園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

人材育成

非常識の尊重(2)

Posted on 2013-05-30

 前回の続きです。一般的には非常識と言われていることでも、私は次のような非常識は大変尊重しています。

時に、戦略より組織能力を

 戦略は合理的であることが必須ですが、私が見る限り、戦略を実行するにあたっての組織能力が欠落している会社が多いのです。この場合には、組織としての成長をどう図るかを第一義に経営をしなければなりません。 頭でっかちでなく、手足も同時に鍛えるイメージを重視しています。どういうタイミングで経営上何を打ち出すかの「時」を見て打ち出す策を考えています。

セグメンテーションの論理の常識無視

 セグメンテーションのマーケティングの論理のみでは、今の時代を乗り切れないと考えています。企業はどうしても、企業の論理や経済性からセグメントで顧客をくくりたくなります。私はこの性癖をどうブロックするかが、経営者としての仕事の一つだと思っているほどです。顧客を徹底的に個別に把握するやり方はコストがかかりますが確実に競合との差異化につながると確信しているからです。

 例えば、セグメンテーションでなく特定の人の名前を商品に入れて本をプレゼントし、プレゼントされた人の口コミでマーケットを拡張するという発想が実現するとすれば、新しい顧客開発の仕掛になるかもしれません。個人の名前を入れることでワン・ツー・ワンのサービスを実現することになります。

 現に私はある人から私だけに宛てた本、「園山征夫様に送る本」を贈呈されたことがあります。世の中に一つです。今でも、印象に残り、いろいろな場所でつい話題に出してしまうほどです。

余りにロジカルに考えないこと

 会社の経営を任された限りロジカルな思考は当然要請されますが、あまりこの発想に拘泥すると、経営者の脳の活性化につながりにくいのです。偶然に何かの事象に遭遇したとしても、そこからあるひらめきで次の策に導く力につながらないかもしれないことが過去の経営であったからです。

時に、効率性軽視

 効率は短期的なものはダメです。顧客のサポートなど中長期的な観点の作戦は、短期的には経営効率を悪くすることになりますが、そんな常識は信じない方が良いと思います。最近アメリカ的な観点でどんどん切り捨てられている短期的な無駄も、中期的視点では「無駄の効用」があることをトップは自覚すべきと確信しています。

人材育成の仕組みの非常識

 日本のかなりの会社で上司が後輩を育成する「縦系列の指導伝承型OJT」方式がなくなっているとの報告が多く挙げられます。この指導伝承型OJTにすることが実は人材育成の非常識と思い、私は重視しています。

 こうなった背景として、会社の組織がピラミッド型と同時にプロジェクト型で運営されるケースが多くなったこと、業務がIT化され仕事がブラックボックス化され先輩の仕事ぶりを学んで育つ現場環境が少なくなってきたことなどがあげられます。

 この結果として、上司が電話口で顧客から叱られ頭を下げている姿を部下が見ながらOJTで学べるチャンスが少なくなってきたり、その時の上司の対応を見ながら「自分だったら、こういう対応をする」と上司を他山の石にする機会も少なくなってきました。

 人が育つには、先輩の一挙手一投足が一番だということを私は経験しました。ある会社の経営を託される前、故大川会長のカバン持ちをしていた時代があり、その時に自分は成長したと自負しているからです。

 具体的に何をどう教わったというマニュアル的なものは全くありません。それでも、なぜ、その時そのような行動と判断をしたのかを実際の場面で指導してもらったことになったからです。

 このような非常識はぜひ日本の会社に残したいものです。

 

非常識の尊重(1)

Posted on 2013-05-23

 私は「農耕型企業風土」づくりを通じて会社が中・長期的に成長するための「フォーミュラ」と「公式」を経営者に説いています。経営者の育成と社員の安寧、会社の成長が目的です。

 私は先の「フォーミュラ」や「公式」に沿いながら、一般的に非常識と言われることを大変尊重していました。一見矛盾することを言っているように見えますが、「フォーミュラ」や「公式」の内容を読まれるとすぐ分かります。したがって、以下に述べるビジネス上の非常識な例は、私の論理と矛盾することではないと理解していただけると思います。

ライバルは敢えて見ないこと

 分析が得意な部門は、どうしてもライバルと自社を比較しがちです。そしてその報告を経営者に上げます。一般的には、貴重な判断資料です。しかし、ライバルを見ることは、かえって自社の作戦の足かせになることも考えてみる必要があります。私にもそのような経験がありました。

