


折々の言葉
海外でのビジネスこそストレスに強い人材を(1)
昨年の秋、友人の誘いでマレーシアに行ってきました。ゴルフ中心の1週間余りの短い滞在でしたが、現地の雰囲気や現地の人から見聞きするうちに、日本にいる優秀なビジネス人材が、今後どこで活躍するチャンスが多くなるかについて、実感を伴った確信を得て帰りました。
ビジネス上、魅力ある地域アジア
今や海外に住む日本人は、2011年10月時点で118万人と5年前に比較して11%伸び、北米に45万人、アジアに33万人在住していますが、アジアでは5年前に比較して19%伸びたと、ある報告書に書かれています。この数字はビジネスマンのみではありませんが、これまでの傾向からすると、大多数がビジネスに関係する人とみて間違いはないと思います。
この傾向が強くなる背景の一つに、為替レートなどの問題を除けば、そもそも制度上の理由から日本でビジネスを展開する魅力が薄れているとみられないでしょうか。
政府は、消費税ばかりか所得税の率を現在の最高税率40%を、平成27年分から45%に引き上げることに決めました。これに住民税を加えると、一般の日本人の税負担感は、非常に高い状態です。今年から相続税の最高税率も引き上げられる、税計算の控除額も縮小されます。日本にとって一番増やしたい層、いわゆる中間層を狙った税金の増収策としか考えられません。
法人税についても、最近これを漸減する案が出てきているにしても、未だに海外の各国と比較すると、日本の税率は高く、法人の実行税率が40%位になっています。他方、マレーシアの隣のシンガポールでは17%、加えてこの地ではエンジェルが多く資金調達が容易で、ビジネスをする企業にとっては魅力的な国です。シンガポールは総人口543万人の内、外国人が38%、都市で言えば、ロンドンが50%超、ニューヨークが34%と言われているのに対して、東京の外国人比率は3%です。
これらの数字の一面に、どこでビジネスを展開したいと思うかのビジネスとしての制度上の魅力度が出ていると、言えないでしょうか。相対的にみて、日本は税制上、魅力に乏しいのです。
また、ビジネスにとって重要なのは労働人口です。日本ではついに労働人口が8,000万人を割りました。世界地図上、労働人口が集中する場所も変化してきているデータがあります。世界全体では労働人口が2010年から30年までに8.4億人から約8億人に減少するのに対して、アジアの南を含めた新興国ではこの間、10億人増えて46億人になるとのことです。
当然、労働人口が集中する場所の変貌により、新しいビジネス、革新的な事業が生まれる場所も変化することになります。
各国政府の政策展開により浮き沈みがありますが、労働人口が増加する中国、インドなどのASEAN各国、ブラジルなど地球の南側に、ビジネスチャンスのトレンドが移行してきています。このような国では、高い利益率をもたらす案件も当たり前なのに、日本では数パーセントの税引利益を出すのに四苦八苦している企業が多く、大きな違いがあります。それほどASEANを主体とした地球の南ではビジネスのチャンスが多いのです。
これらの地域には、ビジネスのチャンスが多いことを嗅ぎ付け、有能で高度なスキルをもった人材が世界中から集まってくる善循環をもたらしています。この結果、この地域では新しいビジネスを生む環境が他の地域より増すことにもなります。
現場力を出す組織にする
情報化時代の現在においては、特に、リーダーと現場との関係でリーダーや組織の在り方に大きな変化が生じざるを得ないと、私は考えています。
産業革命からつい最近まで、ほとんどの仕事は積み上げ方式でした。この場合、先輩から受け継いだ経験がモノを言う、時代背景を前提とした組織構造が適していました。この組織では、指揮命令系統を表すピラミッド的な階層が必要で、組織が機能ごとに枝分かれし、その組織をリーダーが引っ張るというものでした。
