園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

折々の言葉

会議体は適性に運営されていますか?

Posted on 2013-08-15

 経営会議などは本来、社長が会社として一番重要と考えていることから審議、議論すべきです。

 会社全体の顧客開拓、トラブルやクレーム等、顧客に関することがどの企業でも最も重要であるにも拘わらず、これが最後の案件になり下がってしまいがちです。

会議体での重要案件の優先度

 ほとんどの会社では事務局がルーチンで決めている順番に議題が審議されます。また、その部門の関係者は自分の部門の案件の審議にのみに精神が集中し、それが終わると頭の中がほぼ空っぽの状態になり当事者意識が希薄になるのが常です。

 顧客施策の前に自己の部門に関わる議案の審議が終わってしまっていると、顧客施策というどの部門にとっても最も優先すべき重要な議案が会議体参加者の視点からは離れてしてしまい、社長の意図とは別に、議論が通り一遍の方向に展開し易いのです。

 これぞ、社長の意図と会社全体の重要度の判断が全く反映されていない、失敗の部類に属する会議の運営です。皆さまの会社では、経営会議がこのような運営にならないようにご留意ください。顧客にかかわることを第一義に発想してください。私はアドバイスを求められる経営者に常に同じことを言っています。

 ある会社での定例の会議がありました。冒頭、社長が「週末のトラブル」について自ら報告かたがた対応方法の協議についてを最初の議題にあげました。兼ねてから、サービスクオリティーの抜本的改善が必要性であることを分かっていながら対処できなかったところに、またまたトラブルが発生したのです。社長として怒り心頭ですが、それを押さえて対応や改善協議の場となったのは、組織体として大きく前進した証拠です。

 ただ、これが一元的なものに終わらないようにしたいものです。

会議体での共有知をつくるいろいろな努力—「こんな簡単なこと?」

 ある会社の会議に始めて参加した時、会議を行う「場」の配置・レイアウトに大きな違和感を覚えたことがありました。

 この「場」での会議は、議論を通じて会議体参加者からの円満な「共有知」が生まれにくいのではないかと危惧していました。知恵を出し合い、会社の発展のために双方で何かを新たにつくり上げる環境、参加者が違和感なく会議を進めていくことがレイアウト上で表現されていないのです。

 顧客の要望を満足させるには、社員の満足こそ重要であるとの信念を持っていた私としては、社員が参加するこの「場」のレイアウトは如何なものかと考えていました。対立した意見の出し合いで、どちらかと言えば、議論に「勝った、負けた」というおよそ生産的でない形で会議が終了するのではないかとの第一印象を持ったのです。

 いつも机の配置は90度の直角。相手との距離が1.5メートル位のパーソナル・ディスタンスに、机が対峙するように配置されていました。座った時から、双方の心理状態が穏やかでないと推測されます。この心理で議論する限り、議論の進展結果が私には推し量られますます。なお、今は改善されています。

 皆の顔が90度の真正面に見えるのでなく、斜角度、例えば三角形レイアウトに、または、出来たら曲線のレイアウトがサービス業での20年間の経営で実際に学んだストレス緩和のアイデアです。

 私は個人的に庭や住宅のデザインに興味があります。特に、日本の庭園や茶室の曲線美が大好きです。踏み石も含めて、西洋のストレートの並びでなく曲線の配置です。最高の接待をする場である茶室の踏み石や茶室内の曲線の素材が、客に安らぎと心の快適さを抱かせる要因になっているのではないかと考えるからです。

 スペインの建築家のアントニ・ガウディが約100年前に設計した「カサ・ミラ」は、直線部分を全く持たず曲線的にデザインしたとされる建造物で、現在もアパートとして利用されていると聞きますが、これを一度訪問したいと思っています。

 「こんな簡単なことですか?」と、時に質問が返ってきます。でもこのような小さいことの積み上げで経営が成立しているのです。「小事大事」です。

 