 ある業界での会社の経営にその分野の素人として参入したとき、その業界の常識的な知識を入れ込みたい人が周囲に多数いました。でも考えました。その常識があったからこそ事業がうまくいかなかったのではないかと思ったのです。どうしてもライバルのやり方を超えようとして、かえって世の中の定説の渦巻きから離れられなく、落とし穴にはまりやすい傾向があるからです。

 「ゼロからの発想」のためには、業界に通じたライバルのことを敢えて見ないで、それを知らない違う分野の人材の考え方などを取り入れるこの「非常識」が、役に立つことがあります。私はその業界以外の意見を非常に尊重して聞くことにしていました。今もそれを試しています。

 特に、「ライバルだから」と称して、自分の会社と違う大きさや生い立ちを備えたライバル会社をベンチマークしても、私の経験では単に特定の部門の知識欲を満足することに終わってしまうことが多かったのが現実です。

打てば当たる

 商品は簡単には当たりません。「合理的な考えから発想しないと商品は当たらない」と教科書では書いていますが本当にそうなのかと思うことが多くありました。むしろ、いろいろたくさんの商品を出すことで初めて良く言われる「20:80の論理」に意味があると思うのです。

 たくさんの回り道をし、新しいセンスで沢山の商品を出して初めて良い商品に行き当たることが多いのが実態です。特に昔ヒット商品を出した人が自分のセンスで次の商品の開発を担当し続けるのは、私は外れとみます。固定化した観念の、昔の世界の商品の焼き直しにしかならないと見ます。

 それより若い人の斬新なセンスで魅力ある商品を開発し続けることが、「20:80の論理」の正当性を証明してくれると信じています。

論理より感じる魅力

 良い商品でも売れないことが多いのを私は何度も経験しました。「これは絶対に世のため人のためになる商品で売れる」と自分では確信していた商品も、は惨敗したこともあります。気をつけなければならないのは特に上記のような大企業的論理が、中規模の会社でもまかり通ることが多いのを見ます。果たしてこれで上手くいくのでしょうか?

 商品が消費者にとって魅力的で、彼らが「買いたい」と意欲を掻き立てられるか否かが基本です。この意味で言えば、今関係している出版の商売では、本のカバーデザインは入り口として大変重要です。手にとって魅力を感じるか否かで決まるからです。たとえば若い人が読む本ならば、読む人と同年代の若手のセンスが肝要です。

 私はこれに影響を与えそうな意見を敢えて積極的に言わない主義を通しています。若手のセンスに任せることに徹しています。これが正解だと考えているからです。

現場は見ないこと

 現地現場を大事にすることは私の持論ですが、例外があります。上手くいっていない現場です。上手くいっていない現場は、現場の状況の診断は出来ても新しい発想で本質的な改革をすることにはつながらないことが多いのです。本質を重視するからです。

 私はそのような現場の近視眼的な情報をとりあえずシャットアウトして、根源的、本質的、理想的なことを「考える」主旨で、あえて見ないことにすることもあります。

 

上司の“こころ”のケアと称する甘え

Posted on 2013-04-18

聞いている、聞いていない

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」と突然怒りだす人がいます。

 私も過去、部門を任せていた組織の上層部の部長がその部門の部下に対してこれに類した発言をしていたのを、横で見聞きした体験が何度となくありました。その発言に至ることになった正当な経緯が無くはないと思ったこともあります。

 しかし、いま振り返ってみれば、ほとんどの事象が見苦しく映ります。

 アクセスしようと思えば、その上司は事前に関係する情報にアクセスでき、「俺は聞いていた」ことばかりです。部下は簡単な口頭報告をしているはずです。

 部下はその件の相対的重要性の低さと、他の案件に関わる上司の多忙さをおもんぱかって、その上司に個別具体的な詳細説明をしなかったようなケースが多いはずです。全くの善意からの場合が多いと思います。

 このような発言をする上司はほとんどのケース、自己採点は高いが、会社全体の管理者で実施する相互評価点の本人分は低いはずです。

 自分の力量のなさ、自分を大きく見せたいことの裏返しとみるこの発言が「何だこれは、俺は聞いてない!!」となる場合が多いはずです。この一言で業務がすべてストップしてしまいます。

 このことでその上司は周囲を戸惑わせ、自分の権威を誇示しているようですが、部下たちは普段から自分の目で見ていますので、発言の背景をすべてわかっています。

何故、この発言?

 なぜこうなるのでしょうか?

