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方丈記

鴨長明(方丈記)と吉田兼好(徒然草)の生き方、人間(2)

Posted on 2012-12-27

二人の共通点

 鴨長明と吉田兼好の晩年の生き方の続きです。二人には、現実に生きる人間の観察において共通点が見られます。

 鴨長明のことは先日このコラムに書きましたので、今回は吉田兼好に焦点を当て二人の共通点を見てみます。

 第一に、長明は平安時代を見限り鎌倉時代に期待しましたが期待外れ。兼好は鎌倉時代の終わりを予見する眼力を持っていたと思いますが、かと言って室町時代に期待したわけでもなさそうです。いずれにしろ、二人とも「世捨人」の立場で随筆を著していますが、厭世者の彼らの書物など、当時は誰にも興味を持たれなかったと想像します。

 第二に、二人とも世の無常感の権化です。「徒然草」の全段に兼好の無常観が表現されています。

 衝撃的な記載があります。「恋しき物、枯れたる葵」の部分です。

 葵は、私が過去フェイスブック上にこの花の写真を載せたほど私も大好きな花のひとつで、春から夏にかけて見かけます。

 私も花が大好きです。庭の花、林の中の花や雑草も大好きです。しかし、枯れているよりやっぱり生きている花の方が好きです。

 スッとまっすぐ生育し上の方から花が枯れていくのが通例で、葵の花が枯れると茎のみ棒状になります。この枯れ木(多分、賀茂祭が終わったあとの葵かも)の棒を見て「恋しき物」と思う兼好の心境。このことを、私も頭の中では理解できますが、正直な気持ちとしては、少し引けてしまうところがあります。まだその域には到達していないからか、私はまだ本当の無常感を共有出来るレベルになっていません。

 枯れた葵を見て、長明と兼好は多分同じ心境になるのでしょう。花が咲き枯れる。人間に例えれば、始まりがあり、終わりがあるという一生を、一瞬のうたかたと見る無常感いっぱいの二人の観点からみれば、葵の花も枯れた状態が恋しい物となるのは必然かもしれません。

だれでも抱く人間の揺らぎ

 第三に、二人とも生身の人間の揺らぐ悩みを抱いて、それぞれの随筆を残しているように思えます。「世捨人」とは言いますが、現実の世を全て捨てたのではなく、俗世間の煩わしさから逃れ現実から距離を置いたのではないかと思います。距離を置きながらも本当は、人間や世間の営みに常に配慮していたのではないでしょうか?

 その証拠の一つに兼好は、「なき人の手ならひ、絵かきすさびたる見出てたるこそ、ただその折の心地すれ」と、亡くなった人の書いた文字や慰み半分の絵を見つけると生前の時期に戻ったような心地がすると言っています。

 このように、兼好は現実の人の営みなどにたくさんの焦点を与えており、我々が想像するような「世捨人」ではなかったのかもしれません。世捨て人の形を取りながらも、朝廷や武家の礼儀など、有職故実を教えて生計の糧とせざるを得なかった彼の心の葛藤と矛盾の中でゆらぎ、苦悩したものと思われます。

 書いた文字や絵などは全て無常で、その無常を主張しながらもそれこそが逆に人間の生きる姿を生々しく浮き彫りにし、人間の生きる力の大切さを逆説的に言っているようにも私には受け取れます。

 また、鴨長明も「方丈記」で執着を捨てることを良しと言っていますが、完全に悟りきってはいないようにもみえます。方丈でのこのスタイルの生活が良いということ自体も捨てたいと言いながらも、心のゆらぎが見える感じを受けます。ここに高僧でなく生身の人間の迷いが「方丈記」の中からも読み取れます。ゆらぐこと自体がむしろ自然なのではないでしょうか。

 なるが故に私にとっては、彼も非常に魅力的な人物です。

私への示唆

 「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を」という「徒然草」の中序段での吉田兼好の心境は、私には、「人間普通に生きなさい」と言っているように聞こえます。

 

鴨長明(方丈記)と吉田兼好(徒然草)の生き方、人間(1)

Posted on 2012-12-20

 前回、「方丈記」のことを書きました。

 「方丈記」を読んだ後、以前読んだ「徒然草」をこの1ヶ月読み直し、面白い印象を持ちました。

 吉田兼好は1283年、鴨長明よりも約100年遅く生まれています。

 鴨長明は鎌倉時代に入った頃に晩年を迎えたのに対して、吉田兼好は室町時代初期に晩年を迎えています。しかし、歴史の長い尺度でみるとほぼ同時代の人とみなしても良いのではないでしょうか。

 出自や若い頃の人生は対照的ですが、二人は日本の中世の動乱と不安の時代に生き、世の中の見方や人間に対する興味などに、ある種の共通点を持っているのではないかと思います。もちろん私見ですが、このことが非常に興味深いところです。

