園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

折々の言葉

嬉しいことが沢山ありますか?(2)

Posted on 2013-02-21

嬉しいことシリーズの続きです。

嬉しいこと(3)-考え方の具体化

 アドバイスをしているある会社の役員である岩田俊行さん、遠藤紀妃子さんが2012年春頃の会議で人事考課の基本的な考え方を描いた絵をだしたのを見た時、小さいことですが大変嬉しい気持ちでした。

 顧客にサービスを提供するにあたり、各社員はその年度の目標を持ちそれぞれの社員がいろいろな機能実行に関係し、評価を受けます。「人事考課は単に数字がどうのこうのを超えたものが関係します」と、顧客重視の姿勢の趣旨を絵に描いて紹介されたのです。

 顧客の要望や満足をさらに増大させるためにどうするかが基本的に問われるもので、サービス提供の導線の中で、社員が自己のスキルを磨きながら顧客に向いてどう仕事をするかを評価で重視すべきであると、私は考えています。これを先述の二人が人事考課に上手く関係させてくれたのです。

 社員にとって評価ほど関心が高いことはありません。その会社の桑原知之社長が日常強く説いていることを人事考課に反映させることで会社を変化させる有効な武器とする大きなステップを踏み出したことが大変嬉しく思いました。

嬉しいこと(4)–きずな

 また、フェイスブックでも紹介しましたが、2012年春にも自分自身にとって嬉しいことがありました。私が久しぶりにあるゴルフ場に行ったら、たまたま組み合わせで同伴になったパートナーから「園山さん、本を読みました。」と、私が書いた『これからの社長の仕事』のことを突然話題に出されたのです。

 私のことをほとんど知らない方と私は勝手に思っていただけに、その方が私の本を通じてこんなにも「つながっている」ことを知って本当にうれしかったのです。

 本の威力です。

 さらに、つづけて嬉しかったのは、この内容をフェイスブックに載せたところ、中島大希くんから書き込みがありました。「(園山さんが)コミュニケーションの世界を広めたかもしれませんね。今、『農耕型企業風土』づくりのロードマップのところを読んでいます。」と、ありました。

 彼が『これからの社長の仕事』を読んで勉強してくれていたことと、彼のように勉強熱心な若手の経営者を指導する材料を提供できたことで更に嬉しくなってきました。

嬉しいこと(5)―株式上場廃止の最後の株主総会

 今でも忘れられない2004年の株主総会後のシーンです。会社がファンドを主体の株主構成となり株式の上場を廃止することが決定をしました。

 法の定める手順に従って既存株主から株式の買取をすすめていましたが、栃木県にお住まいのある個人株主の方が最後まで買取請求に反対されていました。会社の担当が交渉に何度も行ったのですが、「この会社が好きだ。なんで上場を廃止するのだ。株式を持ち続けたい。」の一点張り。

 この株主は毎回株主総会にご出席の下さり、建設的な質問をされる方でした。本当に会社のファンの一人だったと思っています。紆余曲折あった末最後には、買取請求に応諾されました。

 最後の株主総会で、その個人株主の方がこれまでの私の経営を高く評価する発言をされたのを記憶していますが、なんと株主総会が終了した後、私に駆け寄り、「これをどうぞ。これまでありがとうございました。」と、お菓子のお土産を私に手渡されたのです。

 涙が出るほど嬉しかったのを記憶しています。経営者冥利に尽きる瞬間でした。

 

嬉しいことが沢山ありますか?(1)

Posted on 2013-02-14

嬉しいこと(1)-勉強会

「わくわく元気会」の三つの部会が2012年3月頃から動き出し、盛んに議論が進んでいるのも個人的に嬉しい限りです。

松下信武氏の「コーチング品質保証コミュニテイー」と金丸徳久氏の「“こころ”応援コミュニテイー」、さらに、中島大希氏の「経営者育成部会(園山塾)」です。業種や経歴が全く違う方々がこの勉強会に参加され違う視点での見方を披瀝されるのは刺激的です。

いずれの部会も私の主張する「農耕型企業風土」づくりを通じて会社の中・長期的成長を遂げる為に、人間臭い経営をどう推進していくかや組織の中での人間の心の部分にタッチする勉強会です。

違う専門の立場からの意見交換を通じて、半年後、1年後に「わくわく元気会」から何か新しいものが出来あがる予感がします。嬉しい限りです。

嬉しい記憶(2)-店頭公開直後の「祝う会」

①2012年春、私が二冊の本をネットスクール出版から出版した後、東京と大阪において「出版を祝う会」を有志が主催・開催してくれました。こんなにも沢山の方々が参集してくれ感謝感激です。皆が集まれる「場」を用意出来たことも嬉しい限りです。

