園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム 園山征夫のビジネスコラム

折々の言葉

あなたは「信頼」されている自信がありますか?

Posted on 2012-07-19

 発する「言葉」と「行動」にもとづく信頼関係

 原子力のストレステストの実施が管前政権で打ち出され、現野田政権もその方針を踏襲していますが、政権の政策判断に国民にはまったく納得感がないのはなぜでしょう。政権のこれまでの主張と行動のブレが影響し、政府が発信する言葉に信頼性がほとんどないからです。

 新しい安全規制値を設定したと言っても、いわゆる「原子力村」の仲間のみで議論した数値とみられ、大多数の国民が「どうせ天下りというメリットを受けるため」の仲間内の判断や「ためにする」決定という印象を抱いているのではないでしょうか。

 また、民主党が実行しようと躍起になっている消費税の改定はそもそも国民との約束違反ですが、それを半歩譲っても消費税増税の合理的理由が、国民の間には半煮え状態でしか伝わっていません。この件に関しては、われわれに「自分たちは税金で国を支えている主権民の一人である」という認識が欠如しているところにも原因があります。「一身独立して一国独立す」と福沢諭吉は説いていますが、国民の自主性、主体性がないところに国のレベルアップはありえないという趣旨、が胸にグサリと刺さります。

 そのような国民側の意識と行動にも課題が多いとしても、政府が参議院を通過させようと躍起になっている増税に納得感を感じている国民が少ないのは何故でしょうか?

「信頼」からくるリスペクトこそ運営のキー

 要は、政治の責任を持っている人と国民との間に信頼関係がないことが問題なのです。

 そのような背景があるところには、政策決定事項へのリスペクトは生まれにくいものです。今や、これらの政策自体に加えて、国民の間では民主党の議員個々人に対するリスペクトまでが失われてしまっている状態を、どう考えるかです(注、私は特定の政党とは一切関係ありません)。

 企業で言えば組織内の上下の信頼関係です。

 今年の初めに書いた「これからの社長の仕事」で私は、「農耕型企業風土」づくりで企業を中期的に発展させる「フォーミュラ」を打ち出しました。この「フォーミュラ」を、企業を成長・発展させるための評価プログラムに今回仕立て上げていますが、上司の発する「言葉」と「行動」にもとづく社員との信頼関係が、このプログラムの中で一つのキー要因となっています。

 信頼を勝ち取るためには、うわべだけの約束でなく、社長が「自分は本当にこう思う」ことを本心で語ることです。どこかの政治家のように、上辺だけの言葉を仮に発するとすれば、それはすぐ偽物と部下に見破られます。

 目標実現に向けて社長が社員を叱咤激励したり、社員を厳しく叱る場面も時には発生します。

 また社員も、社長や幹部に対して苦言も含めた意見をどんどん言っていくこともあるでしょう。それぞれの立場が彼らにいろいろなことを言わせることがあります。けれども、双方が「自分はこう思う」と真実を本当に吐露する「場」があるならば、理解が深まります。この相互作用でその企業が正常に発展していくのです。心の上に着ている洋服を取り除いて裸で話し合うことで、叱って指示する社長と意見を言う社員の双方に、互いに対するリスペクトが生まれてきます。

 聴く耳を持ち、相手の話を聴き、約束を遵守し、本心で対話をする努力をすることで、経営層と社員の一枚岩が絵に描いた餅でなく、実質的なものになっていきます。

 しかし、たとえどんなに小さくても「言葉」や「行動」に嘘や約束違反があれば社員はそれを簡単に見抜き、一挙に信頼関係に齟齬が生じることを、くれぐれも忘れないでください。「小事大事」と私も常に心しています。

 

「無用の用」のエネルギーを意識的に活用していますか?

Posted on 2012-07-12

 「最近、無用の用を意識している会社が少なくなりましたね。」と、現在高齢者の健康サポートを指導している高橋勝君が呟いていました。組織の活性化には、いろいろな人材が必要なのです。

 成果が出て、その人が目立ったとしてもその原因は様々です。目立ちたがり屋の人は、一時的に成果が上がり収入が増えても、もし次の期に給料が下がったら、たとえ複数年の比較では給料が増加していてもモラールをうんと下げる傾向があります。

 何かの時には抜群の働きをする人材—「無用の用」

  会社内には地道な努力家が沢山います。目立たないだけです。いろいろな環境の影響で月次の目標が未達にもなりますので、目立たないところにも社長が心血注いでウォッチすることです。仕事場、飲み会などあらゆる場でウォッチするのです。人についての「無用の用」の気づきがあります。

