


折々の言葉
人を育てる-「考えさせる」こと
社員の育成に誰も悩むところです。このためには動機づけが不可欠です。
いろいろな方法がありますが、私は、社員を動機付けする最高の方法は、「考えさせる」ことだと思っています。
自分の体験でもわかります。何かを達成したにも関わらず、それが懇切丁寧に指示指導された結果であり自らの創意工夫がない場合、喜びと感激も半分で満足感が何となくもう一つであったことを経験しています。
「考えさせる」内容
組織の中で部下を育成する立場の人は、育成の為の動機付けのために「考えさせる」ことの重要性は分かったとしても、「考えさせる」内容をどうするかにも悩んでいるはずです。
考えさせる内容は、「どうやって達成するか」、「どうチャレンジしていくか」などテーマはいろいろあるでしょう。
しかし、その人を「育てる」という観点からすると、単にハウツーでなくこれを超えた「考えさせる」内容こそがさらに重要になることに気づきます。何故なら、このことが組織体の場合、個人のみの問題でなく、組織全体の集団のレベルアップに関わる問題になるからです。 「考えさせる」内容は、その人の育成段階によって違いがあるとは思いますが、組織体である以上なにか共通するものがあるのではないでしょうか。それは、「何故、新しい取り組みが出来ないのか?」というテーマを内容として選ぶことではないかと考えます。
ルーチン的な仕事は、これはこれで大変重要ですが、その中で何か新しい取り組みが可能なはずです。この発想なくして新機軸は生まれようがありません。新機軸が生まれるきっかけは、「何故、新しい取り組みが出来ないのか」を自分自身が真剣に考えるところから出発すると考えます。考え抜くことで自ら思考の浅さにも気づくはずです。
バーチャルとリアル
バーチャルとリアルを対比することがいろいろな局面でよく登場しますが、「考えさせる」ことはある意味でこの対比に通じるところがあるように思えます。
すなわち、上司が、「あれをこうしたらこうなる」のように手を取り足を取る指導、これはこの指導を受ける人にとっては、ある種のバーチャル体験だと思います。上司の熱意は買うとしても、しかし、それでもなかなかうまくいきません。自分で考えて失敗して、初めて体験するリアルとは明らかに違うからです。どんなに本を読んでも、簡単にテントが張れないことと同じです。
私は最近庭の垣根の手入れをするために日本的な垣根結びの方法をネットから引っ張り学ぼうとしています。バーチャル・スタディです。バーチャルの絵図では簡単そうですが、紐を結ぶ相手側に想定外のいろいろな変化や事象が発生して、実際にやってみるとどっこい上手くいきません。その対応方法など庭師にリアルで体験指導を受け、自分でリアルにやってみないことには庭の垣根の手入れができないことに遭遇しています。
このようにある指導の下、リアルの体験を通じてその人が成長する部分が多いと私は考えています。バーチャルからリアルへのつなげ方を「考えさせる」ことにより自ら成長した実感をうることにつながるのではでしょうか。若者のバーチャル思考を嘆くのでなく、このようにリアルとの組み合わせを発展的に考え実行させてやれば、彼らの成長スピードはさらに増すことになると確信しています。
以上のようなことの積み重ねで、はじめて人が「考える」習慣を身に着け、「人が育つ」環境が築けるのではないでしょうか?少なくとも私の20年の経営体験では、このことが実証されました。皆さんも一度試してみてください。
人材採用の視点
経営上の人材採用の意味は「皆が一緒に働く会社に永く付加価値をもたらしてもらう」ことにあると考えます。人材こそ財産だからです。
この「ビジネスコラム」の「人間性と運」(2013年9月26日)でも採用について一部述べましたが、経営上非常に重要なことと考えますのでここに再度述べさせていただきます。
2013年10月に、偶然元の部下が飲み会に誘ってくれました。この席でいろいろな企画や話題が出ました。採用の極意も話題の一つで、ある立場になると皆悩んでいることがわかります。少しでも皆さまのお役に立てば幸いと、私が彼らに話した内容をここに披露します。
経営側の要請に応えるべく各社の採用担当者も知恵を絞っておられると思います。かく言う私も、かつて経営を委託された最初の時点では、採用には悩みました。悩みぬいた末、あるヒント、すなわち、視点が何となく目の前に開いてきたのを覚えています。以後はその視点で設定した採用ガイドラインを下に良い人材をたくさん採用できたことを幸せに思っています。
また、経営側の基本的要請を誠実に実践してもらい、かつ、彼らの知恵を絞ってもらうべく最も優秀で信頼の置ける人間味の豊かな人材を採用のグループに配置することを毎年の人事で行っていました。それほど「経営の入口」のところである採用視点を重要視していたからです。
採用視点
この時の視点を整理してみると、
