園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

折々の言葉

したたかな生き方(1)

Posted on 2013-06-06

 私は、タンポポやオナモミの生き方が好きです。タンポポはご承知の通り、アスファルトの裂け目や極寒の地という厳しい環境下でも芽を出し花を咲かせるほどです。

 オナモミも特段好きな草ではありませんが、その生き方が好きです。場所によって呼び名が違うところがあるかと思います。キク科の草ですが、この草のタネの被害にあわなかった人はいないほど繁殖のツールを持っている草です。

 小さい時田舎の出雲で、タネになる前のオナモミの果実部分を投げつけて遊んだ経験があります。学生時代、東京に来てもオナモミがありました。叢に入ると果実の周囲の沢山の刺が衣類に刺さり、取るのに一苦労した経験があります。テキサスのブッシュの中で野兎のハンティングに行った時も、オナモミの刺を洋服から取るのに苦労しました。すなわち、世界中に生育する草です。

 両方とも生命力のある草で一般に雑草と言われています。私は雑草の花も大好きになり、時々これを写真撮影していますが、多様性のあるしたたかな生き方に興味があります。雑草は一見弱い植物に見えますが、上記のとおりその実は生き方がしたたかなのです。

 自然界は我々人間が想像する以上に弱肉強食の世界で、その中で雑草はどんな過酷な環境でも生きていきます。耐えて耐えて生き続けます。ビジネスマンに例えれば、他の競争者が参入を尻込みするような業種、業界でも頑張るような生き方です。雑草のようにいわゆる名を捨ててでも耐えて勝つ生き方です。

 植物には、自宅前の公園の欅の大木のように他の植物に競争で勝って生きる方法をとるもの、テキサスのサボテンなどのように他の植物が生きられないストレス条件下で生きる方法をとるもの等、雑草とは違う生き方をしているものもあるようです。どれが植物にとって良い生き方かは植物に聞いてみないとわかりませんが、そのしたたかさは人間の生き方にも少し参考になるのではないでしょうか。

ビジネスマンの多様な生き方

 ビジネスマンも歩む生き方は多様です。皆さんはどれを選んで生きていますか?結果として、その生き方になったかもしれません。主義主張は変えないが、変えたふりをしてでも耐えて生き抜くしたたかな生き方をしている人も多いはずです。それもまた素晴らしい生き方です。

 ところで私はその花は別として、雑草自体を最初から好きな植物の範疇には入れていませんでした。しかし、ある時から好きになりました。実質倒産寸前の会社の経営を託された過程で、雑草の生き方と私の経営方法に共通する何かがあると感じたからです。今振り返ってみると雑草の生き方から世の中の変化や逆境をどう味方にしながらビジネスマンとして生きるかの知恵を学ぶことになりました。

 

非常識の尊重(2)

Posted on 2013-05-30

 前回の続きです。一般的には非常識と言われていることでも、私は次のような非常識は大変尊重しています。

時に、戦略より組織能力を

 戦略は合理的であることが必須ですが、私が見る限り、戦略を実行するにあたっての組織能力が欠落している会社が多いのです。この場合には、組織としての成長をどう図るかを第一義に経営をしなければなりません。 頭でっかちでなく、手足も同時に鍛えるイメージを重視しています。どういうタイミングで経営上何を打ち出すかの「時」を見て打ち出す策を考えています。

セグメンテーションの論理の常識無視

 セグメンテーションのマーケティングの論理のみでは、今の時代を乗り切れないと考えています。企業はどうしても、企業の論理や経済性からセグメントで顧客をくくりたくなります。私はこの性癖をどうブロックするかが、経営者としての仕事の一つだと思っているほどです。顧客を徹底的に個別に把握するやり方はコストがかかりますが確実に競合との差異化につながると確信しているからです。

 例えば、セグメンテーションでなく特定の人の名前を商品に入れて本をプレゼントし、プレゼントされた人の口コミでマーケットを拡張するという発想が実現するとすれば、新しい顧客開発の仕掛になるかもしれません。個人の名前を入れることでワン・ツー・ワンのサービスを実現することになります。