普通の育ちとエリート

 まず、二人が歩んだ人生背景を見てみます。

 鴨長明は1155年頃に生まれ多分1216年頃に没しています。平安時代末期から鎌倉時代初期に生きた人です。

 50歳で出家し、54歳で方丈の小屋に移り住んで1212年に「方丈記」を著しています。維摩経によれば、方丈とは小さく狭くても何人でも入れる建物のことを意味しているようでコンパクトな庵です。

 長明は人生のほとんどを失業状態で過ごし、現代流に言えば経済的には貧困の状態(このことが悪いという意味ではない)にあったと想像します。

 他方、吉田兼好は現代流に言えばエリートの家系に1283年に生まれ、1352年に没しています。

 吉田神社の祠官の三男で大臣堀川氏の家臣でした。長男は叡山大僧正(今流では大学学長)、次男は六波羅探題の長(今流では警視庁総監)と言われているエリート一族で、この点では鴨長明と対照的です。

 時の天皇、後二条天皇に出仕し、天皇の皇子の親王が幼少の時代に、大臣堀川氏の指示により皇子が将来天皇というリーダーになるための「天皇になる心得」的君主論として、徒然草を最初書き始めています。官位と家の繁栄を期して熱心に仕えましたが、残念ながら天皇が27歳で亡くなり政権が変わったことによって教える相手がいなくなってしまい、現代流に言えばドロップアウトしたのです。

 彼も30歳で出家をしています。出家といっても仙人になるのではなく、当時は特権的な境遇の人もいたようです。今の時代のビジネス世界を想定して例えれば、本社から30分くらいで行ける京都の街に研究所的な庵を造り、そこの長として遇された感じと解すれば良いかと思います。

ドロップアウトと出家の身

 前半の人生環境は鴨長明のそれとはとは雲泥の差ですが、吉田兼好の歩んだ中年、晩年の人生は鴨長明と類似しているのが深く興味を引きます。「徒然草」の後半の執筆が前半と趣が違い、距離を置いて世の中を観察する随筆になっていくのはこの人生背景があるからです。

 すなわち、晩年の二人には世の中とそこで生きる人間の観察で共通点が見られます。

 

方丈記―今流の読み方(2)

Posted on 2012-12-13

すべてを等価で見る見方

 第二に私は、彼が伝統文化に僻み感を味わいながら、しかし、伝統にしがみつく朝廷・貴族と苦しんでいる一般人民をほとんど等価で見ていることにも注目しています。無常観がそうさせたのかもしれません。

 源氏物語の伝統を引き継ぎ、和歌などに代表される現実と遊離した伝統文化を必死にささえる宮廷や朝廷などの閉鎖的文化。驚きは、この伝統を哀れみの目で見ながらも為政者の被害に遭い今晩の飯に困る一般人民と全く等価に見ていることです。

 京都の伝統文化の息苦しさを味わわなくて済む一般人民の方に若干寄り添った見方をしながらも、両者をある種等価に見ざるを得なかったのか、世捨て人の見方が参考になります。

 今の時代、一生懸命に生きる姿勢の中で、一部諦めの境地からかすべてのことを斜めに構えて見る姿勢と比較して、良くも悪しくもすべてを等価で見る彼の見方も参考になります。

自由な境地と裸の自分

 第三に、自由な境地を活かして裸の自分を信ずる力強さが特徴的であることです。京都という世の中を捨てたからかどうかわかりませんが、ある種の居直り、開き直り的なところがあり、それが彼の強さになっているところが参考になります。

 彼は晩年、京都から鎌倉に上京して、時の将軍、藤原実朝に何度も会っていたと言われています。平安時代から、関東武士の新しい時代理念を持った鎌倉時代に時が移り、次の新しい時代に期待したのかもしれませんが、この鎌倉時代も和歌から刀の時代になっただけで、彼が期待したような時代ではなかったようです。彼は歴史が変遷しながら崩壊していく姿を見てしまいます。

 このことがあったからか、姿こそ僧侶の彼が方丈記の中に心のどこかで浮世の欲望を残しつつ、阿弥陀如来にも完全には期待していない姿を披瀝しています。ある種の開き直りにも見えますが自由な境地で、裸の自分を信ずる力強さを垣間見る感じがします。また、世捨て人とは言え世俗的なところも見え、なんとなく近寄ってみたくなる人物に見えませんか?