 最大の原因は、この上司の精神的弱さにあるかもしれません。見くだされ感で不安なことは、存在感の誇示と裏腹の関係です。部下に対して自分の“こころ”のケアまで要求しているのです。

 このような方法以外で自己の力を誇示ができない精神構造があるその上司は、かわいそうな存在です。判官びいきの多い軟な組織では、その人へのひいき目が前面に出やすいことになりますが、これではその会社の成長は危うくなります。

 どうせ力が不足しているなら、業務をストップさせないような判断や指示にしてもらいたいものです。

 その方がその部門の業務がスムーズに回るからです。業務の重要性の尺度をもとにそれが部下からの具体的な内容説明をもとにして、合理的な判断を下すべき案件か否かを、日常的に部下がわかるようにしておくという上司の本来の責任を全うしていれば済むはずです。

 「何だこれは、俺は聞いてない!!」というこの現象面のみをとらえると、私の主張する「農耕型企業風土」づくりの経営の中の“こころ”のケアに関する主張と一見似ていますが、全く似て非なるものです。

 私の「フォーミュラ」では本来上司が部下の“こころ”のケアをすべきなのに、この場合逆転しています。部下には上司の生殺与奪の権限が全くないのに、上司の“こころ”のケアまで要求されるることになります。

 “こころ”のケアと称して上司のメンツのみを重視する風土は、部下が上司に媚を売ることにつながり、組織として生産的・民主的な話に全くなりません。社員への公平な対応を期待できなくなります。

 困難にあたっても、一つの目的に向かって全員一致して解決の努力を惜しまない「農耕型企業風土」づくりの中での上司、部下の姿とは違います。

 上司という個人を部下全員が、なんとなく腫れ物にでも触るごとく世話をするという、全く非生産的な強権的な組織に成り下がってしまうという意味で組織の本質的な欠陥を秘めています。

対応策

 どうすればよいでしょうか。突き放すことです。大人になった社会人です。

 そのような甘えの構造がある限り、「自分は特別だ」という職位やタイトルの庇護のもとに相手を従わせる性癖の人だからです。目を覚まさせる必要があります。突き放すことで自分の置かれた立場の理解と、自らが部下の育成に責任ある行動をとらねばならない自覚を持つことに気づく時が来るからです。

 さもなくば、もっと部下の少ない部門に配置転換すべきです。そうすれば自分の立場で「仕事をする」ことが何を意味するかを自分で理解するはずです。積年このような庇護のもとに育ってきた企業風土の弊害で、会社の成長のスピ-ドを鈍化させていることを本人に理解させねばなりません。

 皆さんはこのような上司にならないことを、切に祈願します。

 

本物の人間力

Posted on 2012-11-01

 私は沢山の本物の人物に恵まれました。

 一般的な言葉で言う「著名な人」ではありませんが、市井の中に本物の人物がたくさんいることを体験しました。ある会社の経営を託され、その経営に尽力する過程でたくさんの人と出会い観察する機会が多かったことが幸いしたかもしれません。

「真金不鍍」

 本物は「真金不鍍」と言われる通り錆びません。

 しかし本物と偽物の区別は結構難しく、個別の現象を一定期間累積して見るしかありません。

 義務ではないのに人が集まる、その人から人が離れない、人が指導を乞ってくる、このような人に出会いました。

 他の言葉で言い表せば、対価や役職を要求せず相手を扶助する精神があり共感性が豊かで、厳しさの中にも優しさがあり、誠実で約束を破らない肝が据わっている人と、表現できるかもしれません。

集団を引っ張る力

 私が経営を託されていた会社の福岡の支店に、清水和仁君という人がいました。今も他の会社で活躍・チャレンジしています。

 彼の集団を引っ張る力は他の追随を許さないほど力強いもので、多くの人との接点、つながりを大事にしていました。おまけに、彼の業務能力も抜群でした。

 集団に不利なカードが回ってきた時の対処法や、並行的に複数のことに同時に対応して集団のリスクを分散することも常に考え、最後は自ら集団のリスクを取る用意がある人で、根は楽観的で魅力的な男でした。

 その一方で集団が調子に乗りすぎずないように引き際をわきまえ、どこかで集団のツキが落ちることを前提に、早めにゲームを切り上げる判断力もわきまえている男でした。

顧客の声を聴く力

 また消費者の声を会社としてどう活かしていくかに、彼ほど熱心な人物はいませんでした。

 企業活動の中でまずその企業が顧客に何を約束するか、この約束履行に対して誠心誠意、心から実行する意思がまず顧客に見え、かつ伝わることが肝心です。

 私の言う「サービスデザイン」と関係してきます。

 形のみが整備されていても、この意思と実践力が顧客に見えない時には、顧客対応の仕組みが形骸化してしまいます。」これを回避するために顧客訪問などを通じて会社の約束事を守ろうとする清水君の誠心誠意な行動には、本当に頭が下がりました。