 およそ有用で役に立つということは大事なことに違いないと思います。 しかし、「浅はかな人間の知恵で推し量られる有用が、本当の有用であるかどうかを考えさせられます。もう一つ上の、“道”(タオ)の立場から見れば、凡俗の輩の 有用などは取るに足らぬこざかしさ、いや愚かさに思えることもあるのです。」との主旨の内容がウィキペディアに記載されているのを見たことがありますが、なるほどと思いました。

 私は、ガチガチでなく多少余裕をもった人事をしていました。

 凡庸な人から見ると「無用の用」と思える人材も非常に大切にしていたのです。一見無用と見える異質な人材の存在もとても大事にしていました。普段は目立たないのに、たくさんの社員を盛り上げるイベントなどでは人が変わったように張り切り、人心をまとめる才能のある社員を、その才能を見込んで元気がなかった東京の営業に地方から転勤してもらったこともあります。効果は抜群でした。

 この様な社員こそ、意外に深い考えや違う視点に基づいて社員の心顧客の心をひきつけてくれるのです。最初は「能力がなさそう」と勝手に距離を置いていた社員も、彼の違った才能に気づきます。最初は「考えていることがズレてる」と顧客から出入りを断られていたその社員も真剣に対応するうちに顧客に受け入れられ「無用の用」的役割を大いに果たし、一緒に何か新しいことを手がけてくれます。時には、全く違う切り口で課題の解決の糸口を見つけてくれたりします。

プライドを傷つけて、マネジメントが上手くいきますか?

 社員個々人のプライドこそ一番重要なことです。

 2012年3月27日のTV番組で、いわゆるホームレスの特番を放映していました。この中に登場するあるホームレスの男性は、「炊き出しの世話にはなりたくない。」と、アルミ缶を集めて現金収入を得て生計を立てていました。「私にもプライドがあります。」と語っていたのが印象的でした。彼のプライドがある限り、きっと立ち直れると感じました。

 プライドについて考えさせられることがあります。能力的にはもうひとつで、頻繁に上司から指導を受けている男がいました。要は、他の社員より覚えが悪いのです。しかし、人一倍の努力家で、他の人の倍の時間をかけて一つのことを習熟する人でした。その仕事をすることにプライドを感じて対応する人で、彼がプライドをもって仕事をしていることを周囲の社員も知っており、応援の手を差し伸べていました。

 このような人をどうマネジメントしていけば良いでしょうか。クビにする選択肢も、最近のマネジメントスタイルではあるかもしれません。強制的に他の部門へ移動させて、自部門から排除することもできるかもしれません。しかしそれで全体最適になるのでしょうか?

 仕事は一生懸命しています。しかも、プライドを持って。プライドに傷をつけた場合、本人のモラールはもちろん、周囲の社員への影響をどう考えるかです。このことが分かる経営者こそ人の上に立つ本当のリーダーに育つと確信します。

組織に遊びの必要性

 組織的にも、あえて組織の遊びという余裕を意識していました。一見無用な組織があることで、何か新しい取り組みを実施する時に、その組織がものすごいパワーを発揮してくれることが多々ありました。

 CRMを中心とした組織の中に、コンテンツの開発部隊を新設したことがあります。一見、事業としての親和性がなさそうに見えましたが、組織にある種の遊びを持たせたのです。サービスの在り方がどのように生活者に受け入れられるかを直接知るための組織の先兵でした。切り口が違うので、新しいことに取り組む時には競合会社と全く違う発想を提供してくれました。

 

社員を本気で叱り、本気で指導していますか?

Posted on 2012-07-05

経営者の率先垂範

私は「園山征夫の経営」を本気でしていました。

自分ではそう思ったことは一度もありませんが、会社が上場を果たした頃、特に、「親会社の役員陣からは『天皇とかワンマンとか揶揄されています』」と、親しい人から聞かされたことがありました。

この言葉の裏側には、ワンマンでは駄目だという解釈があるかも知れません。しかし、私は、良い意味のワンマンでなければ中小の規模の会社を引っ張っていけないと思います。先ほどのような批判はコンサルティングを専門にしている、経営を知らない人が言う言葉です。先頭を切って「私に続いてきてください」と引っ張っていく人でないと競争には負けてしまいます。また、見よう見まねで社長の真似をしても、「ついていくぞ」と思う部下が沢山いない限り、その会社は沈没してしまいます。