②また、1987年にある会社の経営を引き受けてからいろいろな苦難を乗り越えて、1994年に店頭公開(当時は、この制度がありました)にこぎつけた時は、別な意味の「祝う会」で感無量だった記憶があります。

実は、それ以前、社員に、店頭公開に至るまでの苦労のことは一切明示的に話していませんでした。なぜなら、これから成長する若者に経営者の過去の苦労話、金銭や手形ジャンプ等の折衝や裁判に関わる心理的プレッシャーなどを話しても余り意味がないと日頃から思っていたからです。それよりも、もっと前向きな話をした方が、彼らには有益な財産になると思っていました。

店頭公開した直後の事業計画発表会(上半期)。私の自筆の原稿骨子案を見た当時の役員の一人から、「少し、過去の苦労話を入れていただいたほうが良いのではないでしょうか?」との依頼を受けた時に、しばらくどうするか悩みました。

それではと、ほんの一行だけ入れました。

「当社は、本日店頭公開を祝えるほどになりましたが、この会社には、過去苦難の道のりがありました。これを多数の方々の協力と並々ならぬ努力で解決・克服して今日があることを、皆様忘れないで頂きたい」と。

今でも明確に覚えています。公式に、社員の前で過去の苦労を披歴したのは、この時が初めてで最後でした。

この時、過去の苦難を思い起こすと同時に、次の世代の若者にはこんな後ろ向きな仕事はさせまいとの思いで、自分でも涙が出そうになり、声が詰まったのを覚えています。

私の講話が終了して席に戻った時、CSKの創業者、故大川功会長が、「園山、大変だったなぁ!!」と声をかけてくれましたが、経営者として私の気持ちを一番良く分かってくれたのが嬉しいかぎりでした。

③この事業計画発表会直後の二次会のことも記念すべきことでした。

お客様への挨拶回り、次の期の事業計画の戦略策定と、時間がいくらあっても足りない状態でした。やっと、「六つの約束」として公約した店頭公開を約束して6年後に達成できたのです。疲労困憊するとは、このことかと思うほど本当に疲れ切った状態でした。

その最中での「祝う会」で、連獅子の舞いを踊ることになりました。どこかの有名なテレビ局から借りてきた大変豪華で貴重な衣装でした。

忙しい中ですので、一、二回簡単な練習をしたのみで、私はいきなり本番。齋藤和男君が赤獅子、私が白獅子を演ずるもので、二人で首を何回も回す例のしぐさをすると拍手喝さいですが、私はふらつくほどでした。当時の写真を見ると明らかに疲労困憊の様子が分かりますが、それでも社員を鼓舞すべく踊りました。

連獅子踊りの最後に社員が私を騎馬戦よろしく肩車し、直後に私が上から飛び降りて締めるのですが、ドライアイスの煙幕で下が見えません。舞台の台座から外れた場所におちる羽目になるほどの危険を伴いましたが、すんでのところで新入社員が何とか支えてくれ危険に逢わなかったことを、思い起こします。

本当に嬉しい思いをしました。

 

自分の「心」をどう整備していますか?

Posted on 2013-02-07

 2012年1月、NHKラジオであるアナウンサーが、元大阪大学学長で現大谷大学学長の草野顕之氏にインタビューをしていたのを車の中で聞いた記憶があります。その中でアナウンサーは、司馬遼太郎氏が言っているという「40周年説」を話題にしていました。

 明治維新(1868)から40年で日露戦争(1904)が起き、さらに第二次世界大戦(終戦)(1945)、高度成長期(1990)、そして今が衰退期で右肩下がりの時代であるという司馬遼太郎氏の主張を紹介し、「右肩下がりの時代は親より良い時代ともかぎらないですね」とコメントしていました。

何かが満たされない今

 それに対して草野学長は次のような内容で応えていました。

 「今の時代と私の時代の大きな違いは、私の時代は全てが親を超える事ができました。給料、部屋、自動車などあらゆるものが、前の時代より良くなりました。私の時代は親兄弟が皆同じ屋根で一人部屋が欲しかった。今これが実現してどうなったのでしょうか?」

 「今回の東日本大震災で分かった如く、それぞれが分離されていることより、逆に、皆が何らかのまとまりや絆を欲している時代になりました。満たされた後の心の部分に何か欲しいものがあるのです」と。

