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折々の言葉

第165回 ヨーロッパの精神性の概観(2)

Posted on 2015-07-23

前回の続きです。

 

3.気候、風土からくる食文化の違い

 気候、四季です。

 今回6月にヨーロッパにいました。その時期の日本は、ほとんど毎日雨だったようです。帰国後も、じめじめした日が約2週間続いています。この気候の差が及ぼす影響です。

 これが人間性や精神性に大きな影響を及ぼしていると私は見ます。季節を愛でるより、それからの収穫をどうするかが関心事となるかもしれません。ここに食文化との関係が重要となります。

 蛇足ですが、梅雨の季節や四季がないヨーロッパでは、源氏物語や枕草子は生まれないなと思いました。季節感が無いからです。

 

刺す、切る食文化

 食文化で一番の違いは、ご存じの通り彼らがフォークとナイフで刺す、切る文化です。これに対して、日本は、箸でつまむ、お椀の汁をすする食文化です。この違いはどこから来たのでしょうか。

 この食文化の違いは、気候の違いから発生します。

 今は、遺伝子技術の発展で優れた種苗が開発されていますので、必ずしも当てはまりませんが、中世の時代、ヨーロッパの中心部は寒冷地で、コメはできませんでした。寒冷で痩せた土地でも栽培できる小麦、これがパンの文化に発展していったと思われます。パンを切るナイフは必要としても、箸は不可欠なものではありません。

 もし、この寒さが無ければ、ヨーロッパの中心部では、あくまでも仮説ですが、フォークやナイフ以外のものを使う他の食文化の発展もあったかもしれません。

 元来、我々日本人は、風土に適した食物、お米を食べてきました。

 日本は雨が多い国です。これが高温多湿で稲の栽培を助け、お米に最適です。今回6月の1か月ヨーロッパに旅行している間、雨に降られたのは数日だけ。しかも、すぐに晴れの天気に変わり湿度の低い気候でした。

 高温多湿の気候に適したお米を栽培し、これを食べるのが日本人の習慣だったにもかかわらず、日本人は第二次大戦後、変な欧米崇拝と栄養教育の影響でコメを食べなくなりました。「後進国ほど穀物の摂取量が多い」という一部の誤った常識が誰かにより創り上げられた結果です。なんと、第二次世界大戦前は、米を一年間に一人150kg消費していたのに、2007年には67kgと半分以下になったと言われるほどです。

 

家畜動物、肉食中心の食文化

 私は旅行中、ヨーロッパの食生活への順応の良さを褒められたこともありました。日本人の食生活が西洋化した一端が、日本人の私に表れたかもしれません。

 先述のような背景があったとしても、このことは日本人の食事がヨーロッパの人々と同じになったことを意味しないのです。日本人の肉食はままごとのようなものです。

 ヨーロッパの中世の時代も、極論すれば、戦争、地域戦争の時代です。領主が他の城を持つ領主を襲う戦争です。城を落とせば、その城主傘下の農民と農民が栽培する食料を獲得することになり、食料の多寡が領主の力の決め手要因の一つになるのです。

 戦争が始まると彼らは、将来の孤城の準備をします。米が無いので、真っ先に牛、豚、羊などを集めます。今回訪問した先々で城を囲む門、バルカバンがありましたが、その内側に、この家畜動物を囲っておく場所が必ずありました。

 これと同類のものは、日本ではコメ、塩、水といったところでしょうか。食生活が根本から違うのです。

 ヨーロッパの一部の国々では、地球温暖化や肥料、種苗の改善で小麦が栽培されているのを見ましたが、風土的条件から昔は穀物がとりにくかったので、家畜を主たる食糧とせざるを得なかったと思います。フォーク、ナイフで刺す、切る文化が生まれる所以です。

 

 

第164回 ヨーロッパの精神性の概観(1)