経営幹部の育成の道筋

Posted on 2013-08-08

 どの会社でも、経営幹部にしっかりした人間がどれだけいるかが決め手です。

 そのために単に技術的なことのみでなく、もっと本質的なところを身につけてもらいたいと考えます。How-toでなくWhyを議論出来る人間になってもらいたいです。

 とにかく、正しい質問をすること

 私の例です。ある会社を建て直すために「農耕型企業風土」づくりを通じて会社を成長・発展させる経営路線をとり、成功しました。この時にとった策を「フォ-ミュラ」「18の定石」として二冊の本に纏めました(「これからの社長の仕事」http://sonoyama.ns-2.jp/)。

 私は幹部育成の一環として「18の定石」をもとにしたこの内容を、少し言葉を変えて経営幹部に質問、常に正しい質問をすることにしていました。

自分自身やチームで回答をみつける

 質問を投げかけるというこの方法の利点は、質問する側で論点の整理ができることです。また答える方が考えざるを得ないことです。更には、答える側で思考のプロセスが楽しめます。考え考え抜いていきますと、相手の良い意見に気づいたり、自分の知識の足りなさにも気づきます。

 また考え方を狭く取ると答えが発展的でなくなり、もっと広がりを持った発想の必要性にも気づきます。これらの必要性については、皆頭の中では分かっているかもしれません。しかし、これを具体的に考え活用する機会を提供していくことで、幹部社員が成長していくものです。

 あわせて、回答のプロセスを通じて仕事の面白さや仕事に対する愛着心を抱くことにも通じます。私の例ですと、自社の「サービスのデザイニング」と競合他社のそれとの比較について質問をすることで、幹部社員がチームで考えていく過程で、他にはないオリジナルな導線を見つけて大喜びをしている場面に接しました。他の部門ではやっていたが、それを上手くカスタマイズして会社全体のものに修正し導線を捜しあてたりすることで、そのチームが「わくわく元気」になったことを経験しています。それぐらい効果のあるやり方でした。

最後は信頼関係の基礎づくり

 信頼というと信用とは少しニュアンスが違います。物事の善悪の判断は別にしても「あの人からの質問なら・・・」、「あの人の言うことなら・・・」、「あの人の恩義に報いたいので・・・」などの文言で表現されるように、信頼関係はその人とある種の無条件な依存関係をつくることになります。これ無くして、実際は革新的なことはできません。 質問の投げかけ、答える側の思考のプロセスの充実度も実はこの信頼関係を基にしています。

 これは、私が『これからの社長の仕事』(http://sonoyama.ns-2.jp/)の定石11の「チーム」や「公」に貢献する、の項(P114)で、

  ・皆さん一緒に仲良くしましょうね、

  ・仲間外れをつくらないようにしましょうね、

  ・悪いことをしたら謝りましょう、

  ・困った人がいたら助けてあげましょう

 と幼稚園の先生が園児に徹底する言葉を紹介しましたが、こうしないと相手からの信頼を得られないのではないかと思います。

 すなわち、自分という個を押し殺して人を立てる気が、本心からあるか否かです。しかも、毎日の行動の積み重ねが大切です。これが成立しない状況を一度でもつくると、その修正は厳しいものになります。それくらい信頼と人間性が関係することとを認識して問題ないと考えます。

 子供の世界だけでなく大人の世界でも同様です。園児に対するこれらの言葉を大人用に言い換えて言えばこうなります。チームを大事にする、相手に敬意を払う、助け船をだす、嘘はつかない、約束を守る、何かに縛られない自由な発想をする等ではないでしょうか。これらの他に信頼を深める方法は見つからないと考えます。それほど信頼は、人生の長い期間をかけて造り上げるものかもしれません。

 信頼ができてこそ初めて「正しい質問の投げかけ」が本人の育成につながることになります。

 

「甘えの構造」の打破と社員の幸せ

Posted on 2013-08-01

「No Pain, No Gain」の風土づくり

 以下の内容はある会社の経営改革の一環として経営者にアドバイスした一部を、このコラムのために一部修正して表したものです。

 経営層の「甘えの構造」は論外ですが、社員大半の「甘えの構造」が見られる時期がどの会社の成長段階でも発生することです。

 この原因は、これまでの経営層によるマネジャー層への指導の在り方と関係があると思われます。改革に少し時間はかかると思いますが、将来の発展のため「甘えの構造」の端緒が認識された段階で至急手を打つべきと考えます。