1.人材のトンガリ度、
2.人間性(オープンで素直さ)
3.良い運の持ち合わせ
4.公やチームに貢献する力
を持っているか否かを判断のポイントとしていました。個人の高い能力以外に、上記のような人材の採用視点を採用部門に指示していました。
人材のトンガリ度
第一に、その人のトンガリ度です。
ここにトンガリ度とは何か特定の分野や能力において他の人に比べて極めて秀でたものを持っている度合いを言います。
見方によっては、多少、オタクっぽいところがあるかもしれません。しかし、特定のことを徹底して追求して来た結果本人のドンガリ度が研ぎ澄まされているわけで、オタクっぽさとは別に、何かを徹底して極める姿勢こそ人間として大切で、その後の成長の可能性も秘めていると考えていたからです。
特定のことに徹底して努力する姿勢を買いました。その過程で会社の新機軸を打ち立てるのに大いに貢献してくれるはずです。私が経営していた頃のこの会社の人材が、他社の人材に比較してとにかく「何か違っていた」と評価を受けるのも、この視点背景とそれを基にした企業風土と無縁ではないかもしれません。今回会った元部下の彼らもトンガっています。
ヒューマン・スキル度
第二に、人間性です。
「ヒューマン・スキル」とも呼んでいました。
一生懸命に仕事をし、これを通じて自らを鍛え、能力を高め、結果として自己の人間性を高める度合いです。誰からも好かれる人間味のある人です。しかも本人の生い立ちによるのみでなく、仕事を通じて醸成した人間味のある人です。仕事を通じて醸成した人間性と言うと最近の人には嫌われるかもしれませんが、働くということを人間性と関係性を持たせて考えることができれば、本人にとっても一番幸せなことではないでしょうか。
採用担当者が個別の面接でこの人間性の豊かさを見抜くには、一定のスキルが要請されます。採用担当者である彼らも、部下を持って育成する立場になればなるほど、この人間性が効いてくることを、一番身にしみて感じていますので、彼らなりに様々な努力をしています。
今回飲んだ元の部下には、人間性を見分ける私流の簡単なヒントを伝授しておきました。才能の非凡さを自らひけらかし誇るような人には、部下の成長を期して彼らの面倒を見てくれることを期待するのは無理かもしれません。これが分かる簡単な質問をすることです。
「後足で砂をかける」、「後ろからいきなり切りつける」と称されるような人材は、ある段階までこの会社にまずいなかったのは、この会社と当時の社員全員が一番幸せに思った点ではないでしょうか。人間性、ヒューマン・スキル度の視点を重視しての採用と無関係ではないはずです。
良い運を運ぶ人
第三に、運の持ち合わせです。
9月26日の「ビジネスコラム」でも書きましたが、入社した会社が倒産の憂き目に遭う、その人が入る度にまた次の会社が倒産するというような悲惨な経歴を持った人が時々入社を希望してきました。残念ながら、私はそのような人はどんなに優秀で、他の採用視点には合致していても採用を諦めることにしていました。どうも良い運を運んでくれないからです。逆に、悪い運をその人が運んで来るので次の会社が倒産するのではないかと思うくらいです。理論的背景は不明ですが、社員全員が不幸にならないためにこの視点も大事にしていました。
公やチームに貢献する姿勢
第四に、自分より公やチームへの貢献に力点を置ける人材か否かです。
自分の仕事と他人の仕事の距離を少なくし、公やチームに関心がない限り、ほとんどの会社では自分の仕事と全体の仕事効率が下がるはずです。こうならないためには、私は仕事というボールの受け渡しを考えながら自分の仕事をする必要性を社員に口を酸っぱく説いていました。このことが、結果として、周囲の人間から認められ「公の心」「チーム力」も向上させることになるからです。
仕事と家庭の関係も重要です。トップのポジションを目指す人は、少なくとも、「公の心」を最大限優先しなければならないと、私自身は考えそのように努力をしてきました。
CSK(現SCSK)の故大川会長からある会社の経営を引き受けるときに、最初に言われたのがこのアドバイスでした。今も鮮明にこの時のやり取りを覚えています(詳細は、「これからの課長の仕事」をご参考にしてください)。リーダーが、私欲でなく明けても暮れても公のこと、会社のこと、社員の幸せを最優先で考えない限り、その会社は競合に比して社会的影響力が明らかに劣る存在になり下がると今でも思うからです。
全国のたくさんの採用関係者の方々、少しは参考になりましたでしょうか。経営層がどのような採用視点を打ち出すかは、コントロールできない部分がありますが、人材の入口をどのように考えるのか、経営層もふくめて関係者全員で議論してみると、双方の視点の一致がさらに多く見られるようになると思います。結果として、その企業の「企業風土」づくりと関係してくるかもしれません。
社員の体質になるまで徹底して落とし込んでいますか?