 今の時代、人間の本質的部分が満たされていないのだと思うのです。短期的には景気の回復期があるとしても、長いスパンで考えると景気変動的には、日本がある意味で衰退期にあるのではないかと思うのです。

 悲しいことですが、これが今の時代の現実ではないでしょうか?こういう時代ですから余計に人の心が荒れることがあると思います。人間である以上、悩み事から心が乱れることが誰にでもあります。私もあります。これはある意味で人間が生きている証拠かもしれません。この心の乱れを整備するのは簡単ではありませんが、私がしていることが多少のヒントになるかもしれません。

心の乱れの整備のために

 第一に、心が想定以上に暴れる時も皆にあります。何か自分にとって想定以上に嫌なことがあった時、程度の差こそあれ皆心が暴れるものです。私の隣人の住民も、年に数回心が暴れ周辺に暴言を発します。

 そのような時は、周囲も本人も無駄に抵抗をしないことです。時間が解決することがほとんどだからです。少し早く鎮めるために、まず自分の置かれた環境を変えてみるのも方法です。

 私は花が好きなので、ホームセンターで時間を過ごし気分転換のため遊歩道を散歩します。読書のため机に向かいます。女性など美味しい食事を摂るために外出するなども方法かもしれません。

 問題は、この環境変更も意識的にしないとできにくいことですので、日頃から自分のオプション範囲を見つけておくことです。

 第二に、本人がnegativeからpositiveな自分に変える工夫をすることです。このような状態では、「なぜ、自分はこんなに駄目なのだろう・・・」と自分を追いやるnegativeな発想の方向に走りやすいので、周辺から本人が自己否定から入らないようにサポートすることです。

 私の周辺にも自分を追い込むタイプの人がいます。そのような人にアドバイスするには、本人が聞き入れてくれるような人間関係を普段から作っていることが前提です。私の言う「湿り気のある関係」づくりです。

 「こんな厳しい状態だがこれを奇貨として、逆にどう発想・活用したらよいのだろう?」と自分自身にpositiveな質問を投げかけることをアドバイスしてはいかがでしょうか。positiveな質問を投げ続けるのです。

 人間の脳はよくできたもので、質問に忠実に応えようとするメカニズムを脳の働きとして持っていることを学びました。したがって、友人か本人が投げかける質問の性質が重要なのです。

 自分自身でもこのことが実感として良くわかります。過去逆境にあったとき、「これ以上マイナスになることはない。どうやったら会社を上場できるのだろうか?」と、海のものとも山のものともわからない会社の状態でも常にpositiveに考え続けて、実現に質問を投げ続けて上場までこぎつけました。

 第三に、「相手はあなたの鏡である」という本人自身の認識です。多少高度な努力と我慢が必要となります。

 私の体験でも、良くできる営業マンほど、顧客の好き嫌いを口にしません。特定の顧客が嫌いと思う気持ちがあると、相手にそのことが伝わるからではないでしょうか。相手があなたの鏡で、あなたが嫌いと思うとそのことが言葉に発しなくとも相手に伝わるからです。

 したがって、好き嫌いの発想をなるべく排除して、行動にあたっても好き嫌いからでなく仕事の遂行という立場に戻って考えているかがポイントになります。特に、経営者にとってはこの行動のための努力と我慢の連続です。

 第四に、どこでも言われることですが、毎日感謝をする気持ちを持つことを植え付けることです。悩みが多いと誰でも溜息が多くなります。

 そこで「ああ今日もよかった」、「今日一日社員が頑張ってくれてよかった」と、感謝の気持ちをストロークで投げかけるか、その気持ちをあらわすことです。

 感謝の中にしか本当の癒しはないのではないかと思うからです。感謝して自分のプライドが傷つくわけではなく、むしろ、自分の心が温かくなるはずです。自分自身の生き方につながります。

 

それぞれの国にそれぞれの企業風土や企業文化があることを前提に施策を練っていますか?