情報化時代の組織と現場の特徴
ところが情報化時代になってから、仕事に於いて、経験よりも創造性が重要になってきています。ほとんどの情報は階層に関係なく平等に開示されるので、情報格差をもとに組織を管理することの意味が失せてきています。
このためリーダーと現場の関係で、組織も変わらざるを得ません。
リーダーは強力な力で引っ張る指揮官ではなく、社員、顧客、時には競争相手とも協調しながら会社を成長させる意思、能力、更にコミュニケーション力豊かな指揮者的なリーダーシップを持つ必要になると考えます。他方現場も、この時代背景に応じて変化を求められます。
過去にも、「現場こそ・・を」と言われていました。この場合の「・・・」はルーチンを保持しながら、継続的に業務をキチッと遂行する場であるとの意味が強かったのが事実です。現場が高品質の商品を生み出し、日本の産業を引っ張る原動力となっていました。しかし、今や新しい意味での「現場こそ・・・」が求められていると考えます。
「現場こそ・・・」の意味
それは私が主張している「農耕型企業風土づくり」の中で述べた、躍動する知恵の塊の現場組織です。詳細は、『これからの課長の仕事』や『これからの社長の仕事』に譲りますが、
この現場組織の特徴は、
・自分が得意とする分野の能力を伸ばせて、そこで競争できる環境がある組織
・経営側が決めた事業の計画に単純に従うのでなく、社員の要望・願望などを社員が自主的に織り込んでいける計画をする組織
・経営側と社員の共通するミッションに取り組むため、一緒に課題を解決できる組織。
・夢を共有し、現場の力を将来に向けて結集できる組織
・社員が会社の方向性に関心を持ち、その目標に向かってベクトルを結集できる組織。特定の幹部層のみでなく、全社員の力を結集できる組織
・あらゆる機会をとらえて現場の持てる潜在力を発揮させる組織
・男女間の格差が無く、全員が評価されていると感じる評価方式と報酬の分配をもつ組織です。
要は、社員個々人が自分の人間性に忠実に生きる働き方ができる環境をリーダーが与える組織、結果として、現場の知力を更に高めることが出来る組織です。
情報化時代の現場は、対話を通じて部下を知り、彼らを育成しながら集団でイノベーションを起こせる主体という意味で、組織的に知を結集できる価値の創造の主体になると言っても過言ではありません。
価値を創造、高度化する現場組織
上記の通り、企業としての実質価値を増加させるのは、現場の組織です。従って、リーダーには、現場こそが知を創造する主体であるとの認識が不可欠になります。
価値を付加したり、新しい価値を創造したりするには何か特定の方法があるのでなく、自由闊達な環境下で日常の仕事の実践や違う現場との真剣な話し合い、他部門の業務の経験などが必要なります。継続的にルーチンを保持しながらコツコツと日常の仕事を弛まなく積み重ねていくうちに、価値が生まれると考えます。
それほど、私は現場を大事にし、普段の仕事から新しいものを生み出す「現場にこそ真実があり」とまで言い切っていました。
その意味で現場の社員は、上記の意識を持って「仕事をしている」か否かを問われることになります。また、現場に経営実態が全て映し出され「現場が経営の鏡である」としたら、リーダーを中心とした経営側も、情報化時代の変化に応じた組織運営ができる対応を真剣にしているか否かを問われます。
競争で勝つ確率を高めるには
経営環境が激変する中で、競争優位を持続するのは大変なことです。競争相手が沢山いるマーケットでは、毎回ビッドに勝つことは至難の業です。顧客の要望に完全に合致するのは大変です。しかも、本筋とは違う何等かの要因で選ばれないこともあるのでなおさらです。
競争で勝てる確率を高める作戦
そこで考えるべきなのは、競争条件下で勝てる確率を高めることではないでしょうか?
