園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

戦略

第255回 戦略の策定の大前提—環境認識(9)

Posted on 2017-09-21

前回からの続きです。

 

5) 政府は国民に正しい事実を伝えないこともあるという認識が不可欠です

 政府の言うことを真に受けて、そのまま戦略策定の環境分析に入れると大変な事にもなりうるという認識が、時には必要ではないでしょうか。

 もちろん先のことは私にも分かりません。しかし、どう考えても政府の公約する施策には実現性が乏しそうだというものもあるはずです。

 にも拘わらず、国民や事業経営者が政府の言うことを真に受けて騙される場合もありうる。中・長期的に大きな戦略を考える場合には、このリスクの認識も不可欠です。

 例えば、国の財政とその処理に対する認識です。

 政府が今推し進めている施策でデフレを脱却し緩やかなインフレと日本経済の成長が、本当に実現できるのでしょうか。その実現を前提にした戦略を立てて本当に大丈夫でしょうか。

 

a) 借金大国で、国の財政破たんが現実となる?

 日本の財政は、異次元量的緩和策とマイナス金利政策により悪化の一途を辿っていると、私は思います。

 最近、黒田日銀総裁が、2013年4月に約束した「2年でインフレ率2%」達成時期を、本年7月に6度目の延期修正をして、今や2019年ごろにターゲットをずらしました。

 全く異常です。施策が誤っているとしか思えません。ビジネスの世界で社長が一番の公約を6度も修正できるでしょうか。とっくに株主からその施策に「No!」が出て社長職は解任です。

 「アベノミクス」の一環の異次元緩和で、日銀は国債を年間80兆円購入し続けていると言われています。

 話を簡略化すると、2015年度末時点での国債総額は1000兆円。2016年7月時点で既に400兆円日銀が保有しているとのことですので、残りは600兆円しかありません。年間80兆円くらい買い入れし続けるとすると、新たな国債を発行しない限り10年弱で日銀が買う国債がなくなってしまいます。異次元緩和の供給源が途絶えてしまう計算になります。したがって、彼の言う方法では物価の上昇、ゆるやかなインフレは厳しいことになります。しかも、この国債は明らかに国の借金です。これを誰がどうやって返済できるのでしょうか。

 財政は厳しいと見ます。国債を簡単に返済できません。誇張でなく財政再建計画が完全に崩壊してしまうのではないでしょうか。以前、他の項で取り上げましたが、日本は世界一の借金大国です。大雑把に言えば、既にGDPの200%の借金を抱えている国です。

 この状態で財政再建目標が明示されました。

 「骨太方針2015」です。プライマリーバランス(借金からの収入やその金利負担などを除いた基礎的財政収支のバランス)を2018年度の赤字幅をGDP比1%程度として、2020年度までに黒字化を目指すというものです。しかし、2017年4月の予定されていた消費税の増税も2019年10月に延期されました。今後景気がどうなるかわかりません。2019年夏の参議院選挙の影響もわかりません。こんな状態では、誰が見ても再建どころか赤字幅が膨らむのではないかと言われるほどです。

 支出面からみても、2020年から25年度頃に団塊の世代が75才以上となり医療・介護費も急増します。2015年度には医療・介護費が約50兆円だったのが、2025年度には75兆円に膨らむと予想している識者もいるほどです。

 こうなると、基礎的財政収支のバランスは赤字幅が拡大する要因に抜本的に手を打たない限り、日本の財政破たんは現実のものとなります。

 

b) 財政再建のために政府はどういう手段を講じるのだろうか

 理論的に、財政を立て直すには、収入の増と支出の削減しかありません。経済成長、増税、歳出削減です。

i) これまでの議論の通り、人口の減少などで経済成長は望めません。2016年1~3月の実質GDP成長率は年率換算で7%。人口減、生産性低迷で2040年以降成長率は0%前後で横ばいになるとの識者の計算もあるほどです。

ii) 増税もそう簡単ではありません。2017年4月の消費税率の引き上げですら政治力学で延期されてしまいました。

iii) 公務員の削減などでの歳出の削減も抵抗されます。ギリシャほどではないにしても公務員天国の素地を持っている国です。

 思い起こせば、終戦直後の日本も莫大な借金を抱えていました。朝鮮戦争の勃発で好景気となり一時的には税収が得られましたが、焼け石に水。預金封鎖や財産税も導入しましたが効果が上がらずじまいでした。