最後に凄みを持って一言

 でも鴨長明の人間としての凄さが伝わるのは、方丈記の最後の部分です。これはぜひ参考にしたいものです。

 「時に,建歴のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門の蓮胤、外山の庵にて、これをしるす」と、バサッと終わってしまいます。桑門とは僧侶のことで蓮胤とは鴨長明の法名です。

 この終わり方に、彼の人間としての凄さが現れています。ほとんど無職の一生。でも知識人として時代の変わり目、伝統の怖さと庶民の抵抗の弱さを明確にわかっている。わかった上で時代に溺れて時代に流されている人々にひとこと言いたいという彼の心境なのだと、私はみます。

 この最後の一行で、全体を読んだ人に大きな沈黙が生まれます。晩年彼が住んだ方丈の四畳半の小さな庵の中で筆を取る彼の姿が見えてくる感じがします。

 追伸:2012年10月、頭の毛の一部が瑠璃色をしたゲラの一群が、目の前で地上に落ちた種子を啄む姿を見ながら山の中でこの本を読み直し、鴨長明の「方丈記」に新たな印象を持ちました。

 

方丈記―今流の読み方(1)

Posted on 2012-12-06

「ゆく河の流れは・・・」

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まりたるためしなし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。」で始まる方丈記は、現在の世の中にも非常に含蓄に富んだ内容を持った随筆だと思います。

 今の時代の生き方として参考になるところがあるかもしれませんので、私流の読み取り方をここに紹介します。ご存知、方丈記の紹介です。

四畳半の栖に住むにいたった鴨長明の人となり

 「方丈記」は平安時代の末期、800年前に鴨長明によって彼の晩年に書かれたものです。彼は中世の知識人とでもいえば良いでしょうか?歌人で神主の息子でした。筝、しちりき,笛、琵琶、琴など音楽も得意としていたようです。

 ところが福原遷都の2年前に父を亡くし、職もなく今流に言うと失業状態が一生のほとんどで続いた人のようで、当時かなり高い競争率であった神社の禰宜の職につこうと後鳥羽院の紹介をもらい就職活動をしたのですが、これも上手くいかなかったそうです。

 結局、彼は晩年に世を捨て僧侶となり、山の中の方丈(四畳半)の移動式でコンパクトに組立可能な小庵で隠遁生活をするようになりますが、今の時代と言わず当時にあっても少し想像を超えた居住状態の中でこの随筆を書いたといえるのではないでしょうか。

 方丈の庵を造るに至る経緯を次のように方丈記で記載しています。

 父方の祖母の家を引き継ぎ住んでいたが、これを持ちこたえられず30歳の時にその家を出て十分の一ぐらいの大きさの庵を造る。しかし、その庵は賀茂の河原付近にあり水害や盗賊回避のため引越し。40歳を過ぎた頃から自分の悪運を悟り、長明は元神主の家系なのに50歳でなんと僧侶に転向。

 出家して僧侶になる。家族もなし俸禄もなく大原山に小さな庵を作り5年住む。牛車2台でいつでも移動ができたぐらいの家財道具しかない身で、その後日野山に先ほど述べた移動式組立住宅の方丈(4.5畳)の庵を造ったと記載しています。多分バラックのような小屋ではなかったかと想像します。

 ご存知の通りこれが方丈記の題名の由来です。晩年、京から鎌倉を訪問した後、数年後この日野山の庵で方丈記を一気に書いたようです。かなり山の中ですが、春には藤の花を見、夏にはホトトギスを聞き、秋にはひぐらしの声を聞く。冬には雪を憐れむと書くほど、この草庵では風流な生活を送っていたようです。

厳しい時代背景の中で生きる人の気持ち

 「方丈記」の中で私が注目していることがあります。第一に、時代の変化に対する彼の観察眼の鋭さです。現場に密着して取材をする記者風の彼の観察眼から素晴らしい景色が浮かびます。

 23歳頃に大火災に遭い、25才頃には平重盛の治世下、世が乱れ、28歳の時に京都が竜巻に会い、29歳の時に大飢饉。世の中も京都から福原への遷都騒ぎ、33歳の時に京都に大地震が頻発、という平安時代末期の大変な時代に生きた人物です。

 皆様が生きてきた今の年代と比較してみでください。

 なんでこんなにと思うほど世の中が乱れています。自分が生きることが精いっぱいで、とても他人の不幸に対して救いの手を差し伸べられる余裕すらほとんどの人に無かったのではないかと思える無常観あふれる時代背景です。

 「方丈記」には、平安時代という400年続いたひとつの時代がガラガラと音を立てて崩壊していく様を目の当たりにし、また数々の天変地異などを経験した描写を通じてこの時代が象徴的に描かれています。個人は不安を横目で見ながらも、体制や歴史は本人と全く無関係に変な方向にどんどん動いていく様を彼自ら体で感じていることが読み取れます。まさに時代の変わり目を鋭く観察・描写しています。

 この描写を読んだ時、私にはここ10年間余のいわゆる「失われた時代」に育った最近の若者の残念な境遇や時代認識とダブって見えました

 彼らは物心ついた頃から物価が下がる、給料が下がる時代を生きてきました。時代そのものがデフレです。職がない、今日より明日が悪い、親の時代より時代がどんどん悪くなっていく、鴨長明が生きた時代は、今の時代背景の認識と共通なところがありそうです。自分を守ることすら大変な状態で、他人のことに対して主体的な責任を持ちたくても持てない、残念な時代に置かれた今の若者とダブリます。