このように社長が率先垂範して事にあたる時、社員からの信頼を深め、方策に共感を抱いてきます。また会社として成果も出てきます。成果が出てきだすと、小さい成功よりも大きな成功を望むようになり、部下への指導も変わってきます。

こうなると、本気で指導するために小さい成功で喜んでいる社員は叱り飛ばす場面も出てきます。沢山の社員を雇用して、その家族も含めた「社員の幸せ」を実現するために重荷を背負って経営していくから当然のことです。従って時には、「冷たい男」と呼ばれるかもしれません。しかし、「小善は大罪に似たり」で、小さい成功を褒めても本人のためにならず、「大罪は非情に似たり」のごとく、責任ある立場の人は時に非情に振舞い本気で社員を叱らねばなりません。

コミュニケーションの「場」で本気で指導

厳しく指導するだけでなく、いろいろな「場」でのコミュニケーションも大事です。

「飲み会」と称する場にはどんどん出ていきます。この様な場は、車座になって皆で語り合い意見を聴き、社長の考え方をじかに伝えることのできる最高の場です。私の場合、最も大きなコミュニケーションの「場」は事業計画発表会第二部の宴会でした。

全国から集まる社員になるべく沢山会い、酒を注ぐ。中には酒を注いでも嬉しそうな顔をしない社員も出てきます。不信感を抱いている社員です。この時を捉えて、「機嫌が悪いな。どうした。もっと飲めよ!」と、彼から本音を引き出す努力をします。ほとんどの場合は本人が自分の努力の無さを棚に上げて、ひねくれた状態で不満を持っているケースなのです。この様な社員とのコミュニケーションの「場」を通じても本気で指導をしていました。

 

社員の「やる気」を引き出す経営をしていますか?

Posted on 2012-06-28

 社員の「やる気」を引き出すにはいろいろな方法があると思いますが、私はそんなに難しいことだとは思いません。何かの改革を実践するには社員の一糸乱れぬ行動が不可欠ですが、それには、経営者やリーダー自身がしなければいけない「定石」があると考えます。

 第一に、何をどう改革しなければならないかの現状把握が必要です

  現状把握をする時、「現地現場」からの報告をもとに事実を把握すること以上に、自らが現場に出向いて、疑問を持って事実を見ることが肝要です。これが意外に難しい。現場からはいろいろな意見が出ますが、その中から本質的な所を抽出する力が不可欠です。それをもとに、自らの言葉で、具体的に分かりやすく将来像を示すことです。

 私は、「6つの約束」として社員に明示しました。この2番目に「ダントツ一番になる」ことを明記しました。誰にも響く言葉です。上場を果たしだいぶ経ってから、それ以降の中期計画を策定した時、中途で入社した知恵の働くある人物の「この言葉はダサイです」からという意見で、削除することになったのが残念です。

 また、ダントツ一番になった時、社員はどうなるかも鮮明に示しました。皆、そうなった時の自分の姿を知りたいのです。それに引き換え、思い出すのは福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故の際の技術者の説明です。ベクレル、マイクロシーベルトといった我々には耳慣れない放射能化学の単位でいろいろな発信をしていましたが、「国民がどれだけ危険か」についての具体的な説明が全くなされないので、その発言は少しも響きませんでした。

第二に、戦略展開は会社と社員の「強み」をどう活かすかを重点にすべきです

 現地現場の事実を把握すると、沢山の「弱み」に気づきます。しかし、この「弱み」のみに焦点をあててしまいますと、社員のモラールはダウンし、リーダーも単なる評論家になり下がってしまいます。

第三に、将来像と戦略展開を飽くことなく説くことです

 将来像と戦略展開を何度となく、しかも、全体にストーリー性を持たせ、自分の心の底から説くことです。飾り気なくとも良いのです。リーダーは自分で策定の骨子をつくっていますので、借り物ではありません。だから説けるのです。誠実に「対話」することです。

 現地現場に出向いて、その現場で発生していることを題材にして抽象的でなく具体的に、将来像が実現した暁にはどう変化するかを説くのです。飽くことなく説くことです。正しいか、正確かではなく、自分の考えが相手に伝わるか否かがポイントです。本気でないと伝わりません。本質的なところは変えず、少しずつ新しいことを付け加えて。

 「同じことを言っている」と言われても構わないのです、経営をしていく中では、そんなに新しいことなどあり得ません。また経営にとって大事なポイントは、そんなにたくさんはありません。少しずつ角度を変えて言うことになりますから、「少し新しい内容が入ったな」程度に思われることで結構です。

第四に、いつまでに何をするかの時限を明示することです

 一大目標なら4~5年、簡単な目標なら1~2年です。その間に率先垂範した行動を起こし実現しなければなりません。この時、数字のみで語らないことです。フォーマットには数字部分と数字の背景がワンセットになっているはずです。月次のポイントは違うはずです。「当月は何を重点に置いてマネジメントしたか」一点豪華主義で推進することです、あれもこれもはまず上手くいきません。

 

みなさんは原子力発電についてどう考えますか?