競争環境は、常に変化していきます。特にサービス業の場合、今は優位であったとしても、やり方などをすぐ模倣されてしまいます。特許などで縛られない部分が多いので、模倣されやすいのです。
私が関係していたビジネス分野でも、新しいサービスコンセプトを導入して、しばらく競争上優位に立っていましたが、それも他社に模倣されてしまいました。さらに新しいコンセプトをすぐに考え、乗りきらなければならないことが、何度もありました。
加えて、新しい技術が登場することで競争のフレームワークが変化し、過去のフレームでは優位だったビッド案件にも変化をきたしやすいのです。
コールセンター関連で言えば、最近のIT技術の登場と利用の一般化により、「コミュニケーションをするという概念」自体に大きな考え方の変化をもたらしてきているのではないかと思うほどです。言葉を発してコミュニケーションをすることの基本に変わりはありませんが、新技術の登場によって、コミュニケーションの概念の幅が大きくなってきていると考えます。
このような状況下では、その分野の新参者でも大きなビジネスチャンスを掴める時代が到来したとも言えるのではないかと、個人的には考えます。それほど競争に勝ちつづけるのは、至難になってきているのです。
企業風土づくりの大切さ
このような厳しいマーケット環境下では、競争に勝つ確率を高める戦略が肝心です。
以下の私の経営体験の例の中で述べるように、前提として、常にマーケットの変化を的確に捉えることが出来、しかも、それに俊敏に対応できる組織風土が不可欠であると考えます。この企業風土を背景とすれば、環境の激変化でも競争に勝つ確率が高まると考えるからです。
私が主張する「農耕的企業風土」づくりが、結果として内部を安定させ、迅速に競合に対応できる組織力をつけることにつながります。この風土があったからこそ、内部の人材の力がアップして、しかも助け合う精神で内部組織の安定性を保ちつつ、俊敏に一致団結して戦える「燃える集団」をつくることが出来たのではないかと考えています。
内部の組織的安定性とベクトルの結集
まず内部の組織を徹底的に安定させることが肝要です。
私は、社員の雇用を安心させ、持てる潜在能力を開花させる機会をなるべく多く与える努力をしました。競争相手に迅速に対応できる社員の行動体質を備えさせることも教育・研修に織り込み、社員の質を高める教育・研修を徹底して、共感する目指す目標を掲げ、社員に実績を積ませることで、自分の成長を実感させ、さらに、組織に貢献するマインドを持つことで、組織を安定させました。
この内部の安定性を保つために、進むべき方向性を明確にして、且つ、当時としては少し無謀ではないかと思えるほどの高い目標を、「六つの夢」として掲げて、皆のベクトルを結集しました。
また、部門をグループという小組織にし、その長に相当の権限を持たせて、グループという店の運営を任せました。私のエネルギーを、企業としての社会的存在意義を明確にすること、その中で社員が働きやすい企業風土、企業文化づくりをすること、社員のレベルを上げることに、注力邁進したのです。
環境が大きく変化しても、「サービスでリーダーシップ」をとるという明快な経営戦略と徹底したリーダーシップにより、社員が安定した組織風土の中で、個々人の力を最大限発揮してくれることになりました。また、顧客との関係でも、彼らがこれを第一義と考えて、安定した顧客関係を維持できることになりました。
組織としての俊敏性を持つため、経営側と社員との信頼関係
競争条件下で勝つ確率を高めるために次に必要なことは、組織の俊敏性の源泉は経営と社員との信頼関係です。
社員が突然解雇されるようなことは絶対にしないことを、私は明言しました。実際にリストラという言葉は語られませんでした。私自身は、過去にこの会社が存亡の危機的な状態があったことを考えると、雇用の安定性を求めている社員の心理を痛いほど分かっていたからです。
勿論、変革のために小さな痛みを伴う組織変革などは実行しても、絶対に人の首は切らない経営側の姿勢が肝要ではないでしょうか。
変化に俊敏に対応しなければ、競争に勝つ確率が下がります。私が過去関係していた会社では、自社で勝手に引いた業界の線引きをもとにした戦略発想を、敢えて捨てる努力をしました。強力なライバルはどこにでもいることを前提にして、業界なるものを無視した戦略をもとに、どこから来るかもわからない強力なライバルの進出に、何時でも俊敏に戦える体制を敷きました。
組織の俊敏性を図るための諸施策を戦略的に取り込んだ例です。半期に一回、全国から社員を集めて事業計画発表会を実施していましたが、期初に立てた戦略や計画を柔軟に軌道修正すらためです。社員もマーケットの変化に迅速に対応する姿勢と行動力を備えるようになっていましたが、トップとして、マーケットの変化に則して、路線の変更と覚悟を全社員に明確にするためです。
加えて、イノベーティブな新しいことを仕事の中に取り込むことを、全社員の仕事の一環とし強調し、新しい取り組みで変化に迅速に対応できる風土を作りました。