 現に私はある人から私だけに宛てた本、「園山征夫様に送る本」を贈呈されたことがあります。世の中に一つです。今でも、印象に残り、いろいろな場所でつい話題に出してしまうほどです。

余りにロジカルに考えないこと

 会社の経営を任された限りロジカルな思考は当然要請されますが、あまりこの発想に拘泥すると、経営者の脳の活性化につながりにくいのです。偶然に何かの事象に遭遇したとしても、そこからあるひらめきで次の策に導く力につながらないかもしれないことが過去の経営であったからです。

時に、効率性軽視

 効率は短期的なものはダメです。顧客のサポートなど中長期的な観点の作戦は、短期的には経営効率を悪くすることになりますが、そんな常識は信じない方が良いと思います。最近アメリカ的な観点でどんどん切り捨てられている短期的な無駄も、中期的視点では「無駄の効用」があることをトップは自覚すべきと確信しています。

人材育成の仕組みの非常識

 日本のかなりの会社で上司が後輩を育成する「縦系列の指導伝承型OJT」方式がなくなっているとの報告が多く挙げられます。この指導伝承型OJTにすることが実は人材育成の非常識と思い、私は重視しています。

 こうなった背景として、会社の組織がピラミッド型と同時にプロジェクト型で運営されるケースが多くなったこと、業務がIT化され仕事がブラックボックス化され先輩の仕事ぶりを学んで育つ現場環境が少なくなってきたことなどがあげられます。

 この結果として、上司が電話口で顧客から叱られ頭を下げている姿を部下が見ながらOJTで学べるチャンスが少なくなってきたり、その時の上司の対応を見ながら「自分だったら、こういう対応をする」と上司を他山の石にする機会も少なくなってきました。

 人が育つには、先輩の一挙手一投足が一番だということを私は経験しました。ある会社の経営を託される前、故大川会長のカバン持ちをしていた時代があり、その時に自分は成長したと自負しているからです。

 具体的に何をどう教わったというマニュアル的なものは全くありません。それでも、なぜ、その時そのような行動と判断をしたのかを実際の場面で指導してもらったことになったからです。

 このような非常識はぜひ日本の会社に残したいものです。

 

非常識の尊重(1)

Posted on 2013-05-23

 私は「農耕型企業風土」づくりを通じて会社が中・長期的に成長するための「フォーミュラ」と「公式」を経営者に説いています。経営者の育成と社員の安寧、会社の成長が目的です。

 私は先の「フォーミュラ」や「公式」に沿いながら、一般的に非常識と言われることを大変尊重していました。一見矛盾することを言っているように見えますが、「フォーミュラ」や「公式」の内容を読まれるとすぐ分かります。したがって、以下に述べるビジネス上の非常識な例は、私の論理と矛盾することではないと理解していただけると思います。

ライバルは敢えて見ないこと

 分析が得意な部門は、どうしてもライバルと自社を比較しがちです。そしてその報告を経営者に上げます。一般的には、貴重な判断資料です。しかし、ライバルを見ることは、かえって自社の作戦の足かせになることも考えてみる必要があります。私にもそのような経験がありました。

 ある業界での会社の経営にその分野の素人として参入したとき、その業界の常識的な知識を入れ込みたい人が周囲に多数いました。でも考えました。その常識があったからこそ事業がうまくいかなかったのではないかと思ったのです。どうしてもライバルのやり方を超えようとして、かえって世の中の定説の渦巻きから離れられなく、落とし穴にはまりやすい傾向があるからです。

 「ゼロからの発想」のためには、業界に通じたライバルのことを敢えて見ないで、それを知らない違う分野の人材の考え方などを取り入れるこの「非常識」が、役に立つことがあります。私はその業界以外の意見を非常に尊重して聞くことにしていました。今もそれを試しています。