 これを是正する一つのキーワードはユダヤ教の「タルムード」で教えるといわれるNo Pain, No Gain」の考え方の徹底ではないでしょうか。まず経営層が範を垂れることが前提です。

 「タルムード」とは、ユダヤ人が数千年間民族内で語り継いだ彼らの説話と言われています。「何らかの犠牲の上にはじめて何等かの成果が得られる」ということです。いろいろなことがありながら世界の歴史の中でこの民族が長く注目されている背景は、幼少の時から「No Pain, No Gain」の考え方を一つの思想として教えてこられたからかもしれません。

 当たり前のことですが前段の状況下、良いとこ取りのみのような「甘えの構造」だけでは長く会社の成長発展を維持できないことを、マネジメント陣がいろいろな行動で社員に周知徹底し、第一に経営層の「甘えの構造」を排除することが前提です。

 自己中心的な考え方が社内に蔓延っているとしたら、「タルムード」の言葉の内面の意義を徹底して指導することで少しは修正できそうです。会社によって過去のいろいろな経緯があるとは思いますが、会社の発展のために、以下のような方法が考えられます。

会社の判断や施策への社員の反応

 会社が様々な経営判断をして、それが社内に伝達され浸透する過程で一番気になるのが社員の反応です。

 中でも正論ではないのに声の大きい人や、会社の上位の人の反応が一般に目立つものですが、このような声を取捨選択する風土が大事です。明確に意思を表示してくれる人はもちろん本来ありがたい存在なのです。正論を皆の場で発言する勇気こそ本物の心とみなさねばなりません。

 甘えの部分を除外して考えると、経営陣としては反応が無いことをありがたいと思う風土が問題です。無反応な人は何を考えているのかが不明であるが故に、会社の運営にとってはある意味で怖い存在です。社員の声が爆発する時は会社にとって致命的な段階と見るべきです。

 実は、社員の心が抑圧状態にあるのに、そのことが顕在化しないことが一番の問題です。抑圧された中で自由な発想など生まれるはずがありません。

 経営側としては、そのような心の状態の人がなるべく少なくなるよう、日常の「場」と「対話」を通じて、様々な努力と配慮を本心でしなければなりません。

 まさに経営側の「No Pain, No Gain」の実践と行動です。

社員を幸せにするための一大経営決断の例

 一例です。以前経営を任されていた会社での体験です。

 あまり芳しくない仕事場で、電話秘書代行業務を電話機とメモ帳で対応していた時代がありました。社員の側から人員不足や賃金についての不満が蔓延していました。

 仕組上はCRT画面上にデータベース情報が表示され、その記録情報を見ながら対応するとはるかに深いコミュニケーションができることがわかっていました。今ではこれは当たり前のシステムですが、多少誇張気味に言えば、30年前の当時はこのシステムを利用して仕事ができることがその業務に携わる人にとっては一つの夢でした。

 清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちを持ち、相当な資金を投資してこのシステムをつくり、少しでも現場で働く人たちの夢を実現させる判断をしようとしました。この時期に併せて職場の場所も移転し、近代的な環境の仕事場に変えました。

 このシステムは最初の頃、データベースからCRT画面に情報が出てくるスピードが遅く、投資は必ずしも期待通りにいったとは言えませんが、日本IBMの顧客配布用の資料でも紹介されたほど、音声系とデータ通信系を統合するという意味で当時の日本では画期的なシステムではなかったかと思っていました。この業務に携わる社員にとってもひとつの誇りとなりました。

 正直に言えば秘書代行業務はあまり人気のある業務ではなく、収益のソースの一翼を担う業務であるにも関わらず、担当者の仕事に対する満足度はそう高くありませんでした。

 そのような状況の中で、この部門への投資へのコミットメントをし、最新鋭のシステムを用い、顧客のデータベースに基づいて深いコミュニケーションができるシステム環境をつくることで、少しでも「社員を幸せにする」ことを、会社として本気で考えていることを現場で働くコミュニケータ一人一人に、明確に示すことができました。一つの経営判断です。