それぞれのグループの長が自らのマーケットを細かいフィールドで捉え、小規模な投資でもっても変革に俊敏に行動に起こし、上手くチャンスをものに出来る体制も敷きました。
また、前期に伸張著しかった部門はどうしても資源を取り込みやすい傾向を打破すべく、予算編成はゼロクリアーで、各部門に資源を抱え込ませない、資源をマーケットの変化に則して全社的視点で配分できる方式としました。
結論です。
組織の安定性と敏捷性は一見逆説的に響きますが、私は内部組織の安定性を保ちながら、沢山の新規取組を迅速に出来る会社こそが、競争で勝てる確率を高くすることを確信しており、むしろ、この考え方が整合的だと考えています。
普通の中小の会社の競争作戦(2)
前回の続きです。
5.持たない作戦を展開する
その当時、No.1の企業は設備、社員のレベル、ノウハウ、資金量等あらゆる面から我々の上との認識を私は抱き、彼らの「持てる力」が羨ましくもありました。「・・・が当方にもあれば・・・」と、はかない夢も抱きました。
しかし、瀕死の貧乏会社を経営している私からすれば、それは経営上何ともしがたいのです。そこで、この時期発想を逆転させ、徹底して不必要なものは持たないことにしました。土地は持たない、不動産も所有しないなど「持たざる者」のひがみを、弱みから強みにするため「持たない」ことを会社の方針としたのです。
固定費で会社がおかしくなる企業を近くに見ていたからでもあります。やせ我慢の論理です。固定投資が少ない分、その金を社員の教育に使い、サービスの品質を上げることの一点に集中した作戦を展開しました。当時のあらゆる資金を人材育成とサービスの品質向上に使ったと言っても過言ではありません。社員の意識の改革を図り、会社としても動きが迅速になりました。マーケットの変化に対応しやすく、且つ、顧客の意見に迅速に反応できる体質を作り上げることが出来たのです。
6.周辺分野から新規事業を開始する
会社がある程度大きくなるとどうしても多角化の誘惑にかられましたが、我々はドメインを明確に決めていましたので、この誘惑に大きく負けることがありませんでした。
ノウハウの無い全くの新規分野で戦うより、勝手を知ったテレマーケティングという既存の事業の周辺領域分野での進出に努力をしました。その結果、会社に大きなリスク負担をかけることにはなりませんでした。ベンチャー経営者の一部は、この落とし穴にはまることが多いのを普段から見ていたので、既存の事業の周辺での多角化を第一義に考えて作戦展開をしました。
7.小規模で新規事業を開始する
そうは言っても、何か新しいことに取り組まなければなりません。そこで失敗代金をあらかじめ事業計画の中に織り込み、その範囲内で、しかも小規模でどんどん新しいことに試行錯誤で取り組みました。
当たるか当たらないか分からないのが正直な気持ちで、とにかく小規模にスタートさせました。種を撒き成長の様子を見て、上手くいきそうなら、追加の投資を決断する、ダメなら撤退ルールに照らして撤退することで、新規事業が本体の屋台骨に影響しない作戦を展開しました。沢山の企画をチャレンジさせ、PDCAのサイクルを高速で回しながら新規事業を取捨選択していきました。このことで大きなリスクを回避しながら、且つ、新規事業で革新することに成功したのだと考えています。
8.一点に集中する
一点豪華主義を貫きました。
人材にかける投資です。採用、訓練、教育等、「ピカいち」の人材を育てることに邁進しました。サービス品質は誇れるものとなり、有り難いことに同一サービスにプレミアムを支払っていただくまでになりました。サービス会社ですから、自社の企画に基づく「プロダクトアウト」的商品をそんなに沢山販売できませんので、「マーケットイン」的な企画力、提案力を磨かざるを得ませんでした。
その結果、業界最強の企画営業部隊を造れました。しかも、体育会的ではなく、むしろこの真逆で、自由奔放に好きなことに取り組む高いモラールを維持していた営業部隊でした。彼らが、現在もいろいろな分野で大いに活躍しているのが今でも私の誇りです。
経営者を退くまでの約18年かけて、普通の、若しくは、普通以下の会社を、この分野での実質リーダー企業に育て上げることが出来ました。
上記に述べた作戦展開と、別の項で述べる「農耕型企業風土づくり」で中・長期的成長を図る私の経営の「公式」に沿い経営したことが、中小の会社を大きく発展させる一端になったものと考えています。ご参考になれば幸いです。
本年1年間、アクセス件数を稼ぐために媚を売ることをせず、ひたすらビジネスマン、起業をされる方々に真摯に経営のヒントをお伝えすることを念頭にして、コラムを書いてきました。お読みいただき本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
普通の中小の会社の競争作戦(1)
そろそろ2014年最後のコラムとなります。これを2回に分けてお送りします。
