いてそんなに肥沃ではありません。ここで生きていくために、彼らはある時期まで、川を経由したり平坦な土地を渡り歩いたりして他の地域を侵略し、食物を奪い合う歴史を展開せざるを得なかった。厳しい自然環境が、生きていくための個としての力、自律性を強くせざるを得なかったのではないでしょうか。
個の力とのバランス
翻って、島国の日本では、肥沃、温暖な自然環境があります。食物のために大きな争いを起こす必然性が比較的少なかった。しかも山々が多く、他の地域を侵略することが、日本の歴史の初めころには、そう簡単なことではなかったはずです。この自然風土が個人としての強さより他の柱を育んできたとも考えられます。すなわち、周囲との良い人間関係を築いて一緒に何かを成し遂げることで、結果として皆が食物にありつける。このような力を発揮するDNAが、長い歴史の中で日本民族に根付いたのではないでしょうか。
すなわち、個の部分、自律性は比較的鍛えられていない状況です。
このままでは「礼節」と「誠実」に生きようと思っても、限界が出てくることがあります。ヨーロッパの人々は、我々の基準からすると、「そこまでするの?!」と思うくらい、個を大切にするのが自分と比較しても良く分かります。Self(個)の部分、自律性を我々よりはるかに重視していると考えます。
我々は、そこまでしなくともよい。周囲との関係性を維持しながら、何かの目標を成就する力とのバランスを考えつつ、更にもう少し個の力、自律性の部分を強化したらどうかというのが、私の考えです。
選択するテーマを成し遂げる力
個を強化するに当たり、選択するテーマは人それぞれにより、また、その人の年代により違うのは当然です。私の周囲にもいろいろなテーマの成就に頑張っておられる方々が沢山います。社会の矛盾を問い質す、政治の基本を正す等国家的なレベルのテーマを選んでいる方、他方、個人レベルで「・・・を・・・のレベルまで上げよう」と、少しこじんまりしたテーマに取り組んでいる方々と、様々です。選ぶテーマは違っても、頑張っている方々を見ると非常に魅力的です。彼らに共通していることは「生き方の強さ」が見られるからです。
私自身も、生きていく姿勢として二点留意しています。
「好奇心 」
一つは、常に好奇心を持つことです。今の状態に安住せず、常に何か新しいことを吸収していこうとの姿勢を持つことにしています。
以前からもこの姿勢はありましたが、何歳になっても新しいことに興味を抱くことが、強く生きるために重要なことだと考えています。このため世の中の情報に常に好奇心を持っています。電車の中刷り広告、若者の関心事、本屋さんで並ぶ本の傾向、路傍の草花や街並みの環境変化、自治体の植林や防災対応等すべてに興味津々です。もちろん、経営の在り方には当然興味を持ち、適切なアドバイスをしています。
「負荷 」
第二に、自分の行為に少し負荷をかけることにしています。
決めたテーマに毎日少しの負荷をかけることにしています。自分の殻を破って出ていく勇気を持って何かをするためです。大きく負荷をかけすぎると、私の年齢では、クリアできないので、従前より少し高めの負荷をかけて、少し無理をすることを心がけています。
このことが、昨日より更に「強く生きる」ことにつながっているかもしれません。こうやって少し無理をすると、何か新しいアイデアが湧いてきます。
ゴルフもしかり。もう少し上手くなるために、固くなった身体に負荷をかけ、無理して少し多く回転させる。たかがスポーツですが、下手でそのままでよいとの安住を自分自身で戒めるためです。
晴れた日のみでなく雨の日、嵐の日もある。このために昨日より少し強く生きることを心がけています。このことが、私が一番大事にしている「礼節」と「誠実さ」を貫くために必要なことだと思うからです。
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