


折々の言葉
忠誠心と企業の業績
2014年4月21日の日本経済新聞の「経済教室」欄で京都大学の若林直樹教授が「忠誠心と業績向上」の関連について述べられていました。
このような欄での説明なので、内容が自説の主張と言うよりどうしても教条的、多面的になるのは否めませんが、先生は結論として、「忠誠心と業績向上」の点を以下の三つの点から見る必要があると整理されています。
1.仕事が面白くてやりがいがあると感じると内面的なやる気が高まり、業績が上がる。
2.職務規定の役割以上のことをして積極的に他の人を援助する利他的行動が、会社の組織活動を向上させる。
3.帰属意識とその効果は国により異なる。東南アジアに見られるタテ型家父長的意識モデルはヨコ型の個人主義的な意識モデルと異なる。
また、社員の雇用形態や働き方の意識の多様化が現実的になってくるのに伴い、社員の多様な期待に合わせた形で動機づけをするいろいろな工夫の必要性と、日本的なチームワークの方法を海外移転するには、現地に即した形で考慮すべき点があることを課題としてあげられていました。
基本的にはこの通りだと思います。
私は、特に日本での経営にあたっては「農耕型企業風土づくり」の「定石」を踏まえた経営の必要性を主張(『これからの課長の仕事』および『これからの社長の仕事』)しています。それは、先生が整理された上記1~3の点を、まさに反映した経営手法です。
わくわく元気に仕事が出来る環境を整え、社員のやる気を高める、チームの中で他の人を助け合う関係性から組織を活性化することを、経営上非常に重要視しています。何故ならば、日本人が古来より得意とする要素を経営の中に取り込む方が、企業の業績には良い効果をもたらすと考えるからです。
人間集団の営みは、その土地や国の風土、慣習、宗教、思想などを上手く反映して初めて円滑に行われます。特定の目的の実現を目指す会社という経営体も、人間を抜きにしては成り立ちません。だとすると、そこに参集する人間の育った風土、宗教、ものの考え方などの背景を反映させた経営方法が集団の摩擦が一番少なく、理にかなっていると考えるのも、ごく自然です。
仮に、経営体の日常の運営が日本人を中心に組成されているとしたら、私の主張する「フォーミュラ」にのっとり、「定石」を踏み、良いチームワークの中で社員のモチベーションを高めることを通じて個人の成長を促し、結果として会社の中・長期的成長を実現する経営が今求められていると、私は強く主張しています。
海外で展開する場合には、「農耕型企業風土づくり」を通じた具体的マネジメント方法を現地の環境、宗教、思想などに合致させる修正を加えれば済むだけで、経営モデル全体の「フォーミュラ」や「定石」は不変なものです。構成員たる社員を中心に置き、その土地や国に合致した方法で、彼らのやる気をどう出すかに最大限留意した「人間臭い経営」のやり方が、海外でも受け入れられると考えます。
サクラ
今の季節、関東地方では満開の桜の花が咲き終わった頃です。
桜の花の散る姿も風情と趣を感じるのは私だけでしょうか。散った花弁が、庭の苔の上に落ちる。苔の緑色と対照的なピンクの花弁が何とも言えず映える。踏み石の上に数片の花弁が張り付くごとく頑張っているのを見るのもいじらしい。馬酔木の木の緑の葉の上には、土面にいきなり落ちないで頑張っている花弁もあります。
また、面白いのは、風が強い日など、落ちた沢山の花弁が造る集合模様です。特定のたまりに集合、また、違う風に流されて、たまりの場所と形状に変化をきたす。風情を味わえます。庭においてある水瓶の水面で、漣に揺れる桜の花弁も奥ゆかしい。
それまで頑張り我々をたくさん楽しませてくれましたが、最後は色あせ乾ききって、知らぬ間にどこかに消えていくこれらの桜の花びら。
毎年街中に残るこの桜の場面。幸いなことに、我が家でも年一回必ず訪れてくれる風物詩の一つです。
しかし、これが山の中に行くと全く違うのが面白いです。街中で咲き終わった頃に富士山の裾野に行くと、違う咲き方をしているのです。それまでは気づかなかった山の中の沢山の白い色。山の端に見える桜並木です。植えた吉野桜と違う、天然の山桜。色は若干白く、冬から覚めた木々の若芽と一緒にバランス良く咲き始め、山が白くも、少し赤くも映ります。
また、花より団子。八重桜の葉を塩づけして桜餅として食べる時の、桜の葉の感触と香りも、これまた趣があります。