私が、経営を委託されていた会社を約20年間かけて実質的に業界のNo.1にまで育て上げることができ、た競争作戦の一部を今回紹介します。ごく普通の会社であっても、業界のリーダーになれることの一例を作戦面から示すことで、これから起業される方々、現在置かれているポジションから更に飛躍して業界のリーダーになろうとしている経営者に、ある意味のヒントを呈示したい思いからです。
普通の零細中小企業の特徴
私が経営を任された会社の特徴は、以下の通りでした:
・普通の小規模の会社でした。
・社員の質もこのレベルの会社では一般的に見られるような、普通のレベルでした。
・商品も特別競合他社と差異化を図れる商品ラインはありませんでした。
・この業界には大手通信系の子会社が、長年一番として君臨していました。
・大手通信系の子会社が持つ親会社のような固定的な顧客はほとんどいない状態でした。
・資金は極端に欠乏し毎月の手形の決済が危うく、手形の所持人とのハードな交渉の舵取り次第で、いつ不渡りを出し倒産してもおかしくない状態でした。
すなわち、総じていえば、何処にでもある普通の会社、あるいはそれ以下の瀕死の状態の会社でした。この会社が十数年後に実質業界のリーダーになるために打ち出した作戦の一部は、『これからの課長の仕事』、『これからの社長の仕事』、『礼節と誠実は最高のリーダーシップです。』(いずれも拙著作)に紹介しましたが、今回は、表題のタイトルのテーマとの関連の部分にのみスポットを当てて、普通の中小の会社の取るべき競争作戦の事実を紹介します。
1.大きなリスクを回避する
会社自体が倒産しそうでしたから、いきなり大きな賭けをすることが出来ませんでした。
次月の社員給与の支払いに窮している状態でしたから、大金を使うような新規事業は全くできませんでした。会社がある程度軌道に乗るまで、初期の頃はとにかくリスクを回避した事業作戦の展開に知恵を絞り、リスクを回避しながら活路を探すことに注力しました。
知恵に窮して、一か八かの賭け的な事業リスク展開で活路を見いだそうとして失敗した事業者を、私の周辺に見ることがあるのが残念です。もう少し、やせ我慢が大切だよと、教えてやりたい気持ちになることがしばしばあります。
2.固定費のかからない作戦に注力する
サービスのクオリティーを第一義としました。
これには、追加の大きな投資コストがかかりません。すでに採用している社員の固定費に追加コストとして研修費をかければ、可能な作戦でした。
大きなリスクを冒す心配は全くありませんでした。しかも、少ないながらも既存の顧客を維持し、出来ればファン化するためには、クオリティアップの策が不可欠な要素だと経営感覚として気づいていたからです。大金をかけて差異化を図る作戦があっても、当時は会社としての余裕が無く、最小の投資で最大の効果を上げる作戦を選択したのです。
3.顧客の信頼を得るための活動をする
顧客との直接接点を増やすことに専念しました。
変な価格競争に巻き込まれてしまうと、売上は上がるが利益が出ず、資金に余裕がなくなります。それよりも直接顧客に出向いて担当者にお会いし、親しくなったついでにあわよくば他の会社のご紹介を頂くことにしました。
後に、これを「顧客第一主義」と名付けましが、要は、直接顧客のロイヤルティーを獲得する作戦です。評判とは怖いもので、信頼を頂いたクライアントから紹介いただいた顧客はこれまた良い顧客で、結果として顧客の好循環が出来ることになりました。真摯に顧客の意見を聞き、それに誠実に応えていった賜物です。
4.NO.1企業とケンカをしない
No.1の企業とは、一緒に音頭を取って業界の団体を作る努力をするなど、なるべく、直接ケンカをすることを回避しました。No.1になっているからには、それなりにノウハウが溜まっているので、やみくもに戦争を仕掛ける愚は犯しませんでした。
No.1の会社の社長は人物でした。業界の正常な発展を目指す大義に共感いただき、業界の団体づくりには多大なご協力を頂きました。新米物の私など競争相手として彼の眼中になかったかもしれませんが、いずれにしろ、私からNo.1のこの会社に大きな戦争を仕掛けることは意識的に控えていました。
会社の内部的には、いつかこの会社に勝つことを宣言していましたが、外での大きなケンカはなるべく避けました。他の通信会社からの注文や、この会社の親会社からおこぼれ的な注文を頂戴しながら、少しずつ商売のテリトリーを拡げていきました。No.1との戦いも当面小規模を旨として、当方のエネルギーの消耗を最小にする作戦を展開したのです。また、No.1の会社の親会社が全国展開をするある企画では、当然そのNo.1の会社が商売の大部分を受注していくのですが、我々も彼らと同一基盤の上で、ある程度の商売をさせてもらい、利益を享受しました。協力をする姿勢で、決してケンカを売る姿勢は取りませんでした。
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