仕事場環境の改善、社員優先で自分は我慢する姿勢

「社員を大事に」していくうえで、仕事場の環境改善も重要な仕事の一つです。

 このことは、時には、単純に給与を上げることよりも重要な仕事です。

 それにもかかわらず、会社が中小の段階では投資に回せる資金がなく芳しくない物的環境で社員に仕事を強いていたり、システム化が遅れて人海戦術で仕事が展開している企業を多く見かけます。システム化をすることで仕事の生産性が高まるのみでなく、それを機に彼らの仕事のやり方が大きく変化し、社員の喜びと幸せに通じることが分かります。にもかかわらず、投資決断のタイミングを逸している経営をみるのは残念です。

 経営が本気で「社員を幸せにする」ことを実践する姿勢と具体的アクションが重要です。この時初めて経営に対する社員の信頼を勝ち取ることにつながると思います。

 発展途上なるが故に、サービスのつなぎがうまくいっていない会社があるのも事実です。良い仕組みを作らなければならないとの思いが、やっと緒に就いた段階に来ているかもしれません。しかし、どんなに良い仕組みを作っても、所詮、それを動かすのは人であることを忘れてはなりません。

 人が人へ仕事をつないでいく過程で、顧客を大事にすることの基本理念が社員の体質になるよう、幹部社員がいかに行動で示すかで、その理念が社内に浸透していくスピードが決まります。これは、会社や社員が顧客に近づくことです。顧客に本当に近づけば、顧客は多様な要望を出してきます。会社にも社員にも甘えている暇がないはずです。

 「顧客を大事にする思いが組織の壁に優先する」という意識と行動が浸透するような企業風土をつくる努力は、大事な社員を捨てない幹部自身の姿勢に求めるのが近道だと考えます。これは幹部社員の、日頃の部下との関係がいかに密かにかかっています。

 高度成長時代には、リーダーは夢を語り社員を先頭に立って引っ張ることが責務でありましたが、果たして今は?

 ある学長が「シンガリ型が良い。シンガリは古の時代から、一番つらく状況判断を的確にする必要がある。さもないと、敵に後ろから打たれ槍で刺されて負け戦になるから」とも述べられていました。

 シンガリには違う能力が要求されるようです。この言葉の重さが最近分かるようになってきました。社員のためにリーダーが如何に忍耐力を持つかです。

 

「強い集団」と「悩める人」

Posted on 2013-07-25

 こういう集団になるようにアドバイスしていきます。

「強い集団」

 第一に、「強い集団」は明確に定義された「理念」で支えられています。これが私のこれまでの経験の帰結です。

 例えば、クロネコヤマトは、「世のため人のためになることをする」で意思統一され、「お客様のため、社会のための実現」を目指します。このため、配送の安さ、速さ便利さなどを追及していきます。以前関係している会社では、「サービスでリーダーシップ」として、サービスでNo.1を目指してサービス改革を標榜し、この内容を経営理念に明確に定義していました。

 第二に、「仕掛け」も必要です。

 感動体験ムービーで喜んでくれる顧客のシーンを何度も見る。「満足バンク」で満足ポイントが増える仕組みもどこかの会社で実践されている例を聞きました。いろいろなイベントで社員の交わりの場を設けるのも方法です。これらについては、「これからの課長の仕事」(http://sonoyama.ns-2.jp/)の記載に譲ります。 

 また第三に、課題が出るとこれをコンサルに委託するのでなく徹底して社内で議論を重ね自分たちで解決していく会社もあります。

 一人の優秀な社員よりすべての社員がそれぞれの個性で考える企業風土をつくることを目指しているからです。「普通の社員が普通に仕事をする」会社を目指すことです。かつて、同様な方法で私が「燃える集団」づくりに成功したことに似ています。鈍才が多数をしめる集団を使ってよい実績を上げるのが経営です。逆に、優秀な社員を潰している経営を観るのは悲惨の極みで経営者の風上にも置けません。

 つまり普通の社員が会社の将来を一生懸命に一緒に「考える」、「意見交換をする」ことを徹底していくことです。ある会社で提案し実施しているQCサークル活動もこのためです。