 結局、激しいインフレで政府は難を逃れたのです。「インフレ」にして半強制的に所得の移転をはかり、政府が難を逃れる策でした。個人的には私の家族も国から強制的に所得の移転を図られたとの家族の会話がうろ覚えに記憶に残っています。

 今後もこれが想定されるのではないかと危惧しています。これをやると、もちろん通貨としての円は崩壊します。しかし、国の借金を国民が返済したことになります。

 理論的には、上記のことが起こりそうなのに、政府は時々欺瞞に満ちたことを国民に言うので、注意しなければなりません。曰く、「国債のほとんどを日本国内で消化(日本の銀行が購入)しているので、借金があっても心配不要です」と。

 戦前も大量の国債を発行し、その時も政府は同様なことを言っていたとある本に書いてありました。しかし、結局政府の莫大な借金は、国民が上のように「インフレ税」の形で背負うことになったのです。国債が国内で消化できたとしても国民は安心ではなかった証左です。

 中・長期的な戦略立案にあたり、国の政策という環境の妥当性、実現の蓋然性も正確に分析しなければなりません。

 

 

第254回 戦略の策定の大前提—環境認識(8)

Posted on 2017-09-14

前回からの続きです。

4) 富の分配と貧富の格差が世界的に拡大するという認識が不可欠です

 

a) 富の偏在が世界的に拡大している

 国際貢献のための南スーダンへの自衛隊の派遣後、安保法制による「駆けつけ警護」撤退のタイミングが平和五原則に違反しているのではないか等と、散々国会で問われていました。どういう言葉を使おうが、私からするとこの地は明らかに戦争・戦闘状態であったと考えます。このようにアフリカでも、また、シリアなどの中東地域でも沢山の紛争が勃発しています。

 他の場所で述べた如く、この根源は経済問題、貧しいことにあると考えますが、現在富の偏在による格差が拡大しているのではないでしょうか。

 ピケティ氏が資本収益率と給与所得と関係する経済成長率の議論から出発する『21世紀の資本』によれば1700年から1820年まではあまり格差がなかったようです。19世紀の産業革命後、西欧各国が新しいマーケットと原材料を目指して、インド、東南アジアやアフリカで植民地政策を開始し、これが欧米に膨大な金や富という資産をもたらしたのは、学校で学んだ通りです。蓄積された資産が子に相続され、労働者には分配されず、貧富の格差が拡大し、20世紀の初頭のフランスでは、上位1%が6割の資産を所有していたと書かれています。

 その後20世紀に入り、西欧の植民地支配から脱した国々では、国民が建国に燃え、人口の増加と生産力の強化が図られました。その過程で国民は富の偏在に気づき、富の再配分を要求する中でいろいろな紛争や動乱が発生し既存の社会構造自体に変化をもたらしています。

 一握りに富裕層に金と権力が集中し、大多数の人々が貧乏な生活を強いられる。これで良いのかと国民が疑問を抱くのは当然のことです。

 イスラムの弱体化は植民地支配により富を奪われたことにある。だからイスラムの価値体系やイスラム世界の復興を目指すとの思想潮流の流れをくむイスラム各派の抵抗運動もこの一端と見るべきです。

 このような運動があっても現実には、富の偏在と格差、すなわち、資本収益と給与所得の差が拡大していることがピケティ氏によって明快に説明されています。我々庶民の実感もこの通りではないでしょうか。

 

b) 市場原理のルールを政治で一部変える選択もある 

 これに対して、所得格差や貧困は「市場原理」によって起きているから仕方ない、避けがたいとの見方があるのも事実です。しかし、これが是とされるのは、市場原理の前提条件が満足いくものである限りです。はたして、その前提条件が満たされているのでしょうか?

 我々は発達した文明社会の中で一定の「ルール」によって生きていることに誰も疑問がないはずです。ルールに基づいて取引が成立しマーケットが形成され円滑な経済活動をおこなっていますが、そのルールは最終的に国の政府が定めるものであるとすれば、時代により変更可能なものである筈です。

 誰か一方を利するルールで富の不平等や格差が生じているとすれば、このルールは中立的ではないことになります。また、人が作ったルールは普遍的でもないということに気づかなければなりません。必要なら民主主義のルールに従って、富の偏在や屋格差の拡大の根源となっているルール自体を修正しなければなりません。

 

c) どの層を戦略的に狙うのか? 