マニュアルのみに頼るのではなく、その内容を社員の体質にしないと何事も効果が薄いことを、事例をもって述べます。
警視庁職員の現場での判断
1995年に不幸な地下鉄サリン事件が起きました。これを起こした実行犯、オウム真理教の平田容疑者が、15年間の逃亡の末に警視庁に出頭したニュースが確か2012年頃流れました。せっかく出頭してきたのに、対応した役人にこれをイタズラ行為と看做され一蹴されたこのニュースを記憶されている方もおられると思います。
その後の警視庁の対応として新聞に報道された内容が面白いというか笑えないジョークと私には映りました。マニュアルを整備して個人で判断しないように組織プレイとするとの趣旨の内容でした。その通りでありますが、何となく違和感を覚えませんか。
マニュアルと体質化
現場でその瞬間の判断がそもそも求められているのです。
最前線の警官がその瞬間に適正に判断ができる組織風土の欠如の失態を報道で証明された事例なのです。出頭してきた男を前にして、「上司と相談するので暫く待っていなさい!」と相談している間に、その男の気が変わり逃がしてしまいかねません。全く滑稽と映りませんか? 最前線で判断が適性にできるように個々人の体質にまでならない限り、犯人の逮捕の機会を今後も逃すことになりかねないのです。
単なるマニュアルの整備に終わらず、根源的には役所の組織や社員教育の在り方、その浸透方法の問題であることに気づいて欲しいのです。個々の社員の体質になるまでマニュアルの内容をWhy(何故)から説き起こして徹底してもらいたいものです。体質にならない限り、その瞬間の適切な対応は期待できないからです。体質になることは、ある意味でその役所や会社の組織風土と密接に関係があることを心に留めてもらいたいものです。
私が考える社長の仕事
社員にはできないことをするのが社長の仕事です。会社という組織体の中で経営の仕事をするのが社長の仕事です。
社長は孤独であると良く言われますが、本当でしょうか。「考える」レベルでは誰でも孤独です。したがって、このこと自体社長の独占事項ではありません。
「判断する」ことは独占事項ですが、会社組織の中で相談しながら最後の判断をするわけで、本当に一人で孤独で判断をすることなどそう多くはありません。私の20年の経営体験でもそのようなことは10回くらいでした。スケールは全く違いますが、故ケネディー大統領がキューバ危機の時に、戦艦をキューバ沖に派遣した時の決断などは本当の孤独といえるかもしれません。
衆議独裁
衆議一決の民主的方式では、その会社から斬新なことが出て来ないとよく言われます。本当でしょうか。自分の考えと社内外の知恵を集めて、最後は自分の考えを修正変更して、これを衆議独裁と言えば、これが一番良いかもしれません。完全に独善的な決断で上手くいく事例はそう多くないと私は推量します。
忍耐力
社長の最大の仕事は忍耐力でしょう。自ら遂行した方が早い案件が沢山あります。それでも誰かに託し、その出来上がりを忍耐強く待って意見を言わないと、その人の教育ができなくなります。これぐらい忍耐のいる仕事はありません。
一番商品の仕立て
一番になるために何をするかが社長の仕事です。企業が長く存在するにはNo.1商品をどれだけ沢山持っているかです。どうしても売上や出荷の数字を気にしてどんどん新しい商品を出してくる傾向がありますが、どこかで整理して削減しない限りその会社のエネルギーを特定の商品に注力してNo.1に仕立て上げることが難しくなります。
仁や義
論語では仁や義を教えます。マキャベリや韓非子では人間は利で動くと教えます。どちらも正しいことを言っているはずです。どの状況で見るか如何ですが、私はあまりに打算的に人間や社員を見るのが経営上妥当かについては、大きな疑念を持ちます。「農耕型企業風土づくり」を通じて会社を経営するには信頼することを主眼としていました。やはり、利より仁や義ではないでしょうか。
泰然自若としていることです。特に、悪い知らせに対していちいち動じない、そんなこともありうるくらいの姿勢で対応すると良いのではないでしょうか。
体系的に経営自体を理解し運営するには、私は経営者はプロとして育成されるべきだと考えています。しかも、その国の文化的背景を最大限加味した経営スタイルが望まれると考え、この主張を『これからの課長の仕事」(2011年)と『これからの社長の仕事』(2012年)を述べました。ご興味ある方は是非、ご参考にしてください。