「弱い集団」にならないために

 問題は、ここに示す「強い集団」が構築される前に、組織が「弱い集団」に成り下がってしまうケースが多いことです。

 いろいろな理由がありますが、一番大事なことはその組織のリーダーがどのようなタイプの人かどうかです。

 私が勝手に「悩める人」とカテゴライズしているタイプのリーダーがいます。残念ながら「悩める人」が引っ張っている組織は、ほとんどの場合、結果としては「弱い集団」に成り下がってしまうことが、私の過去の経営体験から証明できます。

「悩める人」

 「悩める人」の共通点が以下のとおりです。

 私の周囲にも結構いました。

 まず、第一に、自分自身が何を求めているか、何を恐れているのかを知らない人です。

 また、自分の位置を知らない、これが分からない人が「悩んでいる人」です。

 たとえば失業して悩んでいる人は、実際は悩む暇などないはずなのに「悩み」を訴えます。

 本来一生懸命に職を探さなければならないのです。自分の位置を理解していません。

 経営で悩んでいる人は、実際は悩む暇はありません。経営を前に進める最善の方法を探さなければなりません。

 第二に、人の助けに感謝する気持ちが全くなく、あらゆる物事を被害者意識で見るのも「悩んでいる人」の典型的な例です。時に、周囲の人に危害を加えることになりかねません。早く正常に戻すために、この場合は、まず医者に相談することを私は勧めています。早く治した方が本人も、ご家族も皆が幸せだからです。

 第三に、「現実を拒否するのは非生産的である」ことを理解していない人です。自分の位置が見えないので、願望や思いだけを主張して、「今」が無い人です。

 例えばウサギとカメの物語のカメです。他人に勝って「勝ち負け」を議論しても仕方が無いのに、自己不在のカメはウサギに勝とうと頑張ります。元来「自分はカメである」ことの自分の位置に自信を持つことから始めるべきです。自分の位置以外のところは他の人に助けを求め、助けてもらったら感謝することです。そして「今」の幸せに感謝すべきです。それなのに、現実を拒否している人です。

 このような人に限って、自分の人生を「虚しい人生だ」と思い、思いとは別に実際はほとんど人生に迎合して生き、自分の軸がありません。甘えのみを良しとした生き方です。日常の生活に心の「心棒」が欠如しています。

「悩める人」の解決策

 でも、「悩める人」にも今の辛さから抜け出す方法はあります。

 「運」についてのカーソンの童話に、手品師が王様に牢屋に入れられ、そこから出る方法を考えろと指示された童話があります。実は牢屋の扉にカギがかかっていなかったので自由に牢屋から出られたのに、手品師にはそれができなかった。今の自己の力を過信して、狭い小道の中でさまよい全体像を冷静に考える余裕がなくなったのです。

 成果をあせらないで自分の力を客観視すればできたことかもしれません。

 

日本人の精神性(2)

Posted on 2013-07-18

 前回に引き続き、日本人の精神性を示すと思われる例示をします。

「無用の用」的なもので集団を維持する心

 私の友人の竹村聡一郎君(株式会社コヨーテ)のコラムで、昔九州の炭鉱で働く人の中に通称「スカブラ」と呼ばれる人がいたということを読みました。

 「仕事を好かんで、ブラブラ」が語源という説もあるようです。要は笑わせる役です。重労働に耐えながら働く炭鉱夫の集団に冗談など言いながらその場の雰囲気を作っていた人の話です。

 効率化のためにこの人をその集団から外したところ、そのグループの生産性がガクッと落ちた旨の報告もコラムの中に記載されていました。

 これを読んで私は「さもありなん」と、これまでの自分の主張の正当性にほくそ笑みました。日本人の集団の精神性が表れている事例と考えます。集団としての雰囲気とチーム力を大事にするための「無用の用」です。

 私も経営経験で同様なことに遭遇しました。経済合理性をとことん推し進めた結果、以前より生産性が落ちる結果になったことがありました。

 サービスを提供する集団においては、経済合理性以外の人間の心の部分への配慮が不可欠でした。人のモラールが重要なのです。

 私は、このために、ルーチンの仕事の仕方に多少問題を持っていたとしても、場全体の雰囲気をいっぺんに変える能力のある人をチームの中に入れることで、どれだけチーム全体の生産性が上がったことか。この人の人件費を賄って余りある改善をみることができました。