様々な思いを抱かせるこの桜。桜自身はただ一生懸命咲いて散っていくだけなのに、桜がいろいろなことを感じさせる。否、感じる我々日本人の鋭い感性に、我ながら感心します。梅もそうですが、古来、桜が生活の中に登場する場面は、我々がこうありたいと思う何かを、桜の態様に似せて表現したいということなのかもしれません。
この桜の季節が終わる頃になると、芽吹く新芽の朱色にどことなく新しいページを感じます。
期待と不安の入り混じった、複雑な気持ちを抱かせます。何かにチャレンジしたい思い、しかし、少し不安。私にもこの時期撮ってもらった昔の写真があります。桜を背景としてランドセルを背にした小学生の写真。楽しそうで、また、不安そうな顔をしています。
この時期、学校では新入生が登場。ビジネスの世界では新人が入社。ビジネスマンが心機一転何か新しいことをやりたいと行動に移すのが大体この時期と重なるのも、何か不思議な縁がありそうです。欧米にならって9月入学の新しい制度を導入する大学では、このような風情が全く消えてしまう。
西行ならずとも、桜や木々が新芽への移りゆく姿から、何か心の中での変化、特に、今の季節に「わくわく」感じるこの心の高ぶりを楽しめなくなるのが残念至極。その国の自然や風土の中で根づいたいろいろな制度も、時の流れの中で変化してしまうのでしょうか。
閑話休題
東洋思想家の境野勝悟氏が、あるテレビ番組で道元について語っている中で、以下の唄を自ら唄われる場面を拝見しました。心が洗われる感じがしたことを思い起こします。
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬、雪さえて 涼しかりけり
自分で謡のごとく節をつけて唄うと、今でも心が穏やかになります。今の季節がら、特に、「春は花」の部分の響きが何とも言えません。
ご興味のある方は、お試しください。
発想を変えさせる指示・質問の仕方
誰もが皆、発想を豊かにしたいと思っているはずです。そのためには、当然のことながら、まずもって自分自身の力が必要です。同時に、他の人の発想を豊かにする支援もあることを忘れないでください。部下を持つ身の上司たるもの、部下の発想を豊かにするために出来ることもあります。指示・質問を工夫することで、彼らの発想に変化がでるよう支援できます。部下の創造性をくすぐることです。
1.「考えさせる」ような指示・質問を出す
「この余裕のあるオフィススペースの有効活用を考えてくれない?」と質問。
質問する自分にはある考えがあります。しかし、これを具体的に言わないで、「・・・をしたい」のだがと、質問を投げかける。部下が自ら自分の壁を破ってその内容に挑戦するよう仕向ける方法です。
会社全体では、余裕のスペースを家主に返却するのが最善の方法かもしれない。しかし、これを有効活用することに自らの知恵を働かせ考えをめぐらせていく方が、全体としては遥かに前向きかもしれません。最善と思っていた一般的な方法を超えることを考える機会をつくる。最善に思えるかもしれない壁をいったん破り、この機会に彼らの発想を少しでも変えることにつながるかもしれないような指示・質問を出す工夫です。
2.「肯定的に考えるクセ」をつけさせるような質問をする
「俺が何回やっても上手くいかないんだ。君、良い方法を考えてくれる?」と質問する方法。上手くいかせるための前向きな方法を考えさせるように仕向ける方法です。上司がやっても上手くいかない、それを部下の自分が上手くいくような方法を考えるということに、皆奮い立ちます。上司を助ける名目で、物事を肯定的に観察させ、そこから前向きなアイディアを考えるクセをつけさせる、部下への練習になります。
3.ある程度の負荷をかける
「一週間で選挙の出口調査の最適体制を立ち上げてくれる?」と、短期間で選挙の出口調査の体制を立ち上げる指示です。通常では考えられない指示ですが、これを敢えてやる方法です。
全体計画、人員採用、投票所配置地図確認、ペンなどの調査道具の整備、調査結果の伝達方法、時間管理、危機管理などなど、全体が整合的に動くには相当の知恵が必要です。
これをだらだらやるわけにはいきません。事前に準備することも沢山ありますが、迫力感が無く何となく締まらない。しかし、選挙日程が正式に決定すると、即具体的な行動開始。多少負荷をかけることで、指示を受けた部下が新しい発想をする。短期間なるが故に、面白い発想が生まれる。