Posted on 2013-01-31

国による文化(風土)の違いの認識

 2012年2月、著名な指揮者、沼尻典竜氏の演奏会が三鷹でありました。演奏会後のパーテイーで沼尻氏と奥泉光氏(1994年、第110回芥川賞受賞者)との対談があり、その中で沼尻氏からこんな面白い話が出ました。

 「ヨーロッパでは『ラ』のピッチが日本やアメリカより高いのです。だから、最初は音を合わせるのが大変ですが、そこはプロで、すぐ合わせてくれます。」と。音楽の世界ではありますが、国によってこんな文化の違いが現実にあることを、沼尻氏から教わりました。

 また、フランスとドイツではチェロの弦の持ち方が違う(上から押さえるか、下から持ち上げるか)ということも聞いた記憶がありますが、この部分の真実は未確認です。

二次元と三次元

 2012年春、私が主催する「わくわく元気会」傘下のコーチング品質保証コミュニテイー(松下信武氏主催)でも、文化や表現の違いに関する面白い議論がありました。

 「農耕型企業風土」づくりで会社を中・長期的に成長させる方式を分かりやすくするために、『これからの社長の仕事』(ネットスクール出版)の巻末に私が書いた大木のイラストを記載しています。

 このイラストは二次元なのです。

 私としては「成長の流れをもっとリアルに表現するために三次元風にしたかった」と述べたところ、部会の参加者2名(佐々木研一氏、広川正人氏)からは違う意見が出て驚きました。

 お二人とも建築設計や車の設計などの業務に直接・間接携わった経験をお持ちの方で、建築物や車の二次元図を三次元にしてプレゼンテーションされた経験がおありのようです。「日本人には二次元が合っています、浮世絵なども二次元で表現されていますし、日本人はこれらを見慣れています、逆に、イタリア人は、3次元で表現するのが凄く得意で、特に車など二次元の図面を三次元のモデルへ展開するのは、非常に得意です。」と。

 日本人とイタリア人には明確に表現の差があるということを指摘頂きました。

「農耕型企業風土」づくりの経営

 それぞれの国で表現方法の差、文化や風土背景の差が歴然としてあることを事実として認識し、この差を経営の展開の仕方でも活かしていかなければならないのではないでしょうか。

 特に日本では日本の文化や風土に適した経営、「湿り気のある人間関係」を大切にしながら個性を活かしつつチーム力を強化する「農耕型企業風土」づくり(『これからの社長の仕事』に詳述)が大切であるとの私の主張に意を強くした次第で、これを主題としてこのビジネスコラムを書き続けています。

 

実のある戦略を樹てていますか?(2)

Posted on 2013-01-24

経営戦略の策定に当たっての留意点で、前回のつづきです。

4.マーケットの総論を煌びやかに表現しない

 一般的なマーケットの流れを記述しているのみで、自社にとっての重大な課題には取り組んでいない戦略も危険です。つまり総論の披瀝のみです。

 しかもどこの評論家も指摘している客観的な事実情報を、さも大事の事実として指摘するもので、それと自社の事業が具体的にどうリンクして自社がどう影響を受けるのかの一番重要な接点部分にほとんど触れられていないことが多いのです。

 したがって、このような戦略は本質的なことが本当にわかっている人には、「それでどうなの?」「それで当社にとってどんな特色あるビジネスモデルになるの?」との指摘を受けるのは日の目を見るより明らかです。

5.寄木集め的なものにしない

 さらに、およそ戦略という代物とは似て非なるものもあります。おそらく、戦略策定者の主体的な意思が明確でないか、全体構造が描けなかった帰結としてこうなるのかもしれません。

 各部門からの計画を、表現を少し変えて網羅している状態で、部門計画の寄せ集めの「平面的寄木細工」です。部門の業績目標が名前を変えて戦略目標としてなりすますことが多くなり、会社として全く不幸なことになります。

 どの策をどういう順序でどう講じると会社としての成長・発展に早く近づけるのかの道標ルートとつなぎが全くありません。全体構造に基づく戦略道標のルートを選択できるオプションも反映されていないのです。

6.専門用語で煙に巻かない

 専門用語や業界用語を多用しているものを見受けます。内実を伴わないことが多いのに、立派に見せるためにドレスアップする方法です。一般の人が普段触れることが少ない用語で「煙に巻く」ものです。

 私も何回もこのことを経験しました。

 その時には、「立派なことを報告する人だな。」となんとなく思うこともあったのですが、じっくり考えてみると、その報告者はあまり本質的なことを言っているわけではなく、専門用語を散りばめて内容のないところをカモフラージュしているのみだと気づきました。

 そのようなエセ戦略家が会社の経営ポジションにいるとしたら、その会社の社員にとっては非常に不幸なことなのに、皆それに気づいていないかもしれません。

 経営者の立場で私はそのことに気づいていました。

 「難しいことを丁寧な言葉でわかりやすく説明するのが、本当のプロです」と、事あるごとに報告者を戒めていました。子供に分かりやすく説明する時には、本質的なことを相当詳しく知っていないことには理解されないのとほぼ同じことです。