 特に、「ライバルだから」と称して、自分の会社と違う大きさや生い立ちを備えたライバル会社をベンチマークしても、私の経験では単に特定の部門の知識欲を満足することに終わってしまうことが多かったのが現実です。

打てば当たる

 商品は簡単には当たりません。「合理的な考えから発想しないと商品は当たらない」と教科書では書いていますが本当にそうなのかと思うことが多くありました。むしろ、いろいろたくさんの商品を出すことで初めて良く言われる「20:80の論理」に意味があると思うのです。

 たくさんの回り道をし、新しいセンスで沢山の商品を出して初めて良い商品に行き当たることが多いのが実態です。特に昔ヒット商品を出した人が自分のセンスで次の商品の開発を担当し続けるのは、私は外れとみます。固定化した観念の、昔の世界の商品の焼き直しにしかならないと見ます。

 それより若い人の斬新なセンスで魅力ある商品を開発し続けることが、「20:80の論理」の正当性を証明してくれると信じています。

論理より感じる魅力

 良い商品でも売れないことが多いのを私は何度も経験しました。「これは絶対に世のため人のためになる商品で売れる」と自分では確信していた商品も、は惨敗したこともあります。気をつけなければならないのは特に上記のような大企業的論理が、中規模の会社でもまかり通ることが多いのを見ます。果たしてこれで上手くいくのでしょうか?

 商品が消費者にとって魅力的で、彼らが「買いたい」と意欲を掻き立てられるか否かが基本です。この意味で言えば、今関係している出版の商売では、本のカバーデザインは入り口として大変重要です。手にとって魅力を感じるか否かで決まるからです。たとえば若い人が読む本ならば、読む人と同年代の若手のセンスが肝要です。

 私はこれに影響を与えそうな意見を敢えて積極的に言わない主義を通しています。若手のセンスに任せることに徹しています。これが正解だと考えているからです。

現場は見ないこと

 現地現場を大事にすることは私の持論ですが、例外があります。上手くいっていない現場です。上手くいっていない現場は、現場の状況の診断は出来ても新しい発想で本質的な改革をすることにはつながらないことが多いのです。本質を重視するからです。

 私はそのような現場の近視眼的な情報をとりあえずシャットアウトして、根源的、本質的、理想的なことを「考える」主旨で、あえて見ないことにすることもあります。

 

定着率を上げ、離職率を下げるために

Posted on 2013-05-16

函数の帰結

 「定着率と離職率は、社員の働く幸せ感、喜びの函数」です。

 これは私の20年の経営経験から得た結論です。

 離職には個々人のいろいろな理由があるにしても、社員に根源的には「わくわく元気」な環境をどれだけ作れるかに関係しています。

 私は「農耕型企業風土」づくりの「フォーミュラ」の中で、企業が中期的に成長・発展するためには、社員の幸せ環境作りが先決で、企業の成長と社員の幸せとの関係で原因と結果を逆にすべきでないと説いてきました。

 スタートは社員の幸せ環境作りにありです。

経営者の姿勢

 社員の幸せ感を醸成するには、経営層の責任でまず働き甲斐のある職場環境づくりをすべきです。この環境とは会社の諸制度、仕組、評価等すべてを言います。

 会社がうまくいかないのは「社員が仕事をしないからだ」等の言葉を経営者から聞くことがあります。

 しかし、原因を他人のせいにしてもリーダーとしての甘さを露呈するのみで、全く発展性がありません。経営層が社員を育てようとする姿勢が欠如していることと裏腹の関係であると私は見ています。

 やりがいのある仕事をさせれば、社員はさらに士気を高めレベルの高い仕事をする方向に向かいます。結果として、顧客は満足し会社の業績も伸び、社員の金銭的メリットも増加する関係となります。