 日本も格差社会に直面しているように感じます。

 日本の一億総中流と言われる時代は既に終わったのではないでしょうか。

 アルバイトや非正規社員が現場の主流を占め、安定した雇用の下で仕事をできる人が少なくなってきています。本来この層が日本の中流階層を築いていましたが、これが今や内部崩壊しつつあります。この層が消費を支えていましたが、支える人が崩壊したのでは、経済の成長と物価の上昇等が理論的に無理な時代になってきていないでしょうか。

 しばらくは先代の遺産でなんとか生活できるとしても、人口オーナス期に突入する頃からそれも厳しくなり、市場原理を一部修正しない限り富の偏在と貧富の格差は修正できなくなるほどにならないかと危惧しています。

 この状況を、一事業経営者が簡単にコントロールできるものではありません。これはむしろ政治の世界での解決に負うところ大です。

 そのような状況下でビジネス戦略を考える時、ある種の視点が必要になります。

 格差社会の中での大衆は誰でしょうか?数パーセントの富裕層ではありません。経済的に余裕はないが、一所懸命生活を楽しんでいる層です。その大衆はどんな価値を求めているか、その価値を一定の中期的スパンで提供できる方法はないのか等、富裕層の消費者を相手にする視点と明らかに違う戦略視点を真剣に考えると解が見つかるはずです。

 

 

第253回 戦略の策定の大前提—環境認識(7)

Posted on 2017-09-07

前回からの続きです。

(3) 世界の経済をかく乱する要因が多くなる、その中でのビジネス展開には、自社のみではコントロールが難しいリスクがあるとの認識が不可欠です

 このように成長が予想される中国やインドなどが世界経済を引っ張っていけるのでしょうか?そこでのビジネスのリスクはないのでしょうか?

 

c) 中国でのビジネスの難しさとリスクをどう見る

 企業の経営者なら、大きなマーケットたる中国などへ進出しようという戦略上の選択肢は当然出てきます。このマーケットが大きな潜在的収益源になりうるからです。

 既に日本から中国に進出している経営者達に伺う機会がありました。成功している人、当初の目論見通りにはいかなかった人と、いろいろでした。以前よりは改善したとしても、中国でビジネスを展開するリスクは、聞けば聞くほど悩ましく映ります。

 本来、地勢的リスクはどの国へ進出しようがあるものです。しかし、他の国でのビジネス展開の時のリスクとは異質なものがもしあるとしたら、それは事前に詰めて適正な戦略判断をしばなりません。

 中国は日本の25倍の面積を持ち10倍の人口を擁しています。この国を、わずか7人の中国共産党中央政治局常務委員が動かしている中央政府を考えると、果たして政府が適正な政策判断をできるのか、中央政府の強権をもってしても、国の隅々まで政策が正確に浸透していくのかを、まず疑問に思います。地方政府の腐敗などの撲滅を必死に叫んでいるのを新聞などで読むにつけて、これが止まらない証左かもしれません。

 統治力の問題は別としても、進出企業にとって技術が盗まれることは最大のリスクです。私的財産の保護が極めて緩く、先進国から最新の技術を盗むほうが安上がりという慣習が未だに改善されていない状態では企業は安心できません。また、事業進出にあたり関係機関に提出する技術に関するデータや書類の守秘も安全なのかが心配になるとの話を聞きました。

 最近では品質の管理に力を入れる企業が多くなったとはいえ、元来中央の計画に従って一定量の製品を作ることこそを目的にした国なので、どちらかと言えば、品質より生産のほうが優先するのが一般的とのことです。

 また、ビジネスが上手くいかず何らかの事情で撤退を決断しても、それが容易ではないと聞きます。中国との合弁事業の解消自体が関係する役人にとっては自分の将来の出世に明らかに不利になるので、解消を簡単には認可しない。結局、設備などを捨てるか、時には支払いまでして逃げ出すしかない状態もあると聞きます。これでは、進出をためらう要因になってしまいます。

 更に困るのは、中国政府の反日政策です。国内の不満がある一点を超えると、そのはけ口を外交に求める。特に、これまで日本は、直接反論せず時間の経過で何とか収まるのを待つ姿勢を示してきました。これが彼らにとってはくみしやすい国ととらえられ、国民の不満のはけ口のために日本や日本の企業が標的になるというビジネス活動上極めて大きなリスクを抱えています。

 

d) 個人主義というより自分主義にどう対応する?

