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「農耕型企業風土」づくり / 折々の言葉

第164回 ヨーロッパの精神性の概観(1)

Posted on 2015-07-16

 今回、約1か月間、東欧を旅行し、観光などを通して日本人とヨーロッパ人の精神性に関して感じたことがあります。今回のコラムでは、ヨーロッパ、特に東欧の精神性に焦点を当て、概観してみます。

 

1.宗教、カトリック教の影響

 まず、宗教の及ぼす影響です。

 私はアメリカに留学の経験があり、宗教の及ぼす影響にも若干体験があります。

 ところが、アメリカは移民国家です。それ故に、本家本元のカトリック教、又は、新教であったプロテスタントの精神性が薄まり、宗教が国民に及ぼす如実な影響を、アメリカでは今回ほど大きくは感じませんでした。

 それに比べると、今回の東欧の旅行で、本家本元の精神性、カトリック教の持つ影響力をまざまざと体験させられました。勿論、国や地方よりこの影響の濃淡は当然あります。

 

根底に流れる宗教観

 バチカンのローマ法王の持つ力は無視できません。ワレサ議長が率いたポーランドの民主化の運動を蔭で支援したのは、ヨハネ・パウロ2世、元ローマ教皇であったと言われています。また、次の教皇が異例にも生前退位し若手に教皇の職を譲ったのは、最近力をつけてきた近隣の国の宗教の侵害からヨーロッパを守るために、行動力のある若手の教皇の起用が重要との判断だったと言われるほどです。

 かつて、モンゴル軍の攻撃から国を死守したと言われる騎士団の数々の展示品のあるミュージアムや、民衆を精神的に支えたとされる神父を祀る山の上の教会を、オーストリアのウイーン郊外に訪ねました。

 これらを見て感じたのは、ヨーロッパを他の宗教からどう守るかが、中世ヨーロッパの最大の課題だったようだということです。それほど、キリスト教の精神性を広めたい、死守したい一心が、彼らの精神の底辺に脈々と流れていることがひしひしと感じられました。

 かつて日本に仏教を広めた奈良時代の聖武天皇は、国を治めるのに仏教という宗教を使ったのでしょう。それは統治のための仏教の流布で、違う宗教から国民を守るという意識はまだなかったかもしれません。しかし、そういうものであったにしても、その宗教から実質的に距離を置ける我々日本人の精神性と比較すると、根底に於いて、宗教の持つ意味やその深さ度合いが東欧では大きく違うように感じました。

 根底にあるものは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(マックス・ウェーバー著)が、「プロテスタントの多い地域では納税額が多い」で始まるこのくだりにヒントがありそうに思いました。

 マックス・ウェーバーは、ヨーロッパの人々は、仕事を神様への奉仕と考えて良く働くので、納税額が増えたと記述したかったのではないでしょうか。

 マックス・ウェーバーの著作はカトリックの倫理ではありませんが、宗教改革の時に、当時のカトリック教の腐敗に抗して作った新教、すなわちプロテスタントである以上、根っこの部分は同じ精神構造を持っていると考えても差し支えないのではないでしょうか。

 それほど、神の存在が絶対的で、その神への奉仕をベースとした精神性をヨーロッパの人々は持っていると考えます。

 

2.街の美意識

 上記の通り、彼らは教会を中心に物事を考えていました、今もそのような人が多いと思います。

 従って、元々の街(オールドタウン)は、教会、集会に利用する広場、市庁舎、食事処などを中心部に備えて街を作っています。この広場から波状的に伸びる馬車道の周辺に住民を住まわせ、高い塀をめぐらせて、住民を敵から守る構造になっています。馬車を走らせる通路がいつの時代からか踏み石になっています。

 街の美意識も、この構造の中で育まれてきたと想像できます。精神的支柱たる教会を中心に、如何に街全体の美を構成させるかが問われているようです。

 田園風景を中心にした美意識ももちろんあると思いますが、それは付加的なもので、あくまで、教会を真ん中に置いていて、住民の安全を保障できる環境の基本的セットが、ヨーロッパの人々の美意識の根底に潜んでいると思います。その証拠に、絵葉書の中で一番多いのはオールドタウンの絵図のように見受けられました。

 それは、単に風景的な美に留まらず、彼らの心の安寧を支える美意識と見ました。

 

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