Posted on 2015-07-16

 今回、約1か月間、東欧を旅行し、観光などを通して日本人とヨーロッパ人の精神性に関して感じたことがあります。今回のコラムでは、ヨーロッパ、特に東欧の精神性に焦点を当て、概観してみます。

 

1.宗教、カトリック教の影響

 まず、宗教の及ぼす影響です。

 私はアメリカに留学の経験があり、宗教の及ぼす影響にも若干体験があります。

 ところが、アメリカは移民国家です。それ故に、本家本元のカトリック教、又は、新教であったプロテスタントの精神性が薄まり、宗教が国民に及ぼす如実な影響を、アメリカでは今回ほど大きくは感じませんでした。

 それに比べると、今回の東欧の旅行で、本家本元の精神性、カトリック教の持つ影響力をまざまざと体験させられました。勿論、国や地方よりこの影響の濃淡は当然あります。

 

根底に流れる宗教観

 バチカンのローマ法王の持つ力は無視できません。ワレサ議長が率いたポーランドの民主化の運動を蔭で支援したのは、ヨハネ・パウロ2世、元ローマ教皇であったと言われています。また、次の教皇が異例にも生前退位し若手に教皇の職を譲ったのは、最近力をつけてきた近隣の国の宗教の侵害からヨーロッパを守るために、行動力のある若手の教皇の起用が重要との判断だったと言われるほどです。

 かつて、モンゴル軍の攻撃から国を死守したと言われる騎士団の数々の展示品のあるミュージアムや、民衆を精神的に支えたとされる神父を祀る山の上の教会を、オーストリアのウイーン郊外に訪ねました。

 これらを見て感じたのは、ヨーロッパを他の宗教からどう守るかが、中世ヨーロッパの最大の課題だったようだということです。それほど、キリスト教の精神性を広めたい、死守したい一心が、彼らの精神の底辺に脈々と流れていることがひしひしと感じられました。

 かつて日本に仏教を広めた奈良時代の聖武天皇は、国を治めるのに仏教という宗教を使ったのでしょう。それは統治のための仏教の流布で、違う宗教から国民を守るという意識はまだなかったかもしれません。しかし、そういうものであったにしても、その宗教から実質的に距離を置ける我々日本人の精神性と比較すると、根底に於いて、宗教の持つ意味やその深さ度合いが東欧では大きく違うように感じました。

 根底にあるものは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』(マックス・ウェーバー著)が、「プロテスタントの多い地域では納税額が多い」で始まるこのくだりにヒントがありそうに思いました。

 マックス・ウェーバーは、ヨーロッパの人々は、仕事を神様への奉仕と考えて良く働くので、納税額が増えたと記述したかったのではないでしょうか。

 マックス・ウェーバーの著作はカトリックの倫理ではありませんが、宗教改革の時に、当時のカトリック教の腐敗に抗して作った新教、すなわちプロテスタントである以上、根っこの部分は同じ精神構造を持っていると考えても差し支えないのではないでしょうか。

 それほど、神の存在が絶対的で、その神への奉仕をベースとした精神性をヨーロッパの人々は持っていると考えます。

 

2.街の美意識

 上記の通り、彼らは教会を中心に物事を考えていました、今もそのような人が多いと思います。

 従って、元々の街(オールドタウン)は、教会、集会に利用する広場、市庁舎、食事処などを中心部に備えて街を作っています。この広場から波状的に伸びる馬車道の周辺に住民を住まわせ、高い塀をめぐらせて、住民を敵から守る構造になっています。馬車を走らせる通路がいつの時代からか踏み石になっています。

 街の美意識も、この構造の中で育まれてきたと想像できます。精神的支柱たる教会を中心に、如何に街全体の美を構成させるかが問われているようです。

 田園風景を中心にした美意識ももちろんあると思いますが、それは付加的なもので、あくまで、教会を真ん中に置いていて、住民の安全を保障できる環境の基本的セットが、ヨーロッパの人々の美意識の根底に潜んでいると思います。その証拠に、絵葉書の中で一番多いのはオールドタウンの絵図のように見受けられました。