 特に、社員数が少ない企業においては、会社の成長はまさに人、社員次第ということになるのが鮮明に見えてきます。

留意すべきステップ

 ここで留意すべきは、手順、ステップです。

 私の著した『これからの社長の仕事』でステップを明示しましたが、意外に短絡的な方法を選ぶ経営者が多いのに気づきました。いろいろな課題が吹き出し会社が経営上厳しい段階で、会社が「社員がどういう時に幸せ感を抱くか」のことを優先的に考えず、いきなり顧客満足の実現をスタートとして取り組むとどう展開するかを経験しました。

 顧客に良いサービスを提供するという大義名分のために、往々にして、最前線の社員に負荷が過大にかかることになります。教育もしていないのに最前線の社員に過大なスキルを要求し、レベルの高いパフォーマンスを要求していくことになりやすいのです。

 一時的にはこのことで上手くいきますが、結果として、最前線の優秀な社員の「燃え尽き症候群」が起きて悪循環をきたし、このステップが破たんすることに気づきます。気づいた時にはすでに社内の混乱が輪をかけて進んで行ってしまうという悪いパターンになるのでご留意ください。

 まず社員の幸せ感のことを十分考慮の上、適切なステップを踏むべきです。

「わくわく元気」感には「心」の問題が大きい

 人はどういうことで「わくわく元気」感を持つのかも配慮しなければなりません。

 金銭的報酬もある程度必要です。

 でも、あるレベルを超えると、「心」の面に対する面の方がはるかに大事です。仕事に対するモチベーションです。朝起きて会社に行きたくなる「わくわく元気」モードになるには、心にどう配慮するかがポイントとなります。

 日本人なら誰でも、どんなポジションの人でも人の役に立っているか否か、仕事を通じて自分が成長している感覚を抱けるか否か、仲間と一緒に仕事をして楽しめるか否かを基準に「わくわく元気」度が大きく変化するはずです。

 「人の役に立っているか」には感謝の気持ちを伝える声掛けに私は努力していました。小さくとも、本心から「ありがとう」が大事です。部下からの週間報告書に、自筆でメモして私の感謝の気持ちを「見える化」することも務めていました。

 実力より少し上の仕事をさせることで本人の成長感につながります。新しくマネージャーに任命された人には、「暫く、ボケッとしていなさい。現場のメンバーにいきなり口出ししないで、暫く仕事の様子を見ていなさい」と、上司が余計に手出し、口出ししないことも、注意していました。

 仲間との絆の出発点は上司と部下の信頼関係が基本です。これは毎日の積み重ねで、しかも仕事を通じて勝ちうるものです。部下からすると、先に述べた「心」の部分に対するストロークを送られ続けているか否かに関係していくと思います。

 これさえあれば、仕事のことで叱られても、本気で叱られたか、パフォーマンスで叱られたかがすぐにわかることになります。自分を成長させようと考えての叱りは部下から尊敬されます。

 上司や仲間と一緒に仕事をして、良い人間関係の中で楽しく仕事ができることが肝要です。

 

ビジネスモデルを成功に導く組織としての学習

Posted on 2013-05-09

 私は、「農耕型企業風土づくり」に関して言及した『これからの社長の仕事』の中で、成功するビジネスモデルには「18の公式」があるという趣旨で原理原則を説明しました。

 同時に、その本の中で会社が成長するためのステップを明示しました。

 個人と同時に組織が原理原則に従って学習し成長しなければ、そのビジネスはモデルとして成長しないからです。

 このことを今回は違う言葉で、企業の中・長期的成長の近道について述べます。

 20年の経営体験で組織の中の特定の部門の活性化にたいする障害を見る機会が多くありました。その場合、その組織の学習障害に速やかに手を打つことを心掛けていました。組織の学習障害があることは、会社組織がある意味で活性化していないことの証明だからです。組織は対処法を間違えなければ良い方向に向かって学習していきます。

 学習する組織になるにはいくつかの特質があります。

a)    共有すべき価値、別の言い方をすれば、ビジョンが必要です。組織が学習すべきベースが必要だからです。

 価値を全員で共有することは組織の学習のため不可欠なステップです。しかも、共有すべき価値として経営者一人の人間のビジョンを押し付けるのでなく、多くの人が心から賛同しうるものにしなければなりません。