東洋的死生観

「東洋的には、死生といい栄枯といわれまするが、ただ一つ気が消えたのが死であり枯であり、一つの気が満ちたのが生である。」(佐藤一斎、「言志四録」)

「生も一時のくらいなり。死も一時のくらいなり。たとえば冬と春のごとし。冬の春となると、おもわず、春の冬となるともいわぬなり」(正法眼蔵)

 日本人の精神性とも関係があります。人生の生死のサイクルや死生観を言っています。

「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛?)

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」(「はちすの露」、貞心尼)

 などそれぞれの辞世の句と言われています。日本人の精神性を表した秀逸作品です。私もこの気持ちが少し分かる年代になりました。

青年団と掟、集団の知恵と独り立ち

 忍耐と鍛錬を修練する「場」があったことを司馬遼太郎氏は、江戸後期に北海道交易で活躍した高田屋嘉兵衛を主人公にした「菜の花の沖」の中で淡路島の「若衆宿」のことを書いています。

 縦社会で上の人の指示に従う村の共同体で、村のおきてを破る者は内部告発されます。その指示をどう実行したらよいかを自ら考える共同体です。

 もちろん、今話題になっている「しごき」的部分があったことは否めず、「若衆宿」に100%賛成するわけにはいきませんが、結果として、成人として徹底して「独り立ち」するための指導をする部分は賛成です

 司馬氏は、「街道をゆく」を書くために訪れた地域では必ず「若衆宿」を確認していたとどなたかが言っていたくらい、一人の独立性に関心を持っていたかもしれません。

日本人の安定志向

 安定を望むのが日本人です。村の共同体の維持を優先します。元来ケンカを好みません。皆がまるく収まることが一番と考える国民性です。

 この流れからすると、成果が残せないと収入が減る成果主義は元来日本人には向かない制度だと考えます。権限と責任をあたえ、自分で解決する能力、村を発展させる思考を身に着けなければなりません。

 このことは、私が常日頃主張する「考える」ことに通じます。「常に考える」ことです。

脳の構造が違う

 ある本でロンドンのタクシーの運転手は海馬が大きいと読みました。海馬が大きいと地理空間の案内を覚えるのが得意のようです。このことは人間の脳は人種によって違いがあることを意味する例です。

 人の意思決定は95%位無意識に行われています。脳で決定した後0.5秒後には実践しています。山道でヘビに出会うと皆驚いて飛びます。無意識の判断の結果です。その後、「ああ怖かった」と。

 脳の認知活動は感覚器官から脳に伝達された情報処理のボトムアップ処理と脳内に記憶された情報に基づくボトムダウン処理の二つにより行われますが、これも無意識に行われます。

 驚くことのは、人種により「脳が違う」ということです。このことが最近知見されたようです。日本人は平均的に不安傾向が強く、また、包括的に全体を捉える傾向が強いようです。不安傾向は、セロトニン受容体を保有する人が多いからのようです。

 セロトニン物質は最近健康商品で有名になりましたが、不安を制御する物質と関係あるとのことです。また、全体像把握との関係で言えば、金魚を入れた金魚鉢を観察する実験を行うと、日本人は全体像を印象強く把握するのに、アメリカ人は、金魚の個別の特徴に興味を覚えるようです。

 日本人のマンガ好きとも関係があるのでしょうか?感性を重要視します。論理は後付けにするクセがあります。先ず全体のイメージを描き、その後にそのイメージを正当化する論理を仕立てあげる特性の一つでしょうか。興味ある部分です。

 脳の構造を知ると、アンケートの主観的、言語的な一般的内観調査は限界で、人の思考を予測できる脳計測との組み合わせを考えるとさらに効果が増します。例えば、何かの商品で顧客に対して「好きですか、Aですか?、Bですか?」と聞き、回答者の脳の反応の強弱を観る調査機器があれば顧客接点はもっと緊密になるかもしれません。