ある作家が「何となく良いアイディアは生まれない。一定のプレシャーをかけて初めてアイディアが生まれる」、という趣旨のことを書いていました。何事も一定の負荷をかけることが効果を増すことになります。
4.何か「違う解決法」を学ばせるための質問をする
私自身、意識して言葉を変えることにしています。これにより取り組み姿勢を変える工夫をするためです。その時の経験では、発想が積極的になりやすいことが分かりました。
言葉を変え姿勢を変化させる方法です。
この十数年、我々はデフレの言葉を聞き飽きてきました。この言葉から、積極的な発想が生まれそうには感じません。そこで、デフレの言葉を少し工夫する一例です。次の年に「賃金が上がる助走の時期」と言葉を変える。多少まやかし風に聞こえるかもしれませんが、言葉を変えることで、働く人の気持ちが少し変わることにつながるかもしれません。
何かの問題に直面した時、そこでとどまり悶々と悩むのでなく、解決に導く方法は必ず見つかるという発想のもとに、すでに刷り込まれているある種の印象を、言葉を通じて変えることで、違う解決法を学ぶ方法です。悩みだすとどうしても同じ解決法に行きやすいことを回避するためです。
5.いつもと「違うこと」に興味をもたせる
「テーブルや壁などを何色に変えたら気持ちよく働ける?一度考えてみてくれない。」と質問することで、彼らに考えさせる、コールセンターでの食堂の例です。
この場は、食事のためだけでなく、時に休憩のためにも使用します。ストレスのたまる仕事の息抜きの場ともなります。私は、空間や設備環境は仕事の効率と関係すると考えていました。その場のテーブルの色、壁の色等ストレスを軽減するために結構重要です。このような、色などに対する上司からの打診や指示は、彼らに日常的にはそう沢山きません。違うことに関した指示を出すことで、いつもと違う発想をさせることにつなげる方法です。効果の検証はしていませんが、それで違うことに興味を覚え、皆の発想に変化をきたすのではないかと考えています。
6.視点を変えさせる方法
「あと、10ブース増やしてくれる?」コールセンターの能力増強策での、指示というか質問でした。
全体のレイアウトが長年固定している中で、全く視点を変えて、全体のレイアウトに取り組ませる発想に導くためです。スペースの総枠を変えないで、更に10%増の10ブース(一般に言う仕事机)を追加する。これを実現するには、発想の視点を変えるしか方法はありません。縦に並んだものを、横や斜めに。更に、床と天井間の中間空間層を利用する斬新なデザインなど、視点を変える発想に導くことになり、柔軟な考え方が生まれる機会となります。視点を変え固定的な発想フレームを取り外すことになります。
このように意識して発想を豊かにする努力をしない限り、発想が固定してしまいます。特に、40代の方々でルーチンのジョブに精通し出した頃、ご留意ください。
日本国の今後についての私見
現実の客観視
あくまで私見です。私は日本が過去の幻想から一度覚める時期が来たと考えます。覚めて、現実的な策を打ち出すべきと思うからです。この考えにイデオロギー的背景は一切ありません。
平和国家であることが日本の存在価値を今後も高めていく、という通説的考え方の幻想です。皆、その根拠として現行の憲法と、安全保障上国家の緊急時には米国が助けてくれると解釈している日米安保条約の解釈ではないでしょうか。その根拠自体は、素晴らしいものだと私も思います。大きな異論はありません。しかしながら、時代の流れが変化している事実を客観的に見据えて日本国の今後を考えなければならない時かと思います。
すなわち、米国主導で作成された現行の日本国憲法も日米安保条約も、私がAFS留学生としてアメリカにいた頃感じたことが背景にあることを忘れてはいけません。アメリカを中心とする諸国と旧ソ連を中心とする諸国間の当時の冷戦が影響したもので、大義名分は別として、米国の真意と実態は、ソ連や中国が日本に上陸して占領するのを阻止することだったと私は思います。アメリカはその目的のために、日本をある種の従属国にして守ってきたのです。
しかしながら、現在のクリミア半島を舞台とする新たな冷戦は別として、アジア近辺での当時の冷戦が終了した現在、アメリカはごく単純に言えば、一部の国のことを除けば、アジアで日本を守る意味が薄れてきたはずです。日本自身が幻想から覚めて、一度現実的な策を策定する時ではないでしょうか。