 また、価値を共有するわけですから、当然の理論的帰結として、共有した価値を一定の方向に向かって実践することのコミットをすることになります。そのため理念を業務の全段階で社内に浸透させ、各業務の現状認識、分析、意思決定、実行の全プロセスにおいてこの理念との関係で実現することになります。

b)    戦略が単純で社員に理解されやすく、しかも、戦略の軸がぶれない意思決定を日常的にしていることです。

 新しい事業をやると組織に複雑性が増し、経営と現地現場との距離がかい離する場合があります。時に、甘いささやきに、会社の軸がブレることがありますが、戦略が単純明快であれば、社員もズレに気づき修正行動のトリガーとなります。

 戦略の単純さは組織の健全性の証明です。

c)     チームワークが必要です。チームの対話とディスカッションです。対話はお互いの考え方を聴くことでお互いの合意をめざすことを目的としません。

 ディスカッションは最善の考えを追及するものですから、二つは違うものですが、相互に補完していきます。

 「自分の仕事はxmだから」、「悪いのはあちらで・・・」と出来なかった言い訳をよく耳にします。組織が学習していません。

 垣根を自ら作ってこのように言い訳しても何の役にも立たないこと、会社全体としては一つの組織で部門が相互に有機的に結合していることの指導を受けていないからかもしれません。あるいは、そう言わせる深い背景がこの組織にはあることを暗示している場合もあります。

d)    個々人全員の仮想モデルがあることが望ましいのです。「こういう人になりたい」というイメージの人を置いていることです。

 年齢的に離れすぎない存在の人が望ましいです。私の経営経験でも信頼できる仮想モデルの存在は組織の成長に大きな効果があります。自分の成長イメージを重ね合わせる人がいるからです。

 学ぶことでまず自分がレベルアップするとの考え方が重要です。

 個人が学習することでのみ、組織は学習するのです。また、個人が学習したからと言って学習する組織にはなりません。

 しかしながら、前段のことは最低限必要なことです。なぜかと言えば、「人」が原動力だからです。したがって、私は経営するにあたって「社員の物心両面から、彼らが幸せになること」を主眼に置いて人材がレベルアップする経営をしていました。

e)    その会社で絶対に譲れない一線を堅持することです。しかもこれを「仕組み」におとすことです。学んだことや自社の競争上の優位性をビジネス基盤のなかに組み込むためです。

 私は、大きな設備投資をベースとしたサービス業の経営を任せられていましたが、絶対に譲れない線として会社の提供するサービスの「クオリティー」に置きましした。

 これをダムの水源に例え、他の社員の努力がどんなに大きくとも一人の社員のこの水を汚す行為がすべてを台無しにすることになるので、クオリティーを絶対に譲れないこととしてしつこく徹底していました。

 トヨタのカンバン方式などもこの例です。トヨタのラインにある「アンドン」で不具合を知らせる表示はよく例に出されます。トラブルが発生したらラインすべてをストップさせ問題を解決することを会社として譲れないルールとしている例です。品質を徹底すべくあくなき風土が定着し、このやりかたを絶対に譲れない一線として堅持しています。

 M.ポーター氏は戦うポジションを強調しています。ユニークなポジションを占めて「どこで戦うか」も非常に重要ですが、上の例のように「どう戦うか」かにあたって絶対に譲れない戦い方を明確にすることも重要です。

f)     確明に差別化されたコア事業に絞ること。事業の焦点をボカさないことです。

 はじめて事業化する場合は、まず、「どこで戦うか」のドメインを明確にしなければなりません。M.ポーター氏は、彼の著書の「持続的競争優位」の主張の中で、勝ち続けるには競争が少なく参入障壁が高いニッチなエリアでユニークなポジションをとることの主旨を述べています。

 最初の時点では、多角化の失敗リスクを回避するために、会社の投資とエネルギーをコア事業にしか投入しないことです。