 中国でのマネジメントも大変と聞いています。

 もともと中国人は集団より自分を中心に考え、非常に現実主義のようです。自己主張や自己弁護が上手い国民で、本音と建前の使い分けが上手で、臨機応変に言い方も変えてくる国民のようです。 

 その一例が、政治の世界での尖閣諸島の問題です。

 尖閣諸島は、魚釣島、北小島・南小島などの島々でなりたっていますが、日本国への帰属に関していろいろな本やサイトから得た情報を私なりに整理すると、1885年、福岡の実業家、古賀辰四郎氏の開拓許可申請を機に、日本は1895年にこの諸島がどの国も支配していない無人島であることを確認して閣議決定により日本の領土に編入し、翌年から、民間人に島の土地を貸与、民間人が鰹節工場などを営み、一時は人口が約250人いました(その痕跡の写真もあり)が、1940年に工場を閉鎖、無人島になり現在に至っています。

 1968年、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による「尖閣諸島周辺海域に石油埋蔵の可能性あり」の報告発表(この前年に日本、台湾、韓国の専門家らが実施した学術調査の報告書を基にしたもの)後、中国が領有権を主張し始めたということです。それ以前の1920年には、遭難した中国人を救助した日本人への当時の中華民国駐長崎総領事からの感謝状には、遭難した福建省の漁民が漂着した場所として「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されているとのことです。また、1953年1月8日付の人民日報には、「琉球諸島は・・・尖閣諸島、先島諸島・・・の7組の島嶼からなる」の記述もあると、ある本に記載されていました。

 要は、石油の埋蔵の可能性を知った頃から、尖閣諸島の帰属についてのそれまでの主張をがらりと変えて臨機応変に自分の主張をしてきているとみえるのです。証拠が出てきてもこのような対応をする人です。同様な姿勢は働く人々にもあるようで、反日教育を受けて育った自己主張の強い人をマネジメントする苦労も並大抵ではないことも聞きます。

 リスクを冒さなければ、メリットを享受できないのも事実です。しかし、そのリスクが事業主体としてコントロール可能な領域がどれほど大きいかが戦略上非常に重要な部分と考えます。政変などで事業の継続自体が突然困難になると、それまで築いた現地マーケットでの信用も一気に吹っ飛んでしまうほどのリスクかもしれません。新たに進出、現事業の維持・拡大、または、売却・縮小等いろいろな戦略のどれを選択するか慎重な分析を必要とします。

 

第252回 戦略の策定の大前提—環境認識(6)

Posted on 2017-08-31

前回からの続きです。

(3) 世界の経済をかく乱する要因が多くなる、その中でのビジネス展開には、自社のみではコントロールが難しいリスクがあるとの認識が不可欠です

 今や世界経済のかく乱要因が多様化しています。事業戦略上これらから生じるいろいろな地政学上のリスクを最大限斟酌したものに仕立て上げなければなりません。特に事業活動を行う上で、自社の力でそれがコントロールできるものか否かの判断が重要です。

 

a) リスクの根底には経済問題がある

 ヨーロッパや中東の一部で見られるイスラム教徒への差別待遇や彼らの貧困が、テロなどの原因を作っていると言われています。その一方で、最大規模のイスラム教徒を擁するインドネシアではキリスト教諸国と反目していないという事実からすると、上の主張に疑問を抱きます。

 そうだとすると欧州や中東のキリスト教とイスラム教の宗教問題の根源は何でしょうか。我々にニュースで紹介される現象の本質は、実は、経済格差ではないかと思われます。

 1968年、チェコスロバキアの民主化運動(プラハの春の推進)の際、急速な自由化を危惧したソ連や東ドイツなど当時のワルシャワ機構軍の5カ国軍が首都プラハに侵攻し戦車で踏みにじり、民主化路線がとん挫した事件が我々に鮮明に残っていますが、政治的に複雑な事情はあったとしても、これも原点は経済問題ではないかと主張する人もいます。