憲法と安全保障
ここに至った背景は、列強国の植民地政策などよからぬ事情があったにせよ、過去に日本が近隣地区で戦争の引き金を引いたことは事実です。この戦争は、日本の国民というより、日本の軍隊の一部や天皇陛下を中心にやったことだとの理解が、アメリカの根底にあったと聞いています。このため、アメリカ主導で策定された憲法を日本独自で改正するには国会議員の3分の2の賛成がないとできなくした、あわせて日本が独立した後も裏で手引きをし、簡単に憲法が改正できないようにていたとの議論もあるほどです。
すなわち、表現やオウライドは別として、日本政府は骨抜きにされ、アメリカの傀儡として動くようにされていたというのが正当な理解だと思います。言論統制は当然として、戦後教育で、徹底して日本人を洗脳してきました。「戦争は悪である。だから、日本は二度と戦争をしない」と。言われることは、正しいことで、反論ができにくいようです。しかし、このような教育を受けてきた結果、日本人は、事情の変化を排除して、「すべての戦争は良くない。戦争のための軍隊を日本は持つべきではない」と、短絡的な結論を導きだし、周辺事情の変化とは関係なしに単純に骨の芯までこう思うようになってきました。片方で、実質軍隊の自衛隊に予算を使っているこの現実。
ところが、地政学的にみると、日本の隣国は一筋縄ではいかない国々ばかりです。体制自体、我々と同じ発想をする諸国ばかりではありません。むしろ、違う発想をしている国々が目立ちます。
さらに、アメリカは軍事予算を縮小しています。コストの肩代わりを探しています。世界の警察の標榜も、オバマ大統領は実質おろしています。片や、中国は軍事力を明らかに強化して、南シナ海の領土拡張や進出に軍事力を背景として介入をしてきています。軍事力の差が縮小しているこの事実に、アメリカの本音は違うのではないかと思えます。軍事力の差については、日米安保条約を締結している日本と組めれば差を拡げられる。日本は依然として平和国家を標榜して、いざという時に日本が役立たずで、アメリカとともに戦ってくれないと危惧しているとの見方もあるほどです。
もともとアメリカ主導で作った憲法ではありますが、時代の変化に対して日本が安全保障政策を変更しない限り、アメリカの国家的利害上、課題ありと考えているのではないでしょうか。これが国際政治の冷徹な計算の結果だと思います。アメリカの口車にすんなりと乗る必要性はありませんが、過去の経緯はどこへやら、裏では日本に軍事力を持つことを思い続けているのは、皮肉なことに実はアメリカではないかと考えます。逆に、日本の国民は、時代背景の変化に追い付いていない。幻想のままに安逸になんとかなると暮らしているのではないでしょうか。
一部の日本の財界人などからも「アメリカは今後も絶対日本を守ってくれる。憲法を改正して軍事力をもつなど持ってのほかだ」との議論を聞くことがあります。本当にこの通りでしょうか。東南アジアで事業展開を真剣にしている経営者なら、近隣の諸国が軍事力や政治力を背景として有利な事業展開を後押ししているのを切歯扼腕みています。軍事力を持たない、憲法は変えない、アメリカが守ってくれるという絵空事のみでは、国際政治の世界のみならず、経済面でも日本の存在価値が問われていることに一部の財界人が気づいていないか、気づいていても、遠慮して大きな声で言っていないのが残念です。
二元論からの脱却
この解決に、二元論では無理かと思います。グレーのエリアが世の中のほとんどを占めていることを認識する必要があります。裏表でなく中間に置く考え方をしては如何でしょう。憲法や安全保障に関するこれまでのスタンスと状況を尊重しつつも、周辺状況や当時の環境の劇的変化を反映した新しい考え方も取り入れる国民的議論を早期に展開していくことが肝要かと思います。
そこで印象に残った言葉があります。P.ドラッカーが「意見の対立がある場合、どの意見が正しいかを考えてはならない。何が正しい意見かと考えてもならない。いずれも正しいと考えるべきである。同じ事柄のそれぞれに異なった面を見ているに過ぎない。」という内容のことを述べていたことを思い出しました。
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