 約束の履行に対する反応として、顧客からいろいろな意見が会社に寄せられます。手紙、電話、メール、ソーシャルメディアなど、方法はいろいろあります。問題は、この顧客の声(Voice of Customer)を吸い上げる努力にかかる知恵とエネルギーを惜しまず、顧客の声の表面だけでなく、言葉の背後に潜むインサイトをどう掴むかです。

 経営者であった時、私はこの視点を一番大事にしていました。

 分析手法もいろいろありますが、ポイントは顧客にどう喜んでもらえるかという視点で顧客を観察することです。清水君はそれを一番わかり実践していた人の一人で、非常に優れていました。

 彼はインサイトを何とか見つけたいと、顧客と日常的に接点を持っている人々を通じて、彼らが顧客との接点で「一番嬉しかった」ことを口頭や紙面に述べてもらう「場」を持つことを頻繁に実践していました。顧客に喜んでもらった個別事象から、さらに顧客に喜んでもらう知恵の塊、インサイトを現場の社員から発掘し、ファン層も含む顧客の口コミなどの醸成、拡大で顧客と一緒にさらに良いものを創るためです。

幹部を育成する場所

 福岡にあったこの支店を、私は次の経営幹部を育成する「場」と位置づけしていました。明示的ではありませんが、次の幹部候補の人材はこの支店の長を経験させることにしていました。

 それは、清水君などが中心となって石城君、鶴田さん、丸山さん、河津さん、角田くんなどあげたらキリがありませんがこの支店が、集団の状態を効果的に特定の目的に引っ張り仕事を遂行する能力を組織として持っており、会社全体の良き企業風土を伝承していると認識していたからです。この支店には清水君のような人物が沢山いるので、どんな幹部候補者が赴任してきても、良い経験と企業風土を体験し、確実に成長してくれるからです。

人間力の評価

 人を評価するのに人事考課という制度があります。

 この制度は会社の目的、目標を踏まえて、個人の目標の遂行度に対する上司の評価として客観的に数字に表れるものと、主観的だが数字や度数に換算し直したものの構成要素を総合集計するのが一般的です。

 人を評価するのに、人事的には給与の上下と連動させるために、その総合点で評価するのが一般的ですが、私は、評価項目の個別の内容を見ることも重視していました。

 個別の内容を業務遂行のスキル力、構想を練る力、人間力などに分けて評点づけがなされるとすれば、先ほどの清水君の例では、彼の人間力が最上位に位置付けられる人物でした。人生と同様、組織としていろいろな難局があろうとも、彼はその人間力で、集団を無手自在に良い方向に引っ張ってくれる人物の一人です。

 

継続的に伸びる会社は何が違うと思いますか?(2)

Posted on 2012-10-18

 私の著書「これからの課長の仕事」、「これからの社長の仕事」の中で「農耕型企業風土」づくりで会社を成長させるための「フォーミュラ」について述べ、2012年10月12日の本コラムで継続的に伸びる会社のポイントを違う側面から言及しましたが、今回はその続きを述べます。

社会のために「人つくり」の視点

 よく「儲かる会社」、「儲かる事業」などと表現されます。この表現は、会社としての最大の目的が沢山の顧客を発掘して結果として利益をあげることだとすれば当然で、所期の利益を上げて株主に還元するためにも最小限必要なことです。

 しかしながら、もっと大事なことがあると私は考えます。

 それは、その会社が業界の中で社会にためにどんな橋頭堡を築いたか、築いていこうとしているのかということです。長い事業スパンで考えると、それこそが、その会社の価値を決める違いになるのではないでしょうか。

 社会のために何を築くのかは、その企業が置かれた立場や業界の特色によって違いがあります。

 しかし、多少の違いはあるとしても、「人つくり」という仕事はどの会社にとっても競争上で一番の橋頭堡になるものと私は考えています。その意味で、多少コストがかかっても「人つくり」を重要なターゲットとすることは、非常に多くの意義があるのではないでしょうか。

Whyを考える「人つくり」

 この「人つくり」でも「How to」にたけている人よりも、「Why」を考える人こそ重要だと思います。

 細かい情報が沢山氾濫している現在、ある問題に対して解答を得るためのHow toを教える人やその機会が沢山あると思いますが、思考のルートやヒントを与えてくれる人や機会が少なくなってきてはいませんか。