 ノーベル賞の受賞者が実質幽閉されるのをみるに、今の中国でも沢山の人民が地下で民主化の活動しているのではないかと憶測されます。政治を背景に経済が停滞すると国民の不満が民主化の運動につながりやすいリスクを潜在的に抱えていることになります。若干持ち直したとはいえ経済の停滞で国民の不満が蓄積、万一これが爆発すると権力の集中に努力している習近平政権も大きな潜在的リスクを抱えています。不平等尺度のジニ係数は2004年以降ずっと0.4以上が続き、2008年には0.47と世界銀行が発表しています。2010年には0.61との報告もあるほどです。0.4を超えると社会騒乱が起きる警戒ラインだとすれば、政権の維持も大変になります。

 また、ロシアもウクライナ問題からの経済制裁で経済が停滞気味で、プーチン大統領の失脚リスクもでてきていると言われるほどです。

 巨額の石油収入を各領主に分配する方法で地位の安泰を保ってきたサウジ王家は、石油開発国の供給をめぐる結束の乱れやシェールオイル等の代替エネルギーの開発などで原油価格の下落を招き、石油収入の減少から分配ができなくなり、各領主の経済的不満が爆発しかねない状態と一部で議論されており、国自体もリスクの真っただ中にいます。

 これらは現象的にはそれぞれ違う態様を示しています。しかし、根源的には経済問題、経済格差ではないでしょうか。これから来るリスクは、ビジネス戦略上、計り知れないほど大きな不安定要因です。しかも、事業経営上、自社でのコントロールが難しい部分です。

 その一つ、中国を例にとりあげます。

 

b) 成長はするが、中国などでのビジネスは大丈夫か?

 中国やインドの経済成長率が以前ほどではないにしても、まだ他の諸国と比較して相当高い水準を維持しています。国内の消費需要も旺盛です。かつて日本でも実現したように、中間層が増えて以前のような富裕層と低所得層の二重構造という図式が様変わりしつつあると言われています。貧困から脱出した層が中間層となり、消費を押し上げているパターンとみられ、この層が大きなマーケットを形成しているからです。

 また、いわゆる生産人口が2030年までは低下傾向を示さないと言われ、中国の人口構造もしばらくは人口ボーナス期で大丈夫のようです。「一帯一路」の戦略も、インドなどの周辺国との軋轢がありながらも、アジアとアフリカ、欧州を結ぶ広大な発想も一見魅力的に映ります。

 

第251回 戦略の策定の大前提—環境認識(5)

Posted on 2017-08-24

(2) 「人口オーナス期(人口構造の変化が経済にマイナスの効果を及ぼす時期)」に突入してきている事実を認識し、その対応が不可欠です

前回からの続きです。

 

c) 価値を創造する事業しか永く生き残れない

 それでは「人口オーナス期」の到来を戦略にどう生かせばよいでしょうか。

 人口構造の高齢化を新たな事業としてドメインを設定しなおすのも方法です。しかし、続けている事業特性からそれを狙うのが難しい場合、この時代には価値の創造で勝負するのは如何でしょう。量で稼ぐ時代ではないのかもしれません。

 米国発の有名な外食産業のM社と遊園地経営のD社の経営比較が良く例として挙げられます。両社とも日本で成長してきましたが、2000年に入る前後から作戦の差が出てきました。特に、日本が長いデフレ期に入る頃から外食産業の会社は売り上げを上げるため、低単価で顧客を増やす展開をしました。遊園地を経営する会社は、既存設備を更新し、新たなアトラクションの導入をやっていろいろな企画で顧客の魅力を増す展開をしました。

 後者の価値を売る作戦の方が、量を売るコモディティ化作戦より上手くいったという報告があります。

 人口の減少で量的な拡大は難しくなっています。自動車もそうです。量産化してきましたが、人口の減少、若者の車離れで新たな需要が期待できない状態です。完全にコモディティ化してしまい、以前よりは車の価値部分の魅力が薄くなってきたかもしれません。

 これは他山の石としたい一例です。

 人々は「価値の体験」をしたい。できれば同様な体験をその現場で一緒に共感したい。そのためにイベントや遊園地へ出かけその場の雰囲気という価値観を共有することに喜びを感じる時代です。このように価値を求める需要は沢山あると思います。これをどう実践するかが人口オーナス期の潮流ではないでしょうか。