人間性と運
会社の成長に従い、いろいろな人材を採用していました。印象に残ることが沢山あります。
採用での差別
以前の会社で培った経験を生かしてもらうために採用した彼らを「キャリア」と呼んでいました。それまでのキャリアを新たに入社した会社で発揮してもらう趣旨です。一般的に呼ばれる「中途採用」という用語は一切使用禁止としました。皆しばらく戸惑っていましたが1年くらいでこの言葉が完全に定着し、以前にいる社員と何のハンヂキャップもなく貢献してくれたのが嬉しい思いでした。一般的に「中途採用」と言うとなんとなく新卒組と対比させる言葉の響きを持ち、採用される側にとっても良い印象を与えないと考えたからです。このキャリア採用組に会社の発展を助けてもらいました。
人間性をみる
採用にあたっては能力に加えて、その人の人間性をできるだけ見ることにしていました。それでも、追って私のメガネ違いとわかる幹部社員も採用してしまったことが残念で仕方ありません。
物事は考えようです。私が騙さなくて「そういう人に騙される側でよかった」と。そう言うと、ある人に「それでは、中国全体を統一したほどの英雄にはなれない」と言われたことがあります。つまり腹黒さ、ツラの皮の厚さが足りないことを言っているのだと思います。それでも、「騙される側でよかった」との思いは変わりありません。長い人生の過程で本人のその時の行為がどういうことだったかを、どこかで本人がわかる時が来ると思うからです。
キャリア採用で「この人は採用してよかった」と思ったのは、今は日産系の関係会社で役員をしている山田清君です。彼のような真面目な人は能力があっても「うまく泳がないと出世できない、官僚的な組織では無理だろうな」と、面接時すぐ分かりました。でも、私は彼の裏表に差がない性格が好きでした。この人なら法務関係すべてを任せられる人物と見たのです。入社後の彼の能力は抜群で、しかもこれはという社員からの好かれ方は私の想像したとおりでした。
「運がない人」を採用していませんか?
雑誌プレジデントの今井副編集長と話す機会がありました。私のビジネスコラムで一度取り上げたことがあると思いますが、再述します。 その際、嶋口充輝先生(慶応義塾大学名誉教授、公益社団法人日本マーケティング協会理事長)から聞いた原因と結果をつなぐ「因縁」について話した折に、彼女から藤井聡京都大学院工学研究科教授の記事、『解明!運がない人は、なぜ運がないのか』(プレジデント、2011.8.15)を紹介されました。
この記事の中に「『姑息なヤツ』は潜在意識の配慮範囲が狭い」として「認知的焦点化理論」のチャートが載っており、運が悪い人は認知の焦点が他人より自分へ、社会の将来より現在へむいて狭まっていくと読めます。逆に、「運が良い人は相手の利益を考え、裏切ることもない人と一緒にいると得なので誰もその人と一緒にいたくなる」ので真の友人やビジネスパートナーができやすいようです。
私は、採用面接時に留意していたことがあります。面接に来られる人の履歴書を見て倒産した会社ばかりが列記されている人には注意していました。人事部門にも、よほどの事がない限りこのような人を採用しないように指示していました。倒産しそうな会社を選択する本人の判断力の悪さと同時に、本人がその会社にネガティブな運を運ぶ力が、なにかしら作用したのではないかと思うからです。いろいろな事情説明があっても、本人の認識の焦点がどんどん「自分」と「現在」に狭く固まっていく傾向のある人かもしれません。このような人は、良い運を運ぶ力が弱いと私は確信しています。
藤井教授の記事の通り、「運がない人」は、良い「因縁」をもたらさないように思います。認識が自分のみに向かう自己本位の利己的な人です。その人の周囲には人が集まりにくい。他人や社員を助け、チームで大きな仕事を成就して皆でワイワイ騒ぎ喜ぶこともない。周囲の皆や社員の将来を考えて何かの行動を起こす考えが少ないので、将来の絵姿を一緒に作り上げるチャンスにも恵まれない、というように、「因縁」の回転が何か変な所に引っ張られてしまう感じがします。誠に不幸なことですが、世の中にはこのような人がいるのが現実です。
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