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折々の言葉 / 時代認識

第197回 今の時代をどう見るか(2)

Posted on 2016-04-07

先週からの続きです。

 

重商主義時代から植民地主義の時代へ

 17世紀頃に、イギリスが植民地化していたインドで、東インド会社が出来ました。インドからキャラコと言うインド産の平織綿布が輸入されるようになり、イギリスは安価なキャラコの輸入品に対抗するために知恵を働かせました。綿織物を国内で安く大量に作るという動機から紡織機を開発して世界の工場となり、蒸気機関車を鉄道に走らせ大量の出荷を可能としました。東インド会社など国家が資本を独占する資本主義、いわゆる独占資本主義の時代に突入したのです。

 繁栄を誇っていたイギリス、ヨーロッパの他の国々は競って植民地化の策を取り安価な資源を求めて競い合いが始まり、小競り合いが絶えない時代になりました。

 これ以前の重商主義の時代には、スペインを代表に、金銀などを海外から持ち帰ることに専念しました。この資本主義が最初に変容を遂げるために、片方で昔の概念での自由な貿易を主張しながら、自国内では差額主義を貫き外国貿易で儲ける方法をとったのです。最初にこの重商主義を捨てたのはイギリスです。規制自体がかえって邪魔になり、一方的に自由貿易の教義と植民地主義を押し進めていきました。

 

帝国主義時代へ

 1873年から1879年にかけて、欧米が大不況と発生しました。オーストリア・ハンガリー二重帝国の首都ウィーンで財政破たんが起こり、これがヨーロッパと北米の大半が大不況に見舞われるほどまでになりました。実は、この頃から独占資本主義から帝国主義に変貌し、産業構造が繊維産業から重工業化へと変わってきたのですが、イギリスよりドイツが成長してきたことも関係します。

 重化学工業の担い手は労働力です。しかし、すぐに購入出来なのが労働力。賃金が高騰してしまい生産しても儲からない、恐慌になる。回避策は戦争という安易な道へ進んでしまいます。

 1870年の普仏戦争、プロイセン(普)対フランス(仏)の戦争ですが、プロイセン以外のドイツ諸国も加わったので、ある意味で独仏戦争の状態でした。スペインの王位継承問題に端を発した両国の対立でしたが、ナポレオン時代のフランスに復讐することでドイツの主導権を取ろうとしたプロイセンのビスマルクが、ナポレオン3世を挑発して起こしたとも言われています。ここにプロイセンがナポレオン率いるフランス帝国を破り、帝政ドイツが成立してから1917年のロシア革命まで、各国の帝国主義が角を突き合わせて最後は戦争をする帝国主義という「戦争の時代」になってしまいます。

 時代を経て、20世紀、アメリカは朝鮮戦争やベトナムで戦争という形で需要を喚起して経済的には乗り切った感があります。ある意味での公共事業をして発展、恐慌を回避したことになりますが、未だ帝国主義的な発想が続いていることになります。

 マルクスの言う純粋な資本主義では、国家の介入は避けますが、アメリカの例で見られる通り、帝国主義では、逆に市場に介入をしてきました。ここに大きな変容が発生し、資本主義が新たな段階を迎えてきました。

 帝国主義では市場に介入して、資本の集積と集中により寡占(独占)が出現し、産業資本と金融資本が結びついて、金融資本が優位となる。安い労働力、土地、原料を利用し、インフラ等を資本込みで輸出をします。多国籍企業が形成され、国境の制約から生じる資本間の軋轢を回避する策と、主要国による勢力圏の分割が完了する形を取るとの特徴がある本に記載されていましたが、正鵠を射ています。

 

冷戦下の資本主義時代へ

 第一次世界大戦中の1917年にレーニンの指導でロシア革命が起き、これから資本主義が冷戦下の資本主義時代を迎えることとなりました。資本主義は自己を守るために福祉施策や失業対策という公共事業を実施してきました。これが1950年代から1970年台です。「黄金の時代」と呼ばれ資本主義が成長を謳歌した時代です。資本主義が生き延びるために変容してきました。

 

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