 それは、単に風景的な美に留まらず、彼らの心の安寧を支える美意識と見ました。

 

 

第163回 自社の価値を知る

Posted on 2015-07-09

 先般、私が関係しているある会社の営業合宿に参加しました。7名ほどの幹部社員で営業を更に活性化するための合宿です。

 

自社の「売り」についての認識のズレ

 議論していくうちに気づいたことがありました。

 営業が「売り」としている商品自体の価値について、幹部社員の間に認識のずれがあることに気づいたのです。それぞれの部門が連動して初めて、その会社の商品は顧客に受け入れられるのに、このままでは会社の潜在力があるにもかかわらず、成長のスピードが遅くなるように感じて、営業合宿の目的に軌道修正の必要性を感じました。

 

データ分析から始めない発想

 自社の、あるいは自社商品の価値を見つけ、共通認識の下に全社をあげて営業活動をすべきとアドバイスをしました。とは言っても、自社の価値の見つけ方に関する手法を、参加メンバーの皆さんは体験したことがありません。

 そこで私から、一般的に使われている手法を紹介して、今回のこの目的に合致した手法を取ることをアドバイスし、それに沿って議論が活発になされました。

 そのアドバイスなしには、とかくデータの分析から始めがちになると感じたからです。私は、データのみからは新しい発想は生まれにくいと考えています。

 

顧客が感じる価値

 私は、顧客が何に魅力を感じているかを吟味することから、価値を見つけていく方が、むしろ早道と考えています。

 価値を認識しないままに目前の課題に取り組むと、非常に非効率で的外れな結果になってしまうリスクもあるからです。

 合宿に参加した皆さんは、優秀な方ばかりでしたので、目的とするところをすぐに理解し、さっそく修正行動に移ってくれました。

 

取った手法

 そのとき取った手法は、二つの手法の混合です。

 第一に、競合も含めた既存の商品や提供しているサービスと比較して、自社の商品の価値を発見する方法です。

 競合の数を沢山入れると混乱をきたしますので、3つぐらいに絞りました。しかも、いきなり価値を見つけようと焦ってカテゴライズせず、とにかく、これまで営業場面などで遭遇した、自社商品と他社のそれとの違いに関する事実を挙げていく作業に入りました。顧客の視点で良い所、価値を見つけることに役立ちました。結構あるもので数十になりました。

 第二に、その商品に関してのエピソードを洗い出す手法を取りました。新しい商品なので、事業展開や戦略をどうするかに関わります。顧客が試用品などを使われたときに、どんな反応が返ってきたのか、嬉しい話、厳しい話などのエピソードを捜す手法です。

 まだ発表したての商品であったので当然なことですが、エピソードが意外に出てきませんでした。少なかったのです。それでも、営業が訪問した顧客からの話の中からいくつかのエピソードを捜すことが出来ましたので、そのエピソードが出てくる背景や理由を、掘り下げて議論しました。

 

最後にカテゴライズの上、簡単に文章化する

 最後に、上記二つの手法で捜したものを項目ごとにカテゴライズしていくと、商品自体より、その周辺のサービス体制、開発体制なども含めた、会社全体の問題も浮き彫りにされました。

 結果として、顧客にとって、自社のその商品はどんな価値があるかを簡潔な文章にまとめました。文書化に当たっては、xmのxm化などの抽象的な言葉を使わないことに留意しました。言葉が抽象的だと、社員それぞれが勝手に自社の商品の価値を解釈し、全社員の共通の価値となりにくいからです。

 10行くらいのエキスになった文章になりました。実は、これこそ顧客が魅力と思う自社の商品の価値であることに合宿の最後で皆気づき、非常に有意義な会議となりました。

 