 人間がレベルアップしていくには、起こりうるいろいろな事象に対して、それを克服するための応用問題を解く能力が要請されます。

 また、応用問題を解くアプローチも沢山あるという理解が重要です。選んだそのルートは、その応用問題のみは早く解けるが違う応用問題では限界があって苦労するようなルートかもしれません。ルートの選択で思考するクセもつきます。そのような素養を持つ「人つくり」を心がけたいものです。

「仕掛け」造りの工夫

 継続的に儲かる会社には、「仕掛け」があります。

 週間報告書(週報)や月間報告書で対話をするのも、私が取り入れていた「仕掛け」の一つです。この「仕掛け」を習慣化していました。

 本来は報告書のファーマットで学習させレベルアップすることが目的です(その詳細は先述の本に譲る)が、一定期間に実行したこと、できなかったこと、人間関係を含めて悩んでいること、会社への提案など何でも記載結構です。

 何でも記載可能な形にしていましたので、上司と部下のある種の交換日記的役割も全うしていました。報告書の中に「隣のAさんが最近沈んでいるようです」などの一言の記載から、実はAさんでなく本人が沈んでいることを表現したものと察し、必要なサポートをタイムリーに差し伸べることに成功したこともありました。

 上司を通じて私も週報を読み、コメントを手書きで返すことで「対話」を継続的に実施することにしていました。

 また、イベントも大きな「仕掛け」として年2回大規模に実施、習慣化していました。

 このイベントで社員、同期社員、家族、従業員と会社の一体感を醸成するのです。日頃の労苦に会社が感謝の意を込めて開催するこの収穫祭のイベントを、皆楽しみにしていました。「その一瞬で半年の苦労も吹っ飛び、また新たな気持ちで頑張ろうという意欲が湧いてきた」という感想を聞いていました。

 メンターと言う制度も一時期作ったことがありました。新しく入社した新人は右も左もわかりません。そこでいわば本人の「里兄、里姉」的に「里子」である新人をサポートするものです。皆から信頼される社員をメンターに充てることで、その新人の以後の成長度に大きな違いがあることに気づきました。新人のサポートをすることで、メンター自身も成長することにつながりました。

 決裁の承認の関門をなるべく少なくしました。

 組織をフラット化して稟議の関門を少なくすし、やりたい人が自己の才能や思いをなるべく障害なく実行出来る「仕掛け」にしました。特に、新しいことにチャレンジするような案件には前例がないが故に、提案者にとっては稟議承認で消極的な関門が多くなりやすいものですが、そこを省力化して若手のやる気を応援するためでした。もちろんコンプライアンス上のレビューは当然必要なことですが、会社が大きくなると自分の存在感を主張するために、何かに意見や文句を言う人が多くなる傾向がありますので、これを回避してチャレンジする心を応援する「仕掛け」です。

 クオリティー改革など、いろいろなアイデア・コンテストも実施しましたが、これはなるべくたくさんの社員をこの企画に巻き込み、隠れた才能を持った人を発掘するためでした。優れた考えを持った社員が沢山いました。良い企画には褒美のみならず、それを実行に移すことを会社として担保し、単なるショウに終わらせない工夫もしました。

 その会社の置かれた事情で「仕掛け」の内容は異なると思いますが、この「仕掛け」を習慣化して、継続的に会社の仕組みの中に組み込むことが不可欠です。

オープンなコミュニケーションができる土壌

 継続的に儲かる会社には、円滑なコミュニケーションがあります。

 組織に「甘えの構造」がみられる場合には、限られた閉鎖的なメンバー間でのコミュニケーションのみで満足していることが多いものですが、これでは限界があります。組織内に全員がオープンにコミュニケーションできる「場」が欠落していることで、会社として本来持っているエネルギーが失われてしまいます。

 特に幹部社員には「マネジメントの定石(参考:「これからの社長の仕事」)」として、オープンなコミュニケーションを実行させる習慣を身につけさせることです。簡単そうですが、これには結構努力が必要です。一度はできても継続的に実行することが危うくなることもあります。

 また、幹部社員が忙しいこととオープンなコミュニケ-ションが無いこととは、全く無関係です。多忙は隠れ蓑で言い訳以外の何物でもありません。一方的な上意下達の話のみで、部下の立場に立ったコミュニケ-ションができていないかもしれません。

 コミュニケーションをよくしようとする本心があれば、どんなに忙しくてもコミュニケ-ションの工夫によって閉鎖的な部分をけん制・打破でき、素晴らしい企業風土をつくることにつながります。