Posted on 2012-06-21

ドイツの原子力発電に対する判断と火山列島日本の事情

 ドイツは、2022年までに原子力発電炉を廃止し脱原発するとの決断を、メルケル首相が下しました。彼女は過去に原発に賛成していたのになぜ転向したかは不明です。反原発の嵐の中での政治的判断かもしれないとのうがった見方もあります。

 ドイツ首相の判断の是非は別として、今回の記者発表での首相の説明に関しては、その判断と判断の背景が民意を反映したものであるかが素朴に問われます。

 NOAA(National Geophysical Data CenterのNational Oceanic and Atmospheric Administration)からSignificant Earthquakeとして過去の大きな地震記録という興味あるデータが公表されています。

 また、あるブログにも、海外のデータをISC(国際地震センター)のカタログ(1904~2000)から、日本のデータについては気象庁地震年報から抽出した結果が紹介されています。この情報をみると衝撃的です。

 1970年から30年間にマグニチュード5.0以上の地震の発生件数が、イギリスは0件、フランスは2件、ドイツは2件、アメリカは322件、日本は3954件とそのブログに紹介があります。この事実をどう見るかです。火山列島の日本では、ドイツや他の国とそもそも違う判断基準が要請されるのではないでしょうか。

 ついこの間発生した東日本大震災に関わる詳しい原因や今後の対策や安全性についての科学者の見解を、国民が聞く機会がないうちに今回、福井県の大飯原子力発電所に「ゴーサイン」が出されたという政治の判断は、国民を納得させるに十分か疑問です。国民の安全性を担保するためにこの分野のプロの個別の意見を、どのように全体として集約した最終判断なのかのプロセスが全く見えません。

 放射能の拡散で海の汚染、食物連鎖など解決に何十年かかるのか、これまで政治が発した情報もほとんど信用を失墜している中でのこの判断です。

他力本願でない日本人の判断と行動

 日本人は、一般的に「喉元過ぎれば熱さを忘れる」気質があると言われます。また、われわれ日本人は政府や他人の考えに頼りすぎているのではないでしょうか?いわゆる他力本願「そのうち、何とかなるだろう」的発想をしやすい国民性がでて来ているのかもしれません。しかし、こと原発の再稼働に関しては、ここで曖昧な判断を許すと国家100年の禍根を残すことになりかねません。

 他方、我々と対極的な発想をすると言われるドイツ人はどうでしょう。

 ドイツ人は原理原則を重視し、German Angst(ドイツ人の不安)と彼らを皮肉る言葉があるくらい物事への見方が一般的に悲観的であるとも言われます。先のデータ通り、大きな地震がほとんどない国ですから、地震などの自然の脅威にさらされる度合いは、我々日本人の比ではありません。ですから、今回の東日本大震災時に発生した原発事故に対する感度の高さは我々の想像をはるかに超えているはずです。

 感覚に関する精神物理学の基本法則と言われる「ウェーバー・フェヒナーの法則」では、「人間が刺激の変化を感じ始める水準は、すでに存在している刺激の一定の割合である」として、この法則は五感のすべてに近似を与えることが知られています。初めから加えられる基礎刺激量の強度と対応する刺激量の変化値の比は、基礎刺激量の大きさに関わらずほぼ一定とのことです。

 今回の福島原子力発電所の事故のごとく、それまで発生していた原発事故のトラブルからの刺激量の程度と比較して、その刺激量の変化の識別度合いが余りに大きく、ドイツ人は大きな衝撃を覚え、メルケル首相の判断に至ったかもしれません。ドイツ人は危険や自然の脅威にさらされる度合いが低いが故に、いざという時のリスクに対する判断が特徴的です。すこぶる安全サイドの判断で、その判断をすぐ行動に直結させる所も特徴的です。

 火山列島の上に生存するわれわれ日本人も、こと原子力発電のリスクと自然の脅威に対しては、ドイツ人の選択以上に慎重と強靭で、他力でない主体性をもって判断、行動したいものです。将来、日本人の生命のみならずその他の国に危害と脅威をもたらさないとも限らないからです。