私自身が経営改革で取った手法

 私自身、以前関係していた会社で、のビジョンを策定した時に、

 ・この会社が何の手段で競合会社に勝負するか、

 ・絶対譲れないこの会社の「らしさ」や「こだわり」を何にするか、

 ・すなわち価値を決定した

 今回アドバイスで取り入れたと同様の手法を使っていたので、以前の実体験をもとに皆さんを導けたのが有り難かったのです。

 社長も発想豊かでチャレンジ力が旺盛、しかも学ぶ姿勢がある優秀な経営者です。社員もスキルがあり優秀です。今回の合宿で、皆が会社の価値観を共有でき、それを深堀することでこの会社が更に発展していく姿を見るのが楽しみです。

 

 

第162回 日本人の精神性(4)

Posted on 2015-07-02

 先週のつづきです。

 

4.以心伝心

 最後に、相手のことを以心伝心で分かる精神性を日本人は備えています。このことは、日本人が「違い」に敏感であることと裏腹の関係です。

 他の人と一緒でないと安心しない、ちょっとした違和感を俊敏に察知する性癖を持っていることです。

 

島国の単一民族

 この背景は、島国の中で単一民族として生きてきたからではないでしょうか。ヨーロッパ、特に東欧諸国に比して日本は大きな民族問題を抱えていません。

 ウクライナで民族問題が発生していますが、ガリツィア地方は複雑なはずです。神聖ローマ帝国が有名無実化しドイツの領邦国家が分裂状態になった頃、オーストリア・ハプスブルグ家の力も衰え、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアに分割され、現在のウクライナ、ガリツィア地方は一旦オーストリア領となってしまいました。更にこのガリツィア地方は、第二次世界大戦後、ソ連領ウクライナと統合された経緯があることを世界史で勉強して知りました。ウクライナという一つの国としてまとめられても、そこに住む民族のことを考えると非常に複雑です。

 日本でもアイヌや琉球など、民族の問題がないとは言えません。特に最近の安全保障・防衛問題から端を発した、政府の沖縄の人々に対する余りに鈍感な対応を見るに、日本でもその問題から民族問題に発展する危険性を十分孕んでいます。金銭で片づける問題では無く、沖縄(琉球)の人の心の問題なのに、政府の交渉の視点が何となくずれているように思うのは私だけでしょうか。

 

「違い」に敏感な認識と以心伝心

 ヨーロッパ、特に、中東、東欧州の民族問題、すなわち、征服民族、被征服民族の間に潜む厳しい環境と、日本の置かれた状況は全く違うレベルだと認識しています。

 宗教との絡みで、ヨーロッパでは民族問題が多種多様な課題を産んでいますが、日本は、ほぼ単一民族であることが、日本人が「違い」を認識することには敏感ですが、それに対処することの不得手さにつながっているように思います。多種多様な民族間で生きていけば、民族間の違いを認識しながら一緒に生きていく術を自然に会得します。自己の考え方、信条、宗教などと、周囲の人々のそれとの違いを認識しつつ、尊重する行動が自然と身につくはずです。

 「違い」の認識には敏感であるが故に、我々は相手の考えていることを、言葉を介さないで分かる精神性、すなわち以心伝心の心を備えています。ヨーロッパなどに住むと、自分の考えていることを言葉に発して伝えないと相手には分からないと言われます。「違い」があるので、言葉でそれを表現するのが当たり前ということです。

 逆に我々は、沢山の言葉を発して説明されるのに違和感を覚える時もあるほどです。この精神性が、グローバル社会の中で違う評価を受けたとしても、我々の根底には言葉を発しないで「通じる」何かをもっているのかもしれません。「違い」を敏感に認識しはしますが、行動につながらない性癖を持ちながらも、「以心伝心」が出来る優れた精神性を持ち合わせているのではないでしょうか。

 

 以上、日本人の精神性の特徴として、和の心、神道という道徳観、「すみません」と水に流す心、以心伝心の4点について、ヨーロッパ旅行中コラムで述べさせていただきました。

 

 

第161回 日本人の精神性(3)