 

d) 大・小の企業の二極分化となる。その中でしか生き残れなくなる

 大きく膨らみそうなビジネスエリアをドメインとして持つ場合は別として、人口オーナス時期には、ビジネス展開をしている大半の経営者にとっては、自社のマ-ケットは相対的に縮小すると読む人が多いかもしれません。

 特に、長年同じビジネスモデルの中で商売をされている経営者には、商売の浮き沈みを自ら体験してきたが故に、余計自社の対象とするマーケットがそのように映ると思います。

 ここで、その観察からどう作戦展開するかが問われます。

 この状況下での一般的なマーケット構図は、大と小の二極化が進みます。需要が供給を満たせない状況が続くからです。

 手段として、合併、提携の加速が見られ、結果として、二極化のパターンとなります。その機会を自社にどう有利に展開するかが戦略上問われることとなります。

 

 例えば、コールセンターの事業です。

 電話系の仕事は、マーケットが以前よりは明らかに縮小気味です。特に、費用対効果の点を考えると、電話系の方法が他の方法に代替されるのは一つの流れとなります。

しかし、IT化の技術が進めば進むほど、逆説的ですが「話す、一緒に解決する」需要は増し、事業全体としてのマーケットは、今後も一定の成長率で伸びると考えます。

 消費者にとっては、自分の意見を言う機会を増やしたい、誰かと対話して早く自分の課題を解決したい。事業者にとってもIT、特にAIによる生のデータの分析のチャンスを増やして競合より優位に立ちたい。双方の必要性があるからです。

 ただし、マーケットが伸びるとしても現存する事業者の全ての成長を賄うに必要な需要があるのかは、疑問です。

 消費者は、「話す、一緒に解決」したいとき、電話以外の違う道具の利用に違和感を持たなくなってきました。顧客自身も変わってきたのです。事業者としては、今のうちから新しいコミュニケーションの道具によって「話す、一緒に解決する」ことにシフトを図る必要性が出てきています。どの道具に特化するのか、小さくても、「専門」性を持つ戦略も選択の一つです。消費者自身が「専門性」を求めてきている今では、「総合」はキーワードではありません。

 その結果、企業も二極化を図らざるを得なくなるのではないでしょうか。

 この期には、大となるか、小として特色を生かして生き残るかの経営戦略を鮮明にし、そのための展開を早期に図ったほうが良いかもしれません。

 

e) 首都圏の一極集中化の速度が増す

 特定地域への集中化にはいろいろな見方がありますが、私は、政府が本腰を入れてこの問題に取り組まない限り、東京を中心とした圏にあらゆるものが集中すると考えます。

 経済原則上も、そのほうが効率的だからです。ITの技術により情報については距離がほとんどなくなりましたが、ITが連動する人やモノの動きには距離が影響します。

 日本の総人口は、2014年に1.26億人が2050年には0.95億人と減ります。日本全国では、空き家が増え、2030年には3家に1家、すなわち、両隣が空き家になるという発表もあるほどです。

 首都圏(8都県)も2015年をピークに人口が減少しますが、減少率では他の圏より一番少なく、この地域に人口も集中(片や高齢化が進む)して、出生以外の方法も考えないと生産人口が不足して経済が成り立たなくなりそうです。

 それでも不動産、カネ、人、ノウハウは確実に首都圏に集中してきます。集中したが、需要が無い場合どうするのでしょうか。政府や一部の企業家」は、一般的に新たな需要を人工的にでも作ろうとします。実需以外の方法でこの場を切り抜けようとすると、追ってしっぺ返しが来て経済の破滅へ向かうのは、他の国の事例で実証済みですので、この方法は長続きしません。そうなると、低い成長率で満足する国民性に変化するのではないでしょうか。過去先進国が円熟期を迎えたパターンです。この時にも特定の企業は伸びるはずです。

 この首都圏一極集中化の傾向に対して、自社のビジネスとの関係でリスクをどう捉えるか、逆にチャンスと捉え戦略にどう活かすかは結構悩ましい問題です。当面は首都圏にとどまり、その間に世界の他の地域の需要を取り込む戦略を立てるなど、中・長期的視点を必要とすることになります。