園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

積善の家には余慶あり

トップはリーダーとして何に留意しますか?

Posted on 2012-08-16

トップのリーダーシップが会社の命運を左右する

 会社、特に、起業したての会社では、社長のリーダーシップが極めて重要です。

 トップと副のつく人とでは責任と言う次元で、雲泥の差、月とスッポンの差です。社長にリーダーシップがあるか否かでその会社の命運と社員の幸せが決まると言っていいほどです。

 私が経営責任を負っていた会社では当時、社長の園山征夫が羅針盤でした。社員の心のよりどころが私であったのです。戦略絵図を実現するためチェ・ゲバラ的に誇張して言えば、社員皆が新しい革命に挑んでいた心境です。これぐらい強烈なリーダーシップを発揮して経営しました。

社員から惚れこまれるほどに

 リーダーシップを発揮するためにトップはどうしたら良いかです。中小の規模の会社では財産は人材だけです。これは、メーカーであろうがサービス業であろうが変わりないと考えます。

 リーダーは社員から惚れこまれるぐらい人材を大事にして欲しいのです。ファンがいるか否かです。私の場合もある段階で、会社の中の相徳さんをはじめ一部の社員が「園山ファンクラブ」を発足させたと聞き、本当に嬉しかったことを記憶しています。少し青臭い響きがありますが、社員から惚れこまれたと感じる瞬間でした。

 第一に、一生懸命勉強しました。

 人格を高め、自己の器量を大きくするため少し努力をしました。「言志四録」で人生訓を、安岡正篤氏から中国の古典を、二宮尊徳の講話から哲学的なことを、中村天風氏から経営の心得をと先人から知恵を拝借しました。彼らから学んだ知識を、知識としてのみでなく、これを経営に実践に活かす努力をしました。

 また、第二に、「経営上の約束事を守る」ため無心に仕事をしました。

 故大川会長から、「100%公人として仕事をする」ように経営アドバイスを頂き、自分の全能力と時間を会社発展のため仕事に注ぎ込んだと思います。社員に呈示した「6つの約束」を守るためです。「積善の家には余慶あり」との信念で社員のために善きことは何かを常に考えて政策を打ち出しました。従って、園山征夫という個人の時間は本当に少なく、家内や家族には当時相当の迷惑をかけてしまいました。経営者として社員や彼らのご家族の生活に対する責任を重く認識していたからです。

 最近、一部の政治家の言葉に重みが感じらません。約束を簡単に反故にする。民のために無心に仕事をしているのか疑問です。「こんな行動をとって信頼など得られるはずがない」と、思われる言動も時に報道で派遣します。

社員への人間教育と会社という生命体の活性化

 第三に、仕事のテクニカルなこと以外に、どちらかと言えば人間教育的なことを社内で徹底しました。「社長講話」などは、大げさに言えばマネジャーとしてのハウツーより、人間としてどうあるべきかを説いたのです。

 私の発言内容が「折々の言葉」として6分冊にしたためたものが残っています。それを読み直しても、将来経営を担ういずれかの社員が判断に迷った時、最後の判断のよりどころとする座標軸を的確に見つけさせるため、人間をつくるのが私の仕事と心得て説いていたようです。この座標軸こそが難しい価値判断の基準になります。座標軸はその人の人格を投影したものですから、最初に述べた通り彼らに説く前に自分自身も一生懸命に勉強したものです。

 第四に、会社と言うのは生きた生命体です。かじ取りの仕方如何で会社が活き活きもするし、そうでなくなることがあるとの認識を持っていました。

 社員が活き活き元気に仕事をする環境を徹底してつくる努力をしましたが、部門をなるべく細分化して個々が自己の責任でその部門(「グループ」と称していました)でスピードをもって運営できるようにしたのです。それぞれのグループの責任者が工夫をしてくれます。あるグループの業績が下火になった場合、当然その責任者はそれなりに売上増加を工夫しますが、他の責任者は知恵を働かせ自分の分野の売り上げを伸ばす工夫をしてくれ、先のグループの利益の減少を埋め合わせてくれます。

 今の時代、マクロ的に全社一元的な指示にもとづく経営をするより、一部の項目の例外を除き、それぞれの現場に責任を持たせる経営の方が、遥かにスピード感がでて顧客に目を向けた経営ができるようになると考えます。