Posted on 2015-06-25

 先週の続きです。

 

3.「すみません」と、他人に迷惑をかけたくない心の表れ 

 次に、「すみません」という言葉について述べます。

 

不可解な言葉

 「すみません」の言葉は、外国人には不可解な言葉でしょう。今旅行しているこのポーランドの国でも、これに相当する言葉を見つけるのは困難かもしれません。同じ意味合いを持った言葉があるのか、しかるべき人に尋ねてみます。これも、我々日本人の精神性の一つと言っても良いかもしれません。「すみません」と、なんとなく過去のことを「水に流す」考え方です。

 

「すみません」とは

 日本人と水との歴史的関わりについて考える人がいます。樋口清之氏という登呂遺跡の発掘をはじめ、数々の考古学的遺跡発掘をされた権威者です。

 樋口氏によれば、水に流すとは、これまであったことをあっさり忘れ去ることで、良くも悪しくも、すんでしまったことは仕方ないという発想です。この日本人の行動様式が穏やかで優しい人間関係を維持するための知恵となったとの考え方を述べられています。「過去に拘らず、論(あげつら)わず、責めず、忘れ、受容し、許す」、これが日本人の行動様式だと、説明されています。

 私もこれぞ日本人の特色ある精神性の一つではないかと考えます。勿論、グローバル化の中で、この思想を強調し過ぎるには一長一短あることも承知しています。しかし、それでも、我々の置かれた歴史的、風土的環境を考えあわせると、長い歴史の中で育まれた考え方で、誇ることのできる精神性の一つではないかと思います。

 

環境から育まれた知恵

 日本人がこういう思考をするようになったのには事情があると思います。

 環境です。人間の性格には、環境が与える影響が大と考えます。私は出雲の出身ですが、大阪の商業街の出身者とは性格的にかなりの違いがあることが分かります。

 日本全体をヨーロッパの大陸部と比較してみます。ドナウ川流域と富士川の流域の比較でも結構です。狭隘な山谷、その河川の氾濫、火山活動の妨害など、自然災害が頻繁に起きる環境です。また、ヨーロッパの川と比較して日本の川は地形的な影響で流れが速い川が多く、水の量も多いため、自然災害が起きる可能性が高いのです。

 

順応性、諦めの境地

 地形に加えて、日本列島は季節による寒暖差が激しく、地域によっても気候が大きく異なります。この自然環境によって、日本人の順応性の良さと諦めの速さが形作られた部分が多いのではないでしょうか。災害が発生し、その災害からの立ち直りも速く、変わり身の速さが、「水に流す」性格を育むことに関係したのではないでしょうか。現代の治水技術が無かった当時は、こうでもしないと日本人は生活が成り立たいことが多かったのではないでしょうか。

 

助け合う共同体

 前回の項や『これからの課長の仕事』の本の中でも述べましたが、日本人の性格に影響を与えた最大の要素は、上述の自然環境に加え、生活が稲作農耕を基盤としてきたことです。

 稲作には水が不可欠です。出雲の田舎に住んでいた頃、部落の常会という会合で水争いの調停に苦労していた父の姿を思い出します。水は上から下に流れるので、川上の村と川下の村で水争いがよく発生したと聞きました。これを避けるため、普段から皆が助け合っていく手法がとられました。土地と水で結ばれた村落共同体を維持するために、常会などの会合の場で全員の賛成を取り付け、何か事が行われていました。村の長は意見の相違を説得によって丸く収めて、わだかまりは水に流して結束を強めることで問題を解決しよう努力としていたのです。

 人間関係の上で対立を好まない日本人は、よく「すみません」という言葉を発します。言葉通りにとると、自分の過失を詫びる言葉ですが、上述の背景を考えると、これは水に流す行動が表れた一つの言葉だと、樋口氏は述べています。同感です。私は流れに逆らいませんという人間関係を滑らかにするための知恵で、水に流す行動が言葉として表れたものです。